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Monthly Web Magazine   Sep. 2023


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■蟇股あちこち 41 中山辰夫

京都大徳寺と石清水八幡宮と弘前最勝院です。いずれも余りにも有名な社寺です。大徳寺は令和5年4月に唐門、他の特別公開が行われ参加しました。
石清水八幡宮は桃山文化を引継いだ江戸時代初期特有の細部意匠が見られます。最勝院にはユニ-クな十二支と繊細な蟇股が配されています。


桃山時代前期 大徳寺 

(唐門 勅使門 :平成1999年から平成2002年の修理工事が行われました)
京都市北区紫野大徳寺町

令和5年4月に特別公開が行われました。
     
大徳寺は、京都市の郊外紫野に所在する臨済宗大徳寺派の大本山です。
本山の伽藍を中心に、西方周辺部に二十四寺の塔頭寺院が拡がり、叢林の中に禅刹らしい静寂な寺観を有しています。 
寺の創建は1234年に始まります。創建以来、純粋な禅風を旨として幾多の高徳の名僧を排出してきました。
特に戦国の争乱期以降、安土桃山時代から江戸時代にかけては多くの大名、豪商などの有力者の帰依を得て隆盛を極め、茶の湯を中心とした禅文化を開花させました。

アプロ-チ
      

総門
 

ここでは三門、勅使門、唐門、塔頭の明月院の蟇股を並べます。

■山門 国重文 下層:1525年、上層:1589年 五間三都二階侍従門 入母屋蔵 本瓦葺 大工:桑原甚兵衛吉家・楠木吉兵衛尉宗次 
      
下層だけあったのを、1589年に千利休の寄進により、上層部を継ぎ足して完成させた二重門です。
利休は自身の像を上層に安置し、そのことが秀吉の怒りに触れ,自刃を命じられたとされます。

初層の正面に板蟇股が配されています。外からは見えません。

上層部にも配されているとの資料もあります。妙心寺・知恩院・南禅寺の山門にも配されてあるようですが、未確認です。

■勅使門 国重文 1596~1615 四脚門 切妻造 前後軒唐破風付 檜皮葺
正面側と背面側
  
勅使門h、慶長内裏の西唐門を下賜されたとされます。前後に軒唐破風を付けた四脚門です。
外観からは、慶長期の闊達な精気に満ちた素晴らしい意匠で構成されており、かなりの格式をもった門と一目でわかります。
その構成は重厚で、絵様や彫刻も躍動感にあふれ、桃山時代最高潮に達した建築装飾の代表作の一つに数えられます。

正面側

正面側側面
   

正面見上げの唐破風 正面控柱通東蟇股 表・裏
      

親柱通の唐破風と蟇股 表・裏
     

その他正面細部
   

背面

背面側側面
  

背面唐破風
   

背面控柱通東蟇股 表・裏
  

背面控柱通西蟇股 表・裏
  

背面細部
     

妻飾
     

欄間の蟇股
   

欄間蟇股 東妻正面内側~背面内側~西妻正面内側~背面内側
    

総見院
    
豊臣秀吉建立 織田信長の菩提寺~ 1583年、豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立した寺院で、利休参禅の師、古渓和尚が開祖。
境内には織田家の墓が建ち並び、 本堂内には高さ115cmの「織田信長公座像」(重文)が安置される。

表門 - 唐門。天正11年(1583年)に羽柴秀吉が建立。板蟇股が配されています。

唐門

唐門は当代の代表的四脚門の一つで大方丈の前にあります。柵をめぐらしてあるので近づきにくいです。公開日には接近できます。
唐門も勅使門も桃山時代を代表する建築で、唐門は聚楽第の遺構とされ、勅使門は慶長内裏の西唐門を下賜されたものとされます。

唐門はもと勅使門の西に位置しており、1898年に現在地に移建されてから一度も修理を受けずに来ました。
3年をかけた平成の大修理で創建当時の風貌を再現し、面目が一新したとされています。

唐門は、伽藍の最も奥まった場所に位置する本坊方丈の、室中の間の正面前方に、築地塀を切って南面して扉を開きます。。
方丈前には江戸前期作庭の枯山水庭園(特別名勝庭園)があり、唐門の背面は庭園越しに臨まれます。

■唐門 国宝 建立:桃山時代 一間一戸四脚門 切妻造 前後軒唐破風付 檜皮葺 正面欄間彫刻 中央冠木上欄間彫刻 随所極彩色 黒漆塗
外観 
    
重厚な勅使門に対し、軽快な印象とされます。装飾手法は桃山時代の気風を反映して自由奔放で、冠木上の彫刻などは魅了されます。。

細部に入ります
□鬼瓦
    
鬼瓦と鬼板と獅子口を一緒にしたようなもので、桃山式を表しています。

■妻飾
□東妻正面 彫刻 「雲に麒麟」 阿形 巻たなびく毛は緑青、 口、実身、腹部は朱が使われています。
  
三角面に太瓶束を挟んで南・北面に相対する麒麟と雲をそれぞれ厚肉彫り彫刻をしています。
南面・北面で麒麟の体格、容貌、八雲の密度など彫り形にも相違が認められ彫師が異なっています。
麒麟は南面が吽形、北面が阿形。体躯は鹿、日本の角

□西妻正面 彫刻「鯉の滝登り」 吽形 体形はやや前前屈みで、楯髪や尻尾の毛が多く、立ち上がっています。巻たなびく髪は群青、
  
南・北面に相対する鯉の滝登りをそれぞれ厚肉彫り彫刻しています。東妻と同様厚さ三寸のケヤキ材の一枚板から掘り出しています。
勢いよく流れ落ちる滝に躍動感があふれる二匹の鯉が水しぶきをあげて登る様子が雄大に表現されています。

□獅子
  
本柱から出ている冠木に丸彫の獅子の彫刻が乗せられています。

ここより正面側及び背面側にはいります。

■正面見上げ 
    

■正面側軒唐破風 「雲に宝珠」 「波に海馬」
    
唐破風下の輪垂木と桁の間に、中央に据え付けられた蟇股内に雲間に宝珠、両脇に海馬(犀)と波涛の彫刻を嵌めています。
ヒノキの一枚板から蟇股を造出して彫刻を厚肉彫りにしています。宝珠は下部の双龍彫刻との組み合わせで掲げられたもの。
海馬は東側が群青色の吽形、西側が緑青色の阿形、宝珠を守護するかのように相対し、勢いよくかけのぼる姿勢を取っています。

蟇股「波に雲龍」
   
正面の頭貫上に体躯を勇壮に翻す双龍は、中央で互いに睨み合い、控柱上でとぐろを巻いて柱外の蝶羽に尻尾を突きだす構図です。
下部に波涛がほとばしり、上部に雲がたなびく、東が吽形で西が阿形で、尻尾が剣先と丸く納まるとの違いがあります。右の龍は塗られてません。

■棟木の蟇股
単独で配されている蟇股は、棟木下に三個、背面桁下に三個あります。
 
いずれも基本的な形は同じで、厚み三・二寸のケヤキ材を使用し、彫刻は脚から少しはみ出しています。
すべてが違う手にかかるともいえますが、それ以上に自由闊達な雰囲気の中で制作されたことが伺えます。
□棟木下東端蟇股 表面 裏面 (竹林の虎と唐松)
  

□棟木下中央蟇股 表面 裏面 「琴高仙人と杜若」
  

□軒下西端蟇股 表 裏面 「唐獅子牡丹」
  


□中央欄間 「松に孔雀」
  
対面する二羽の孔雀の大きな丸彫り彫刻を配しています。二羽とも雄ですが、東側が阿形、西側が吽形で、彩色も体躯の基調色を群青、緑賞と変化してます

□葡萄唐草
 

■背面側見上げ
  

□背面軒破風 「波涛に鯉」 「恵比寿」 「海の幸」
  
□棟木下中央蟇股 表面 裏面 「琴高仙人と杜若」
 

棟木の蟇股
 

□軒木西端蟇股 表 裏面 「唐獅子牡丹」
  

□棟木中央蟇股 表面 裏面 「琴高仙人と杜若」
  

□軒木西端蟇股 表 裏面 「唐獅子牡丹」
  

■松に孔雀
 

■参考
彫刻設置状況
  


1634 石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊

石清水八幡宮は京都盆地の南西部、男山の山頂に鎮座します。859年大安寺の僧行教が宇佐八幡宮より勧請したのが始まりとされます。
創建当初より仏教職が強く、明治の神仏分離まで神宮寺の雄徳山護国寺の管轄下にありました
創立後まもなく、社殿の多くは今日の規模と大差ない姿に整えられたとされ、現社殿は1634年の造替で、細部意匠に江戸前期の特色が示されています。

石清水八幡宮は、寛永11年(1634)建築の本殿などを含めた中心社殿が、重要文化財に指定されています。
周囲の摂社若宮社、若宮殿社、水若宮社、住吉社の各本殿や、東総門、西総門、北総門も、中心社殿と同時期の建築であり、飛地境内に所在する摂社狩尾社本殿は、慶長6年(1601)に建てられた、境内最古の社殿です。
 摂社若宮社、若宮殿社、狩尾社の各本殿は、石清水八幡宮の社殿形式の展開を知る上で重要な社殿です。
同時期に建立された摂社水若宮社、住吉社本殿、東総門、西総門、北総門も、これらとともに近世初頭の境内構成を伝えており、価値が高いとされます。

各社殿の蟇股をあちこち見て廻ります。裏参道コースからスタートします。

一の鳥居
 

泉殿 頓宮北門の左手前にある。両開きの菱格子の中に四方石組で囲まれ、現在まで厳寒にも涸れることがない。
  

北門 左右の門扉に菊の御紋を置いた格調の高い檜皮葺の四脚門
  

南門 もと山上の南総門で、1939(昭和14)年に移築したものであり、頓宮殿と同様に桧皮葺屋根から銅板葺屋根に葺き替えられた
  

頓宮殿 1915年に造営 飾り気のない御殿であるが威風堂々とした姿であり、重儀が斎行される重要な社殿
   

二の鳥居
 

石清水社と石清水井 府指定文化財
 
男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮鎮座以前の起源に遡り、鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされます。
明神鳥居(京都府指定有形文化財)は1636年に京都所司代・板倉重宗による寄進。境内に完全な形で残る鳥居としては最古のもの。

石清水社
      

石清水井 現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に献供されます。男山五水の一つ。
     

三の鳥居
 

書院
    
石庭は作庭家・重森三玲作 作庭: 1952 南北約27m、東西約6mの方形の中に白砂を敷き海洋を表わす。14個の石を島に見立てて配し、三尊石も組む。

六角形石灯籠 国重文 15個目の石として、鎌倉期の石灯籠を配す。当宮に450基石灯籠がある中で最古のものです。
 

 

いよいよ境内(上院)です。

上院は周囲を築地塀に囲まれており、国重文指定の南総門・西総門・東総門・北総門が設けられています。
総門の構造・形式は同じで、寛永年間(1624~43)頃の建立で、一間一戸の四脚門、本瓦葺の唐門ですが、南総門だけは唐破風です。
ここでは総門から巡ります。

西総門・東総門・北総門 国重文 妻部に板蟇股が配されています。 
    

南総門 国重文
正面と見返り 蟇股・他
    
その他蟇股・他
   

廻廊 国宝 建立:1624 桁行十三間 梁間二間 一重 入母屋造 檜皮葺 全長180m 総丹朱塗 各連子子は緑青塗 蔀戸は黒漆塗
東側面立面と立体図及び西側面立面
      
楼門から東門まで、楼門から西門までと、両門から北へ背面にコの字型に廻した廻廊。楼門の周囲を長さ180mの廻廊が結んでいるのは圧巻です。

楼門拝所 国重文 建立: 1634年 一間一戸楼門 入母屋造 檜皮葺 正面拝所:桁行二間 梁間一間 一重 向唐破風造 
全景
    
正面の蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、よく見ると向かって右側の鳩は少し口を開けています。
神使の鳩が狛犬と同様に阿吽の呼吸で御神前をお守りしています

楼門拝所二重虹梁上欄間彫刻
  
双鳩の少し上には極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻が施されています。
東に虎、西に龍の彫刻配置は四神(神獣)の関係から考えると逆のようで、これについては諸説の謂れがあるようです。
蟇股
      

木鼻
  

いよいよ国宝が連なる神域に入ります。社殿内部は廻廊のスリットより内部をうかがい知るのみです。

石清水八幡宮本社10棟が国宝に指定されました。 京都の国宝所在数は奈良を抜いて日本一になりました。
八幡造形式の本殿と、前面に連なる幣殿および舞殿等を瑞籬と廻廊で囲み、緊密に一体化した社殿です。

本殿は、周りを瑞籬(みずがき)が囲み、欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿です。
その数は欄間彫刻だけでも150点以上あるともいわれ、動植物・他が彫られています。
楼門正面や西門、東門の隙間から窺える彫刻からも推測できます。
内部は撮影できませんので、工事報告書から抜粋しました画像から彫刻の出来栄えを感じてください。
    

幣殿・舞殿
     
幣殿:国宝 桁行三間 梁間一間 一間 切妻造 檜皮葺 接続 参詣者が幣帛・献上物を捧げる社殿 
舞殿:国宝 桁行正面一間 背面三間 梁間一間 一重 切妻造檜皮葺 舞楽を行う舞台
いずれも主要部は総朱漆塗 彫刻欄間 蟇股は妻箔極彩色塗です。
 
幣殿背面中央蟇股・欄間彫刻
  

幣殿繋虹梁上板蟇股
 

幣殿欄間
    

幣殿背面欄間
  

幣殿背面結界欄間
     

舞殿欄間
  

瑞垣 一周延長四十七間、銅板葺 門及び閼伽井棚付属 彫刻は極彩色塗 彫刻欄間の框見付は緑菁塗
         

幣殿~外殿~本殿と繋がりますが入れません

本殿 桁行十一間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺 
外殿 桁行十一間、梁間二間、向拝三所、一重、流造、檜皮葺、相の間を含む
ともに、桁行十一間、内部において桁行三間を一間とした独立屋です。
夫々中央を第一殿、東を第二殿、西を第三殿と称しています。
本殿、外殿に架かる軒樋は青銅の鋳物で通称黄金樋です。

本殿平面図と外殿
  

外殿向拝
蟇股 第一、第二、第三殿共に妻は箔極彩色塗
      

手挟と斗栱
    

木鼻 第一殿左右に竜鼻、第二殿左に象鼻、右に獅子鼻、第三殿は、第二殿の逆です。
  

廻廊東門 国宝 再建:1624 一間一戸門 梁間三間 拝所一間 流造 本瓦葺
  

本屋は格天井、総丹朱塗、木鼻・蟇股は極彩色塗、飾金物が随所に使われています
蟇股1(見返しを含む)
   

蟇股2
   

周辺の蟇股
    

木鼻
  

廻廊西門 国宝 再建:1624 一間一戸門 梁間三間 拝所一間 流造 本瓦葺
   
本屋は化粧屋根裏 他は東門と同じです

蟇股1
   

蟇股2
  

蟇股3
    

木鼻
  

目貫の猿 一日二回の見学コースに入って見られます。
 

北総門
 


 

 

上院内には多くの摂・末社が所在する。重要文化財の指定を受けている本殿もある。

摂社・水若宮社本殿 国重要文化財指定 一間社流造 朱漆塗り仕様で869(貞観11)年鎮座 宇治稚郎子宮を祀る
  
蟇股と木鼻
      

末社・気比社 本殿北側 一間社流見世棚造 朱塗 1505(永世2)年鎮座 気比大神を祀る
 

摂社・若宮殿社本殿 国重要文化財指定 三間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 応神天皇の皇女を祀る
   

摂社・若宮社本殿 国重要文化財指定 三間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 仁徳天皇を祀る 江戸時代前期の再建
       

末社・貴船社・龍田社・一童社 
  

摂社・住吉社本殿 国重要文化財指定 一間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 底筒男命を祀る 重要文化財)  江戸時代前期の再建。
          

末社・広田社・生田社・長田社 三間社流造 1055(天貴)年鎮座 広田社は天照大御神、生田社は稚日女命、長田社は事代主命を祀る
 

末社・三女(さんじょ)神社 一間社流見世棚造 朱塗 1339(歴応2)年の鎮座 宗像三女神を祀る

   
直ぐ近くにある「供御井」 「供御所」に近い。
  

摂社狩尾社本殿(重要文化財) 慶長6(1601)年の建築 三間社流造、檜皮葺、周囲玉垣附 属石清水八幡宮最古の建物です
       

八角堂 再建:1607 
     
1607年豊臣秀頼によって再建されたとされます。正方形の四隅を切りとった隅切形八角形です。
もと男山西谷にありましたが、明治の廃仏毀釈によって現在地に移されました。(撮影2009年」
堂内に安置されていた阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、現在、正法寺の法雲殿に安置されています。

2014年度から2019年にかけて保存工事が行われました。
外観・内観 南西・北西四天柱 
    

摂社と末社
 


1662 最勝院 五重塔
青森県弘前市大字銅屋町

最勝院は、天文元年(1532)、高野山より下向した弘信法印が伽藍を造営して開基しました。
藩政時代は、弘前八幡宮並びに津軽領内1133社の総別当職を拝命しました。
住職は京都勧修寺の宮家出身。宮家の住職は、津軽では最勝院のみで、これが絶大な勢力をもった要因ともいわれます。
神仏分離令でにより別当職を廃せられ、現在地に移転して本堂・五重塔を引継いでいます。

最勝院にある弘前は、江戸時代10万石城下町として、津軽城主の下に繁栄しました。
最勝院は弘前城跡の約1.3km南にあります。一帯は高台になっており、市内のいたるところから五重塔を遠望できます。

五重塔は1666年に建立されました。弘前のシンボルとして親しまれ、その美しい姿は有名です。
1927年に半解体修理を実施、1991(平成3年)の台風19号で被害を受け、建立325年にして初めての全解体修理が行われました。(1992~1994)
□アプローチ
   

■五重塔 国重文 建立:1662 方三間 五重塔婆 銅板葺 南面 宝形造 二軒繁垂木 高さ:31.2m
     
各面とも中央間に出入口を設け、四周に切目縁を廻しています。内部は来迎壁を設け、禅宗様須弥壇を置いています。
二重から五重まで側柱は全て丸柱です。各柱位置に禅宗様三手先を置き、尾垂木は平を一段、隅を二段としています。
各面中央間を扉とし他は板壁、初重は正面のみ連子窓で三面に円窓、二・三重に格狭間、四・五重に短形の盲連子を配しています。心柱は杉一本の角柱。

□細部意匠面の特徴
外部の組物、初重の中備は蟇股。蟇股というより笈形に近いもので、束には方位に合せた十二支の文字も彫られています。 
     

二重は蓑束です。
         

三重は特徴的な形状をもつ束。
四重・五重は額縁内面を一般的な形状の撥束です。
   
□各重の組物中備 初重、二重、三重、四重、五重・
 

□初重蟇股
   

□最勝院所蔵の絵図
 
作図制度が高く、製作当時の五重塔の実体を色彩を通して表現されています。この絵図の制作は享和修理時頃(1801~4)とされます。

□初重内部宮殿と須弥壇周辺
   

□初重内部蟇股
       

◇◇◇ 層塔蟇股と十二支につにて最後尾でふれます。


■仁王門 一間一戸 八脚門 切妻造 正面背面軒唐派風付 瓦棒銅板葺 正面三間でうち一間が通路
 
津軽地方には「一代様」という独特の干支信仰があり、最勝院は卯年の守り神とされています。「卯歳一代様」

■鐘楼と手水舎 手水舎に配されています力神の彫刻は四面にあって喜怒哀楽の表情を表しています。
    

■本堂 向拝三面 正面千鳥破風付 入母屋造 唐破風付 瓦棒銅板葺
     
向拝には三個の透かし彫り蟇股が配されています。

• 日本建築史圖録 天沼俊一氏著の補遺編 167ペ-ジに下記の説明が記載されています。
 
内容の写真をならべます
1-比叡山延暦寺 伝教大師廟所 資料なし

2-勝鬘院 多宝塔 建立:1597年
  

3--本門寺 五重塔 建立:1608年
  

4-寛永寺 五重塔 建立:1631年
  

5-浅草寺 五重塔 建立:1648年 再建:1963年 蟇股の写った最近の写真が無いでする
   

6-天王寺(東京・谷中) 五重塔 建立:1644年 1957年放火で焼失:
 

7-日光東照宮 五重塔 建立:1650年 再建:1818年
  

8-二荒山神社 本殿 建立1617年 十二支の間に草花が入る
   
 
9-最勝院 五重塔 建立:1662年
  

江戸では十二支を配することがブ-ムとなった時期があつたようです。

 


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