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Monthly Web Magazine Feb.2022


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■蟇股あちこち -22 中山辰夫

1400年代の後半を主に並べます。多少の入り繰りを含みます。
天神社(奈良県)・大田山神社(北海道)・西明寺楼門(栃木県)・善光寺楼門(茨城県)・西蓮寺仁王門(茨城県)・意賀美神社(大阪府)・老杉神社(滋賀)・水上神社(山形県)・天津神社(兵庫県)・油日神社(滋賀県)・雙栗神社(京都府)です。地方色濃いとされる蟇股も含まれます。
 

1396年 天神社 本殿
奈良県山辺郡山添村北野1458

社殿では919年に現在地に鎮座したとあります。昭和の神社調査には、「当社は昔社殿が無く、小諸明星窟と称する岩石を神体として奉仰していました。  応永年間に村の長老霊夢に感じ、今の所に社殿を築き、奉還鎮座せりと口碑に伝う」と記されています。
境内は山腹に造成されており、石段を登ると拝殿の建つ平地があり、さらに一段上ると透塀に囲まれた内に、国重文の本殿と若宮美統神社社殿が並んで建っています。
  

拝殿
  

境内社殿
   

本殿 国重文 建立:室町中期 一間社流造 厚板葺
 
組物は身舎、庇とも三斗組とし、妻は扠首組です。

蟇股は向拝正面と本殿正面に配されています。

向拝の蟇股と木鼻
    

本殿の蟇股
   
この蟇股は片蓋で、身舎正面の中備に用いられています。輪郭はほぼ同じで、堂々とした形です。
輪郭内の透かし彫は左右対称で、中心飾りは雲形の台座上に火焔宝珠を乗せており、その両脇には隙間が無く、雲の薄肉彫りを施しています。
このような意匠は従来の蟇股には見られなかったもので、雲を隙間彫りに取り入れた最古の遺例です。

摂社若宮美統神社社殿
  

 


吉川八幡宮 本殿
岡山県加賀郡吉備中央町吉川3932

社伝によると、857年頃黒山に小社を造営したのが始まり、1096年に吉川の苅尾山に社地を築き、そこに石清水八幡宮の別院として建立されました。
吉川の地は平安時代の末期、石清水八幡宮の荘園であったことから、双方の関係は深かったとされます。
荒れ果てた頃の1388年頃から復興が図られ、1395年に再建されました。足利氏や豊臣氏の崇拝を受け、1801年には徳川幕府の直轄となりました。
本殿は蟇股内部の彫刻や頭貫鼻の繰形が室町時代後期の特色をあらわしているとして、その価値が認められ国重文の指定を受けています。
度々の解体修理の際には、建築部材の一部に縦引き鋸を使用せず縦一列に鑿を打ち込んで割る工法が使用されていることが全国で初めて発見されました。
境内には、随身門、拝殿、鳥居、灯籠があります。境内に隣接して重森三玲が建てた茶席の天籟庵があります。
全体
  

本殿 国重文 建立:1408 桁行五間 梁間三間 組物出組 中備蟇股 二軒繁垂木 入母屋造 妻虹梁大瓶束 檜皮葺
 

向拝の蟇股
正面向拝の中備は1864(元治元)の修理の際にすべて新しくされました。蟇股の形態でなく水雲形としています。
全部で5個ある蟇股は撮影出来ないものがあります
  

各部の蟇股
正面の蟇股5個 -撮影できません
        

身舎の蟇股は正面及び両側面合せて9個備え付けてあります。材質は松材です。脚の内側輪郭の巻斗下に切れ込みがあるタイプと切れ込みが無くて直線に造られているタイプがあります
    

正面の蟇股は5個です 撮影は出来ません
 

椿 
  
花菱 
  
鳩・松・椿 
  
飛竜、飛雲 
  
桐 
  

身舎東・西側面伊それぞれ2個、計4個の蟇股が備え付けてあります。
  

桐 
   
牡丹・唐草 
   
唐獅子・牡丹・唐草
   
藤の華 
   
向かって左側 椿・桐
   

身舎背面は中備として蓑束が使われています
 
身舎背面中備蓑束と琵琶板、蓑束5個
  

妻虹梁下蟇股
  

拝殿の蟇股
  

 

 

大田山神社 本殿
北海道久遠郡せたな町大成区太田17番地

大田山神社は北海道本土で最も西に位置する神社です。「険しすぎる神社」として2011年に、日本経済新聞やTVで紹介され広く知られるようになりました。

創立は1441~3年(嘉永年間)とされます。
後の松前藩の祖とされます武田信玄が本州からこの地に上陸し、航海の安全を願い「太田大権現」の尊号を賜ったとされます。
江戸期には円空や幕末に蝦夷地を探検した松浦武四郎も訪れています。

大正11年(1922年) 山火事により、本殿、仏像が焼失。本殿が再建されると共に女人堂が新築されました。。

本殿の蟇股
  

神社の本殿は、断崖絶壁の太田山(標高約400m・道のり705m)、頂上直下の絶壁下部(標高330m) の洞窟内にあります。
洞窟内にある本殿の社は高さ2.4m。岩穴は広い所で幅4.8m、直径70cmの大きな玉石が奉納されています。
江戸期には円空が本殿岩穴内で多くの仏像を彫ったと伝わっています。

本殿までの行程は、急勾配に断崖絶壁の危険極まる山道を登ります。
石段は急勾配。最初の石段は139段、ロープ頼りの決死行。途中二つの鳥居があります。鳥居までの石段の角度は最初の100段が40度、残りの39段が45度。一段の幅も100段を境に、24.5cmから22cmに狭まる。さらに急峻な参拝道(山道)をロープ頼りにたどって登り、最後に最大の難所である「北尋坊の崖」を鉄の鎖でよじ登る過酷な行程の様です。(以下の写真はwikipediaより)
   
社の材料も含め,よくここまで背負って運んだものだと信じられない感じです

この神社の事が文献に出てくるのは幕末に蝦夷地を探検した松浦武四郎の1856年の手記。途中の山道の一部を「オニカミノボリ」と表現していますが、「鬼が神のように登る」という意味とされます。

参考資料―佐々木俊一氏「険しすぎる神社・日本経済新聞」

所要時間は、登りが約40分・下りが約20分です。

本殿からは、眼下に太田神社の社務所が見え、日本海が広がり、沖合いに奥尻島・渡島大島・渡島小島を望む大パノラマですよ!

 

ここからの3件は地方色強い蟇股とされます。


足元には若葉彫刻が、両肩には箕のような彫刻が付いたもので、茨木・栃木・類例の多い地方色の濃いいわゆる蓑束式蟇股です。
茨城水戸周辺では建物の種類問わず、室町時代中後期から近世初頭にかけて多く用いられました。寛文頃(1661~73)を境に無くなり、逆に秋田地方で発展していったとされます。後日八幡宮本殿(重文・茨城県水戸市」の項で触れます。
例 八幡宮本殿(1598年建立 茨城県水戸)~但し、この蟇股はプロポーションや彫刻の題材・表現などが非常に洗練されており、地方色が中央色の影響を受けた一つの完成した様式になっています。

   

 

1491 西明寺 楼門
栃木県芳賀郡益子町4469

益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。 坂東巡礼第20番、下野第13番の札所でもあります。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まりました。
西明寺は本堂厨子、三重塔、楼門の国指定重要文化財をはじめ、弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂があります。
  

楼門 国重文 建立:1491 純唐様式の三間一戸 重層 入母屋造 茅葺
   
基礎を設け柱は三十二角造り。左右の側室は前後に区切られ、前室に金剛像・仁王像を安置しています。
柱間を飾る中備(箕束)、匂欄出組の唐様斗拱、頭貫木端の繰形彫刻は特徴のある渦形文様で室町時代の特徴をよく表しています。

蟇股
 
背面腰組下蟇股は形態珍奇、彫刻手法、細部模様絵など精美です。
背面西間~中央間~東間
      

三重塔 国重文 建立:1543 三間三層造 銅板葺 初層は和様、二層は折衷様、三層は唐様 社叢に蟇股あり
   
軒廻りは初層繁垂木、二・三層扇垂木、隅木は初層のみ和様、他は唐様、木割等の手法は優美でそれぞれの建築様式の特徴をよく表しています。
屋根は軒の出が深く、勾配や反りもきついがバランスがとれ安定しています。関東甲信越四古塔のひとつです。

本堂 県指定文化財 建立:1394年 1701年大改修で現在の形に、五間四面 寄棟造 茅葺 銅板葺
   
柱円柱、内法貫と頭貫をめぐらし隅柱外方に唐獅子彫刻を取りつけ、中備の蟇股は十二支が彫刻されています。鏡天井の外人天井には龍の墨絵が、内陣の格
天井には人物花鳥などが描かれ単彩画施されています。内外陣の欄間は天女奏楽、鶴と仙人、浮舟上野選任などの彩色彫刻が施されています。

蟇股
     

本堂内厨子 国重文 建立:1394 唐様・一間厨子 宝形造 板葺
 
本堂にも魅力的な蟇股が並んでいます 厨子は本堂内に所蔵されています。

閻魔堂
  

 

 

善光寺 楼門
茨城県石岡市大田

善光寺は縁起によりますと、弘法大師が815年に伽藍を建立し、阿弥陀如来を祀ったのが始まりで、その後廃墟になっていたのを1501年に領主小田成治が現在地に再興したとされます。
楼門は他の地より移築された際に失われたとされてきましたが、解体修理の結果、現在地に16世紀前半頃に建築され、建掛けの状態のままで今日まで護持されてきたことが分かりました。(保存修理工事は1994年6月から21か月の事業期間行われました)

楼門は戦乱のため未完成のまま終わっていますが、頭貫木の絵様、蟇股や蓑束の形状、一階大斗の斗繰りの工法などに地方的、時代的特色をよく表し、又一階虹梁側面の八双形の浮彫や下端の錫杖彫端部の装飾などに見るべきものが見ものあります。です。この地方の中世期末期の建築様式を知る上で貴重とされます。

楼門 国重文 建立:  三間一戸楼門(軒以上を欠く) 寄棟造 茅葺
  

蟇股
楼門正面蟇股 ・ 細部(痕跡により復旧した蟇股)・細部(枇杷板に残る鳳凰彫刻痕)
    

背面蟇股 ・ 細部(鳳凰刻印)
 

建築細部
  
二階頭貫木鼻詳細


蓑束
  

虹梁下端(実相花)彫刻

 

 

西蓮寺 仁王門
茨城県行方市西蓮寺

西蓮寺は、782年桓武天皇の勅願に創建されたとされ、中世から近年にかけて末寺30余カ所を有するほど興隆しました。鎌倉時代中期に七堂伽藍造営しました。江戸時代には幕府から朱印状を与えられていました。1883年の火災で本堂・薬師堂を焼失しました。現在の本堂・常行堂・鐘楼・客殿は火災後に再建されました。焼失を免れた山門と相輪橖(日本三相輪橖のひとつ)は国重文です。

仁王門 国重文 建立:1543 三間一戸楼門 一階部分のみ 
  

蟇股
    
蟇股と蓑束の形に室町時代末期の地方的特徴が見られるとされます。と

相輪橖(附 棟札1枚) -
天台宗の象徴となるもので、比叡山延暦寺、日光輪王寺の相輪橖と並び称されます。高さ9.16m、基壇、橖身、頭部の3つの部分からなり、全体的に錫杖形をしています。頭部は五輪塔形で頂部に火焔。元寇(弘安の役)の戦勝を記念し、弘安10年(1287年)に建立したものと伝えられます。

 

 


意賀美神社 本殿
大阪府泉佐野市上之郷

意賀美神社は延喜式字名帖にも載る古社です。1936年の解体修理の際、建立年代が1442年と分かりました。一間社春日造りとして府下最古の建物です。
日根野の桜井川の左岸に、東面して境内を構えています。上之郷の産土神として祀られてきました。
社殿は本殿を真中に、左側に若宮神社、右側に弥栄神社がならんでいます。
 
2005年から2007年の間に屋根全面の葺き替えと彩色の塗り直しが行われました。
屋根は優美な桧皮葺、正面は流麗な軒唐破風、彫刻・彩色類は華麗な意匠と、当代の特徴を余すところなく発揮しています。

本殿 国重文 建立:1442 一間社春日造 桁行1.366m 梁間1・561m 向拝付 正面軒唐破風付 桧皮葺
    
身舎の組物は斗栱三斗組 枇杷板軒桁をまわす 身舎・向拝鞆弁柄塗 金襴巻 

身舎木鼻・斗栱廻り・柱の金襴巻
   

中陣板扉の三蓋松と裏面の随神絵(左扉)と右扉
 

身舎の蟇股は背面以外に配されています
正面 竹に雀
 

右側面 唐獅子に牡丹
 

左側面 栗に大瑠璃
 

向拝
 

組物の細部
斗三連三斗組 桁を通す 中備蟇股柱は弁柄塗 金襴巻 蟇股は彫刻彩色 
向拝木鼻・斗栱廻り・金襴巻
   

向拝の蟇股 表側(栗鼠)と裏側(貝尽くし)
  

 

 

1453 老杉神社 本殿
滋賀県草津市下笠町

社殿によると、704年に神霊が境内の杉に降臨したので、後に社殿を建てたのが始まりとされています。
大規模な三間社流造で、内部は内陣と外陣に分かれています。
欄間の彫刻や蟇股の彩色は、比較的地味な滋賀の社殿の中で、際立っており、室町期の華やかさを伝え、続く安土桃山の先取りをしているようです。
佐々木氏家臣の下笠高賀が本殿を造立、足利義高も参拝したとされます。
  

中門と透かし塀 中門::一間一戸 唐門 妻入 桧皮葺 透かし塀:桟瓦葺 奥が本殿
     

蟇股 沢瀉と下り藤を組み合わせた紋
     

本堂 国重文 建立:1453 三間社 身舎側面二間 向拝三間 浜床付 組物舟肘木庇出三斗 中備蟇股 庇繋虹梁・手狭 妻扠首 流造 檜皮葺
    
身舎側面二間なるも妻架橋は後一間 前間は庇造 前流れ大 身舎正面の欄間に様々な彫刻が施され、彩色の蟇股も見ごたえがあります。

欄間の彫刻 桐・椿・笹・魚など多種多様な極彩色の彫刻が施されています
   

向拝の蟇股 3個
    
三つ重ねの玉・二連の椿の花が浮き彫りに彫刻されています

拝殿 切妻造 桧皮葺 雲や波が題材で極彩色に塗色
 
欄間には、桐・椿・笹・魚など多種多様の極彩色彫刻がはめこまれ、豪華です。また、蟇股(かえるまた)の三つ重ねの玉・二連の椿の花の浮き彫りも見事です。
 神事元(しんじもと)(頭室(とうや))を中心に二月のオコナイから五月の祭礼まで、多様な行事が行われ欄間には、桐・椿・笹・魚など多種多様の極彩色彫刻がはめこまれ、豪華です。また、蟇股(かえるまた)の三つ重ねの玉・二連の椿の花の浮き彫りも見事です。
 神事元(しんじもと)(頭室(とうや))を中心に二月のオコナイから五月の祭礼まで、多様な行事が行われ
四脚門 一間一戸 刺客門 切妻 桟瓦葺 柱角柱
      
菊の紋の蟇股 内部の中央は五弁の花の門、奥は中央が丸になっている紋

末社の蟇股
      

 

 

水上神社 本殿
山形県鶴岡市水沢字楯ノ下

1087年頃に鎮座していた水上宮に石清水八幡宮を勧請して水上八幡宮と称したのが始まりとされます。
現在の拝殿は1805年に再建されたもので、本殿は室町時代のものです。

本殿 国重文 建立:1467~ 三間社流造 身舎側面二間 浜縁付 中備蟇股 茅葺 正面三間向拝 高欄 脇障子付
   
蟇股も含め細部に彫刻が施されています。茅葺は地方的な特色です。

蟇股 向拝に3個配されています。彫刻が細かいです。
       


天津神社 本殿
兵庫県三木市吉川町前田

かつては洪水がひどい地域だったことから、本殿は高いところに造られています。村人が協力して建てられたものとのことです。
現在の本殿の建立時期については、棟札などの直接の史料がないため定かでないですが、後世の古文書には延徳4年(1492)の建立とある。建物の建築様式も室町時代中期の特徴を備えていることから、この頃の建立であると思われます。      

蟇股は本殿の向拝中央と身舎まわりに配されています。

向拝の蟇股とその周辺の組物
        

本殿 国重文 建立:1492 一間社 身舎側面二間 妻入 組物出組 中備蟇股 向背付 二軒繁垂木 入母屋造 妻虹梁大瓶束 非違和田葺
    

組物
   
見舎側背面中段長押 身舎正面中備は頭貫より造りだしの蟇股に三斗を飾ります。
「本殿の蟇股、手狭、欄間などは当時代を代表する秀作とされ、木鼻に見られるS字形の線彫は、この地方特有の意匠。
細部の彫刻及び彩色のあとなど保存状況も良く、華やかな印象を与えます。三木市教育委員会」
身舎の蟇股
      


割り拝殿
 

 

 

油日神社 本殿
滋賀県甲賀市油日1042

当社の創立については、聖徳太子が社壇を造立し、油日大明神を祀ったと社伝にあります。約700mの油日岳の信仰と結びついて崇敬を集めてきました。
農耕と水の神を祀り、農耕神事が今も残っています。見事な神社建築とともに年間に繰り広げられる山岳信仰や民俗行事の祭典が見落とせません。
古来、甲賀一帯の崇敬をうけており、近世にいたっては徳川氏の崇敬篤く,甲賀の総社として扱われてきました。
 

当社の社殿は、近江地方の典型的な構成を残しており、楼門・拝殿・本殿が一軸上に並び、楼門の左右から回廊が延びて拝殿を取囲む形です。
本殿、拝殿、楼門、廻廊が国重文に指定されています。 板蟇股・蟇股が各社殿に使われていますので、配置順に並べます。

楼門 国重文 建立:1566年 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 附:棟札 3枚
   
腰組及び上階柱上の組物とも三手先の和様楼門の形ですが、下階の中央間には頭貫上とその上の通肘木上との2段に蟇股を入れています。
上段中央間の間斗束に付けた笈形と蟇股はこの楼門の特徴です。

蟇股
  
下段の蟇股は龍(正面)や瑞鳥(背面)を彫刻した通例の形です。上段は蟇股の枠を用いないで、植物の葉を反転の強い曲線で表した彫刻で斗を支えています。
上階の中央間の間斗束には蓮の花と葉の彫刻を付けているのが特異とされます。

間斗束の両側に装飾として彫刻を付けています。正面背面とも蓮唐草で、その輪郭は二等辺三角形を成し、蟇股のような形をしています。
間斗束の両側へ絵を描いた装飾をした例のうち、最古の遺物は法界寺阿弥陀堂内にあります。鎌倉期には奈良興福寺北円堂内陣に残っています。
  

廻廊 左・右廻廊 国重文 建立:1566年 梁間一間の廊を楼門の両脇よりのばす。10間、11間の長さ。住民の参籠所です。
   
円柱状に舟肘木、針上に大きな板蟇股をのせて棟木を受け、疎垂木、小舞打の化粧屋根裏で、床は板張り。簡素な構成で神社らしい風格の廊下です。
板蟇股
    
板蟇股が本来の構造材の役目で使われています。

拝殿 国重文 建立:1609頃:入母屋造 妻入、檜皮葺 桃山時代の建築で、三間四方の舞台形式です。
 
妻を正面とし、二軒疎垂木で正背面に軒唐破風を付けています。方柱上に舟肘木をのせ、廻縁は榑園縁、切目長押、内法長押をめぐらしています。
柱間はすべて格子戸引違建、天井は棹縁天井。均整の取れた軽快な感じの建物です。

蟇股
  

本殿へ続く中門
     

残念ながら本殿は撮影できません。部分のみの撮影です。
    

本殿 国重文 建立:1493年 三間社流造、間口三間、奥行三間、檜皮葺、附:棟札15枚 木割太く堂々とした風格をもっています。
明応2年(1493)年、社僧の勧進により甲賀郡内諸村の347人が米百八十石五斗六升五合、金子四十一貫四百文を寄進し上棟されました。
柱はすべて自然石の上に立っています。身舎柱は円柱で、庇柱と向拝柱は面取りの柱です。
向拝は連三斗に手狭を組み、中備に蟇股、前室は両隅柱上に連三斗を組んで桁と繋紅梁を受け、中柱上は平三斗組で各間に蟇股が入ります。
脇障子には舞楽を舞う人物像が浮き彫りにされています。

蟇股
     
左の蟇股には竹と虎、右の蟇股には雲と竜、中央には牡丹唐草(からくさ)に勧進者の花押(かおう)を彫られています。

鐘楼
    

不明
 

楼門の蟇股 「生きた鳩の彫刻」のお話 どこにでもありますが・・・

今から460年ほど前、油日神社の楼門が湖東地方甲良村の名工として知られる宮大工によって建てられました。その楼門が立派にできあがり、おひろめのためにおまいりの人たちでその時でした。何か音がするぞという声と共に誰それとなく楼門の方に視線が集まる先に、一羽の鳩が門の屋上高く舞い上がり、西にある大杉を越えて飛んでいきました。
「あれ何事や。」「なぜ鳩が出てきたんや。」などの声があがりました。そのうち、集まった人たちは、楼門の北に面した「蟇股」の中にあるはず
の鳩の彫刻が無くなっている事に気づきました。するとさっきの鳩は、本物の鳩になって飛んで行ったのではないかと大勢で鳩の行方を捜しま
した。しばらくして、「見つけたぞ!」と叫ぶ声がしました。鎮守の森の西側にある豆畑の中で一羽の鳩が豆をついばんでいたのです。
何人かが足音を忍ばせて近づいてみると、その鳩は新しい木の香りがする彫刻で下。それを見た人たちは、いくら名工の作とはいえ、
忍ばせて近づいてみると、その鳩は新しい木の香りがする彫刻でした。それを見た人たちは、いくら名工の作とはいえ、なんという不思議な
古都や斗黙ってしまいました。そして、ようやく鳩が動かなくなったので、元の蟇股に収めました。
ところが、それから毎日食べられました。これはきっとあの蟇股の鳩の仕業に違いないという噂がたちました。やがて、誰がしたことなのか、
蟇股の鳩の片方の羽がもぎ取られてしまいました。その後、豆畑は荒らされずに済んだそうです。
出典:甲賀地域研究会 甲賀湖南のむかしはなしより
 文中の宮大工 棟梁大工は甲良五良左衛門尉です

 


1494 雙栗神社 本殿 (さぐり)
京都府久世市久御山町佐山

雙栗神社の所在する佐山は久殿山町の南部に開けたかっての環濠集落で、当社は集落の北東部にあります。社名については諸説あるようです。
延喜式内社で、神社の記録では1125年に石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされます。

本殿門 国登録文化財 建立:江戸時代 玉石も国登録文化財です(江戸時代建立)
  
細部装飾
    

蟇股
 

本殿 建立:1494 国重文 前室付三間社流造 向拝一間 桧皮葺
   
前庇を前室とし、正面に一間の向拝を付けています。組物は出三斗、中備蟇股、妻は扠首組です。近年彩色が修復されて大変華麗な本殿になりました。
細部
妻・ほか
    
軸部は丹塗り、壁体は漆喰仕上げ、頭貫・内法長押・組物・蟇股は極彩色仕上げです。内法長押上の欄間彫刻、脇障子の欄間彫刻も見ごたえあります
妻には、雲・松・牡丹・鳳凰など極彩色で描かれています。

蟇股
  
本殿の斗供間には向かって右に「紅葉と鹿」、左に「花と鳥」を彫刻した蟇股が配されています。。

旧脇障子欄間 国重文 室町時代
    
脇障子の上部には「りすとぶどう」をあしらった精巧な彫刻をほどこしています。彫刻や形式が室町後期の作とされます

拝殿 登録有形 建立:1785 桁行三間 梁間二間 中央間を馬道とし、左右に広い板間を設ける
  
天井が高く、開放的な印象を与えます。組物は舟肘木で、中央間の楣上部に蟇股をおき、軒は一軒疎垂木。
割拝殿形式でありながら、板間の外回り三方を壁にしており、類例の少ない形式です

ここは久御山町です
 

クスノキの大木は、535cmの幹回り、樹齢400~500年とされます

以上で1400年代をひとまず終了とします。この期間は幕府の経済力が急速に衰え、中小寺院の建立が地方で目立った時期でした。
鶴林寺(兵庫・1399)から朝光寺本堂、吉備津神社、法隆寺南大門、醍醐寺清流堂、金峯山寺本堂・仁王門などが建立されました。その後の応仁の乱で
南禅寺、他の大寺が被災しました。
次月から1500年代に入ります。応仁の乱後は群雄割拠、大名領の形成が進み、社寺の再興が進みます。従い、社寺建築にも地域的な特徴が顕著となり装飾面に目が向き始めた時期でした。
室町後期から安土・桃山時代の1492年から1590年は、地方色がさらに際立ってきます。大名ポカ替えの大工工匠が育ち活躍します。地域外への拡がりも始まります。
建築彫刻が桃山に向けて大発展する時期へのスタートです。蟇股を専門とする工匠の誕生にもつながってゆきます。ボチボチ続けます。

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