JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine   Nov. 2023


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■蟇股あちこち 43 中山辰夫

 

兵庫県丹波市周辺の社寺です。この地域には中井権次一統の彫刻が多く見られます。
一統の先駆けとなったと柏原八幡宮や県指定の摂社・五社稲荷神社、彫刻が多用されている高座神社、歴史を感じる常勝寺、西楽寺、日出神社です。


1585 柏原八幡宮 本殿    柏原八幡神社は令和三年に改称しました 
兵庫県丹波市柏原町柏原3624

創建は万樹元年1024年で、石清水八幡宮より分霊を勧請し創建されました。
創建当時の社殿は南北朝時代の1345年の兵乱で焼失し、間もなく再建されましたが、1579年の信長の丹波攻めの兵火で焼失しました。
後に、羽柴秀吉が3年の工期を経て天正13年(1585)8月に竣工したのが現在の社殿です。
構造形式は、本殿と拝殿が接続した複合社殿であるところに特色があります。

神社が建つ八幡山は全体が神域で、石段を約150m上った山頂の南北二つの台地は、南方が社殿で、一段高い北方には三重塔および鐘楼があります。

上る途中にある社務所は旧別当寺で、明治以降社司が受け継いだもので、山門の造り、妻構えの大きい入母屋造茅葺・三階建の建築です。

    

■拝殿 国重文 再建:1585 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、背面本殿に接続、向拝一間、軒唐破風付、檜皮葺
    

□正面妻組 妻虹梁大瓶束 中備蟇股 大棟鬼板 唐破風臆鬼板
    

□向拝 一間向拝 軒唐破風造 江戸中期の新造で江戸末期に補修されています。
  

□毛通
 
裏面に「彫物師 中井正貞」とあります。文政の頃、柏原に在住の彫物師の作。この時に破風板、裏甲とも取替修理されています。

□棟束飾
   

□正面組物と桁隠
   

□向拝正面
    

□拝殿身舎の正面の蟇股
   

■本殿 国重文 再建:1585 三間社流造、千鳥破風付、向拝の張出部は隅木入向唐破風造 檜皮葺 (現在は銅板葺)
     
「権現造」の先駆けとなる建築様式として非常に貴重とされます。
建築手法は桃山時代の様式を取り入れているが、彫刻の部分は室町時代の様式です。

□本殿西側面と妻組
  

□細部 
       

□庇部細部
虹梁木鼻 「木の葉に毛筆」、蟇股と蓑束  
    
象鼻に模した形の頭貫木鼻の、東は枇杷を西は梶の葉に筆二本を包んで紐結びし、墨を添え、瑞雲を配した彫刻を半肉彫しています。

□本殿の正面、背面などに蟇股が配されています。場所が特定できませんが並べます。
          

□脇障子
 

■三重塔 県指定 再建:1815 三間三重塔婆、本瓦葺、檜皮葺、総高23m。「八幡文庫」の額が掛けられている。
   
1815年に彫刻師の中井権治が中心となって再建したとされます。なお、神社に塔が残っている事例は全国で18例のみとされ極めて珍しいです。

初層の四面それぞれに鳥(鶴も含む)が彫刻され、尾垂木には竜の頭が、上下の尾垂木には力士の彫刻が配されています。

□正面側
      

□背面側
       

□左右側
       

■鐘楼 - 梵鐘(県指定文化財)は「厄除開運難逃れの鐘」と呼ばれています。
      
康応元年(1389年)と天文12年(1542年)の2つの年号が刻まれているのが特徴です。康応元年銘の前に「丹波国氷上郡高山寺」と刻まれています。
豊臣秀吉が大砲鋳造のために郡内の鐘を集めた際、そこに丹波市氷上町にある高山寺の鐘楼もあり、それがたまたま柏原八幡宮の社僧の目に触れ、特に優れた物だったため、秀吉に願い出て当社に寄進されました。

■境内社

□八坂神社
    

摂社 五社稲荷神社 県重要文化財 建立 :1796

五社稲荷神社の創建は不詳です。
同じ境内にある柏原八幡神社が1024に勧請されている事から同時期に伏見稲荷大社の分霊が勧請されたとされています。
五穀豊穣や防火に御利益があるとして歴代領主から崇敬庇護されました。
宝暦6年(1756)には柏原藩3代藩主織田信旧が現本殿を造営しています。大工:飛田平蔵 彫刻は中井一党

■境内
    

■本殿 県指定 創建:1756 桁行三間 梁間二間 入母屋造 千鳥破風付 向拝 隅木入向唐破風造 檜皮葺の屋根を銅板葺に改修
     

■彫刻は柏原出身の名工として知られた中井言次君音の作。

向拝木鼻には獅子と龍、欄間には龍、懸魚(兎の毛通し)には鳳凰、手狭には植物、脇障子には龍、蟇股には神獣などの精緻な彫刻が施されています。

□破風
   

□向拝周辺
        

□庇部
   

□身舎部蟇股
          

■軒下や脇障子に施された龍や動物の彫刻は、中井権次一統の4代目・言次君音の作。
    


1705 高坐神社(たかくら) 本殿
兵庫県丹波市山南町谷川

高坐神社は丹波市南部の山裾に鎮座する神社で、本殿は1705年に地元の大工によって建立されました。
本殿は丹波地方で最大級の規模の神社本殿です。顕著な地方的特色と意匠的独創性を備えた神社として高い価値を有しています。
独自の平面や複雑かつ巧緻な組物、華やかな屋根形式などに豊かな創意と高い技量が看取できます。
加えて向拝形式や細部装飾の各所に当地方の社寺建築の特徴が認められるとされます。
造営背景が明らかで江戸中期の丹波地方における近世神社本殿の指標となる点でも重要とされます。

■アプローチ 
    

■随神門 三間一戸、八脚単層門、切妻、檜皮葺
      

■拝殿 割拝殿形式、平入、正面軒唐破風、入母屋、銅板葺 
         

■本殿 国重文 建立:1705 桁行正面五間 背面六間 流造 正面千鳥破風二か所付 向拝一間 入母屋造 軒唐破風付 

全景
     
身舎の桁行を正面五間とする流造形式で,中央に入母屋造,軒唐破風付の向拝を付け,さらに屋根の左右に千鳥破風を飾ってます。
全体に建ちが高く独創的な屋根形式です。極彩色を施した多彩な彫刻類が目立ちます。

本殿の蟇股は中備、妻飾、向拝、虹梁上に31ヵ所あるとされ、墨書も残っているようです。全部は見えません。

□屋根
3   
大屋根に左右二箇所の千鳥破風を飾ります。向拝入母屋鬼板および軒唐破風板には彩色を施し、恵比寿と大黒の彫刻を飾ります。

■妻飾 東西両側にあります
    

□妻飾 西面側細部 大蟇股は鳳凰、中備蟇股は麒麟と犀 板支輪も彩色
      

□妻飾 東面側細部 大蟇股は孔雀、中備蟇股は唐獅子と孟宗
      

正面に入ります

□向拝正面の水引虹梁上の蟇股—高砂 と 力神
   
高砂は能の演目にもなり長寿・長久を祈念します。
高砂の蟇股上の二重虹梁と軒唐破風の茨垂木に囲まれた隙間にあり両脇を雲形の彫刻で埋めています。
主に山車や山戈に使われますが、この地域では神社本殿に使われる例があります。

■向拝正面
     
木鼻は獏でしょうか 牡丹が彫ってあります。

■向拝側面
    

■身舎の廂正面の蟇股
 
□蟇股は6個並びますが真中2個は写せません。鹿と楓 菊慈童と芙蓉 布袋と椿 恵比寿と松 東方朔と桃 虎・竹です 
    
動物、人物、七福神を左右対称に配置しています。

□木鼻
  
象と獅子の彫刻です。象は全体を白く塗り、目に墨を差し口、耳を朱で塗り分け立体感を出しています。

□手挟
            
6ヵ所に配しています。全体を篭彫りとし、極彩色を施しています。向拝を見上げた際に良く目立つ装飾性の高い彫刻です。
迦陵頓伽(天人)→牡丹→菊花と左右対称に配し、外側から一番手の込んだ彫刻を見せ、内側に行くほど簡略化しています。板支輪の画像も含みます。

■内外陣境周辺
 

□蟇股 鳥を主題とし、植物と鳥を組み合わせています。6個配しています
      

■背面 
    

□蟇股 6個配されています
       
蟇股は実のなる植物が主題です。平安時代から丹波の特産品である栗や柿・真桑瓜・茄子・枇杷・柘榴と身近な作物ですが、建築彫刻としては珍しいです。
茄子の蟇股の裏面に 「大坂あっち町長谷川伝衛門 彫刻細工」の墨書があって、大坂の彫り師とわかりました。

■板支輪
側廻りには、二手先目の通肘木と丸桁の隙間を塞ぐために板支輪が取り付けてあります。彩色されています。迦陵頓伽や雲に鶴、波に水鳥、などです。
      

■彫刻
多彩な彫刻が、板支輪、蟇股、木鼻、尾垂木、持送、手狭、脇障子などに配されています。脇障子以外はすべて彩色されています。
重複も含みますが躍動感のあるものをならべます。
                  
題材は麒麟、犀、竜、獏、象、などの霊獣、牡丹、菊のようです。

■脇障子
  


1697常勝寺 本殿
兵庫県丹波市山南町谷川

常勝寺は背後に聳える観音山の山麓に建つ天台宗の寺院です。645年開創された古刹で、白鳳時代に東播磨に多くの寺院を開いた法道仙人が開基とされます。
七道伽藍が建ち並ぶ大寺でしたが、永保年間に焼失して衰退、その後再興され中世は栄えましたが、1575年明智光秀の戦火で全山消失しました。
1697年、良海法印が再興し、五ケ院を有していましたが、明治以降は慈眼院のみとなり現在に至っております。潜んだ歴史が感じられました。
 

寺の手前にかかる石橋から石段がまっすぐにのびます。その石段はおよそ370段です。すぐに出合う仁王門を過ぎます。
   

途中に庫裏があり、正面の躍動的な「龍」の蟇股の彫刻は中井権次一党の作品とされます。石段はまだまだ続きます。
  

さらに上ります。両側の杉木立・石仏群を過ぎます。桜や紅葉のシ-ズンは絶景のようです。境内に着きました。
   

本堂 再建:1697 桁行五間 梁間四間半 向拝付 総ケヤキ造 銅板葺
   

向拝周辺
   

正面細部の彫刻 中井一統らしい彫刻です。
          

身舎正面の蟇股 生き生きした龍です。
    

権現宮 堂まわり四面の彫刻が素晴しいです
外観
    

正面
 

向拝
     

身舎
     

左側側面
      

右側側面
    

脇障子
  

鐘楼
   

参考
中井権次(ごんじ)は、徳川家康お召し抱えの京大工師・中井正清の血統を受け継ぐ彫物師の一統です。
元和のころ(1615~1619年)に、柏原藩織田家藩主織田信則が、柏原八幡宮の三重塔を再建するに際し、中井家の兄弟を京都から呼び寄せました。
彼らは三重塔再建後、そのまま柏原に住み着き、その後子孫代々が、江戸時代中期から昭和にかけて、丹波、播磨、但馬、丹後の神社仏閣に龍や霊獣の彫り物作品を残しました。
六代目正貞から権次を名乗り、今では柏原中井一統は中井権次一統と呼ばれています。


西楽寺
兵庫県丹波市柏原203

篠山街道を挟んで、柏原八幡宮と面しています。
創建年については不詳です。開基は法道仙人とされます。元和年間の1615~24年に、貫誉上人に再興されました。


鐘楼門(山門) 建立:不詳 彫刻:柏原西垣師
      
右側に達磨絵、左側に「西園寺卿本陣史跡」があります

本堂 建立:不詳 中井一門4代・中井言次君音
        

子安観音堂 建立:1782 彫刻:中井一門5代 中井丈五郎正忠
     


日出神社 本殿
兵庫県豊岡市但東町畑山

延喜式内の小社で、現本殿は室町時代末期に建立された三間社流造の建物です。
正面庇部分は江戸中期の改造によって替わっていますが、細部の部材になお当初のものを残しています。

アプローチ
  

本殿 国重文 再建:1467~1572 三間社流造 身舎側面二間 中備蟇股 こけら葺 
  
本殿毋屋が舟肘木、庇が三つ斗組になる、兵庫県の室町時代末期の三間社流造本殿の一例として貴重とされます。

蟇股
     

木鼻
  

 

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