■蟇股あちこち 47 中山辰夫
宮城県の最終です。瑞鳳殿、感仙殿、善応殿、瑞鳳寺、円通寺、陽徳院そして仙台東照宮です。
70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により二代目藩主忠宗公によって瑞鳳殿が経ケ峯に造営されました。
以降、感仙殿、善応殿が造営され、経ケ峯伊達家墓所に安置されています。
桃山文化の遺風をつたえる江戸初期の豪華絢爛な廟建築として国宝にも指定されましたが、戦災で焼失し、昭和に再建されました。
他に円通院、仙台東照宮などを報告します。
1636 瑞鳳殿
宮城県仙台市青葉区霊屋23-2
仙台藩初代藩主伊達正宗公の霊屋・瑞鳳殿は、霊屋下の奥まった坂道を登り、さらに左手の階段をのぼります。
正宗公は1636年に70歳で生涯を閉じました。その翌年の1637年、遺命により、仙台城下を眼下に望む経ケ峯に造営されました。
本殿・拝殿・唐門・御供所からなり、桃山様式の豪華絢爛な霊廟として、1931年、二代目藩主忠宗の廟所感仙殿と併せて国宝に指定されました。
しかし、いずれも三代藩主綱宗の廟所善応院とともに戦災で焼失しました。現在の瑞鳳殿は1979年、感仙院と善応院は1985年に再建されたものです。
■老杉の巨木が立ち並ぶ参道
■涅槃門 四脚門 樹齢数百年の青森檜葉(ひば)を用いて焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。
妻部の装飾 獅子と牡丹の丸彫
蟇股 正面と背面 麒麟と瑞雲の透かし彫り
■唐門
■拝殿
瑞鳳殿 1979年に再建され、2001年に改修が行われました。黒漆に飾り金具、岩絵の具で彩色された彫刻や、蒔絵など壮観です。
桃山文化の影響を受け
全景 黒漆に飾り金具、岩絵の具で彩色された彫刻や、蒔絵など壮観です。桃山文化の影響を受けています
正面の装飾
蟇股と天女
その他、柱には彫刻獅子頭、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現、創建当時の姿が甦りました。
伊達正宗公の御尊像と関連 紋は「竹に雀紋」-伊達家累代の定紋
殉死者20名の墓地
伊達家は家紋の多い戦国武将とされます。紋が多いことは歴史が長く、伝統ある家柄といえます。
瑞宝殿の廟野正面の紋です。「竹に雀」 「九曜紋」「菊紋」
感仙殿、善応殿、それぞれ異なります。
1637 瑞鳳寺
宮城県仙台市青葉区霊屋23-5
瑞鳳寺は伊達正宗公の眠る瑞鳳殿の香華院として経ケ峰中腹にあります。
当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永14年(1637)2代忠宗公によって創建された御一門格寺院です。
御本尊は釈迦、文殊、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの、梵鐘は1637年忠宗公の寄進によるもので県指定の文化財です。
度重なる火災により荒廃し、大正時代に復興しました。
■山門
■本堂
□周辺細部
□身舎蟇股と鐘楼
□冠木門 三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあったものを移築。通称は高尾門
家紋 「雪薄紋」? 政宗の時代に家紋として使用。後代になって、優雅な文様から姫方の替紋として使用,家中の功のあった女性に下賜された。
□茶室瑞新軒
□賽銭箱
伊達家の家紋いり 三引両紋 竹に雀紋
1647 円通院 三慧殿
宮城県松島町内67
■円通院は、瑞巌寺に隣接した臨済宗妙心寺派の寺院で、伊達正宗の嫡孫、光宗の菩提寺です。
周囲に国宝瑞厳寺や五大堂など、静寂で厳粛なおもむきのある場所に囲まれています。
本堂からさらに奥まった所に三慧殿があります。
■三慧殿 国重文 建立:1647 桁行三間 梁間三間 一重 宝形像 本瓦葺
仙台藩二代藩主伊達忠宗の世子光宗の霊屋で、建物は方三間、宝形造とし、格式ある方三間霊屋の東北地方では数少ない遺構です。
内部に光宗軒乗像を祀る禅宗風の厨子がありますが、厨子の各所に施された彩色文様は極めて華麗であり、中には洋風の文様も見られめずらしいです。
仙台藩の大工の手になる江戸時代初期の代表作です。
蟇股は身舎四辺に計12個配されています。はらわたが無くなったものが多いです。
厨子 中には白馬に跨がる衣冠束帯の光宗公の像と殉死された七人の像が祀られています。
細部
洋バラと水仙
政宗が1613年に支倉常長らを遣欧使節としてローマに派遣しました。常長が持ち帰ったとされる、ローマを象徴するバラとフィレンツエを象徴する水仙が描かれています
西洋的な模様が描かれており、西洋と日本のつながりを示す貴重なものとされます。ハートやスペード模様も描かれています。
荘重な厨子の図案は支倉六右衛門常長が西欧より持ち帰った様々な文化を模様として描き、当時鎖国制度を施行していた徳川幕府に対しは、伊達家の霊屋と申立て、その扉は開けることが無かったとされます。そのため、三世紀半もの間公開されずに現代に至った伊達藩の秘蔵です。
■円通院 本堂 「大悲亭」
寄棟像 茅葺 庭は小堀遠州作とされます。度重なる大火、地震、空襲を潜り抜けた貴重な建造物とされます。
本堂大悲亭は光宗君の江戸納涼の亭で、愛息の早逝を悼んだ忠宗公が1647年解体移築したもの。
1654 仙台東照宮
宮城県仙台市青葉区東照宮1-6-1
東照宮駅の北焼く200mの所二あります。もとは小田原玉手崎と呼ばれた丘陵地です。
仙台藩二代目藩主伊達忠宗は、1637年年の大水害復旧のため、江戸幕府から銀5000貫を借用したことの返恩として、家光に東照宮建立を願い出て許されました。大工棟梁に梅林彦作を任じ、藩の総力を挙げて着工しました。
■石鳥居 国重文 備前国犬島(現、岡山市)産の花崗岩 優美で安定感のある明神鳥居の典型です
石燈籠37基が建ち並ぶ厳粛な雰囲気を感じる参道を登ります
■随身門 国重文 建立:: ケヤキの素木造 三間一戸楼門 八脚門 銅板葺 左右に随身像 楼門形式 入母屋造
軒は二軒繁垂木・尾垂木のある三手先斗栱組や二階の勾欄付縁が複雑で、重厚な趣を抱かせます。
□蟇股・多く配されています
■手水舎 県指定文化財
■拝殿 再興:1964 ケヤキ造 一間の向拝が付く 背後に弊殿を設けています
□向拝周辺 動物は鷹です
□身舎の周りにも蟇股が配されています
本殿と拝殿は別棟となっています
■唐門と透塀図面
■唐門 国重文 建立:1654 一間一戸向唐戸 銅瓦葺 扉の格間の綿板に、金箔の丸形彫刻を施した華麗な門です
□蟇股と飾金具金鍍金
■透塀 国重文 建立:1654 一周延長79.4m 銅瓦葺
唐門の両側から黒漆塗りの連子窓で上部を透かしています。本殿を囲っており、この一角を操縦な雰囲気に保っています
■本殿 国重文 建立:1654 桁行三間 梁間二間 備雉十 入母屋造 向一間 銅瓦葺 ケヤキ造 三間二間、三方に縁を廻す
棟に千木・鰹木を乗せ、軒には支輪をつけた二手先斗栱を組む。
折桟唐戸の格間には天女と唐獅子の円形浮彫、桟・框には七宝をちりばめた徳川家の三つ葉葵紋の飾金具が施されています。
細部の撮影は透塀の隙間からです
□向拝周辺
□本殿蟇股 身舎の蟇股の配置
□蟇股
□錺金具
1660 陽徳院霊屋(たまや)
非公開
宮城県宮城郡松島町松島
■1649 陽徳院
松島湾の沿岸部に所在し、瑞巌寺の北側に境内を構えています。
慶安2年(1649)、伊達政宗の正室愛姫の菩提寺として、伊達忠宗が瑞巌寺の住職雲居を招き開山しました。
■陽徳院霊屋
陽徳院に附属した伊達家の霊廟です。政宗の瑞鳳殿に類する豪華さと優美さを誇ります。
瑞巌寺及び周辺の関連寺院に残る桃山時代から江戸時代前期までに整備された建造物群と一体的な価値を有しています。
また、東北地方の霊屋建築の典型を示すものとして高い価値が認められています。
普段は非公開です。ここでは保存修理報告書を殻の転記を主に進めます。
■霊屋 国重文 建立:1660 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、正面向拝一間、銅板葺 愛姫を祀る霊廟
□外観
方1間、向拝を付け、廻縁をめぐらす。屋根は宝形造、銅板葺(元こけら葺)。外壁及び縁は、漆塗、各所に金箔を押した痕跡があります。
外部は均衡のとれた形態で、黒漆塗とし、軒まわりの要所を極彩色で引締める、落ちついた仕上げです。
□内部 向拝組物廻詳細、正面よりの天井見上げ、正面よりみる内部
内部は床板張、板壁金箔押、長押胡粉彩色、格天井彩画、壇は黒漆塗、金具付で、尼姿の夫人の像を安置している。
規模も小さく、いかにも女性を祀るのにふさわしい繊細優美な建築です。
■各部詳細
□身舎組物廻(正・西面よりみる)、(正・東面よりみる)、(背・西面よりみる)、(背・東面よりみる)
□向拝組物廻り (西よりみる)・(みかえし)、(東よりみる)・(みかえし)
□向拝中央蟇股 正面・見返し
□向拝 丸桁(菊紋)・丸桁持送り(巴紋)・虹梁(桐紋)
□向拝丸桁見返し (鳳凰 東側)、 向拝丸桁見返し (鳳凰 西側)
□手挟 (東側西面)・(東側東面)
□桁置上 「正面・東面・西面・背面」
□身舎組物廻(正・西面よりみる)、(正・東面よりみる)、(背・西面よりみる)、(背・東面よりみる)
□身舎蟇股
1985 感仙殿 経ケ峯伊達家墓所
宮城県仙台市青葉区霊屋
政宗の墓所・瑞鳳殿から少し離れた所にあります。経ケ峯にある二代目藩主・忠宗の御霊屋です。1664年完成
偉大な先代の後を継いだ忠宗は、戦とは無縁な泰平の世にあって、その仙台藩の基盤整備に力を尽くします。
没後に建立された感仙殿は四代綱村のころ、寛文4(1664)に完成しました。善応殿、善応院、妙雲界廟が隣接しています。
この感仙殿は昭和6年に国宝指定されるも、瑞鳳殿と同様、1945年の戦災で焼失しました。現在の建物は1985年(昭和60年)に再建されました。
建物の基本的な方式は瑞宝殿と同じでですが、屋根の飾りの龍の飾りも無く、装飾は全体的に少なめです。
善王殿は感応院の隣に建っています。同様に戦災で焼失しました。1985年に再建されました。焼失前の資料が少ないことから、現在の建物は綱宗公が好んで描かせた「鳳凰」と「牡丹」が装飾に採用されています。
■感仙殿全景
□正面蟇股
□正面
□身舎廻り
■1716 善応殿
伊達三代目藩主綱宗の霊屋 五代目藩主吉宗の時代1716年に完成しました。再建は1985年(昭和60年)
明治初年に感仙殿同様、本殿以外の建物は破却され、本殿もまた昭和20年の戦災で焼失しました。
本殿、唐門、拝殿、廟門等からなりたちます。
全景
瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾であったものの、落ち着いた佇まいの風情ある霊屋とされます。
焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描いた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しています。
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