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Monthly Web Magazine   June.2024


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■蟇股あちこち 50 中山辰夫

日光輪王寺(大猷院霊廟)前回からの続きと、真岡大前神社です。

大猷院霊廟は唐門・皇嘉門・奥之院・袖垣・本堂・相の間です。
日光東照宮建立後の北関東には装飾の華美な社寺が多く建立されました。大前神社(栃木県・重文)は、その走りとなった神社で装飾に目を見張ります。
他に、成田新勝寺三重塔(1712)、妙義神社(1756)、妻沼歓喜院聖天堂(1760)など多くあります。


輪王寺((大猷院霊廟)-続き

■唐門

国重文 建立:1653 桁行一間、梁間一間、二脚門、向唐門唐破風付、銅瓦 総金箔
     
大猷院の本殿の前に建つ豪華絢爛かつ、豪壮観を放つ門構えの門です。総金箔造りで、丹頂鶴や白龍の彫刻が施されています。
大猷院霊廟のうちでは最も小規模の門ですがその意匠装飾などは色鮮やかな彩色と精巧な彫刻が施されています。

形式な二脚門で、後方に控柱を立てた簡単な作りです。破風下の彫刻や門扉の浮彫り、透彫金具の使用などがみられます。
装飾は金メッキと黒漆塗りを用いた意匠で、特に透かし彫りの飾り金具を用いた意匠が多く見られます。

入口側

■向唐破風
 

細部
□鬼瓦
 

□精緻な彫刻 金拍仕上げ
 

□妻飾り 丹頂鶴の彫刻があります。鶴は長寿の瑞鳥と重宝されています。つがいです。
    
唐破風をし多から見てます。金細工の繊細な彫刻が目立ちます


□「目貫の白龍」 家光公は干支が辰年でした
 
左右に波文様が広がり、右手に玉をもって中央に据えられています。「青海波に玉取りの白龍」と呼ばれるともいわれます。
拝殿にも左手に玉をもつ龍の彫刻がが見えます。家光公の干支に倣った一対の龍とされます。

出口側

□妻飾り奥の丹頂鶴
    
「鶴は千年」、鶴は延命や生命力の強さを意味する瑞鳥、鶴は一度つがいになると共に生涯を添い遂げる習性をもつとして重宝されてきました。

□珠をもった金龍の繊細な彫刻 作者は左甚五郎ともいわれます。
 

□槓頭貫鼻
  

□唐門内部の天井と蟇股 拝殿に向かう通路
      
折り上げ式の金色格天井 百花の王とされる牡丹が一面に配され、貫材にまで金箔押しが施され、その上にも牡丹が描かれています。
黒を基調として金細工が据えられた框扉。中板の透かし彫りが見事。
袖塀が唐門の左右に延びています

大猷院霊廟 (拝殿・相の間・本殿)

  

徳川家光の霊廟である大猷院は、歴代の将軍が参詣し、着座したのが拝殿。その奥に相の間、本殿が続く造りとなっています。
多くの金箔が使用されているため「金閣殿」とも呼ばれています。1653年の築で、国宝に指定されています。

大猷院内部は極彩色の組物や長押、柱、扉に至るまで東照宮の陽明門と負けじ劣らぬ装飾が施されています


■拝殿 国宝 建立:165 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅瓦葺
□外観
    
東照宮の建造技術をそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くし、全彩丹碧は周囲の自然美に調和し、壮厳の極みです。
東照宮が「権現造り」の神仏習合様式に対し、大猷院廟は「仏殿造り」を中心にした純仏教様式です。


□妻飾
   


拝殿に向かい、細部に入ります。
 


□唐破風
   


□三間向拝 正面側蟇股
     


□木鼻と手挟
    


拝殿に昇段します。 
拝殿入口周の彫刻 金細工
         


□身舎蟇股
    


□欄間彫刻
    


■拝殿内部
 
拝殿は六十四畳の広さで、内部の壁面には狩野探幽と、その弟「狩野安信」が描いた唐獅子の障壁画が納められています。
天井部分には百四十枚もの唐獅子(龍)の画像が大羽目にハメ込まれています。


天井と龍の天井画
   
折り上げ式で中央部に天蓋が吊られる。 龍は「昇り龍」と「下り龍」


正面左右の壁画に獅子(狛犬)が描かれています。左三枚、右三枚
    
壁面上部には菱欄間が用いられ、その下に透かし彫りの花鳥らしい彫刻が見えます。天井下の組物にも相の間と同様、極彩色で彩られています。

皇嘉門

皇嘉門は、奥之院の入口に当たる門。様式が珍奇です。一名「竜宮門」といわれ一種の楼門です。

皇嘉門 国重文 建立:1653 楼門 五間 三戸 二閣 切妻造 銅瓦葺 
    
内側は蝋色、外部は蜜陀塗りの極彩色の美しい建物です。天井には天人が描かれています。門の奈は朝廷からの下賜です。
腰壁は白蜜陀塗りです。

細部
      

大猷院霊廟には、仁王門・二天門・夜叉門・唐門・掖門・皇嘉門・奥院鋳抜門などの門があり、これらはみな異なった意匠でつくられています。

日光東照宮が「白色と金色が基本色」として造営されているのに対し、大猷院は「赤と黒が基本色」として造営されています。

 

 

本殿
手前に拝殿、奥に相の間、大猷院本殿とつながります。拝殿・相の間・本殿の連ながりを「権現造り」と呼びます。 
ふんだんに使われた金彩、金箔で、金閣殿(きんかくでん)とも呼ばれます。
 
■本殿 国宝 建立:1653 桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、平入 銅瓦葺
      
二間繁垂木を放射状に配した尾垂木 三手先の組物を見付二配した詰組 花頭窓を配した禅宗様
金彩を施した唐戸には、内外ともに唐獅子の高彫は嵌められてあります。各部各部を取り上げても、正に江戸期芸術の極致を示しています。

■背面側上層から下部へ順に並べます。
□妻飾
     
三つ葉懸魚、その奥には虹梁が渡り、その上に大瓶束が配されています。

本殿は重厚な黒漆塗りと面箔っが施された腰組。 透かし彫りの火灯窓に上層は詰め組がぎっしり。絢爛豪華な禅宗式仏堂の外観を呈しています。
□組物
           
□詳細
        

□詳細
 
正面側とは絵様が異なっています。

正面側を一部並べます。
     

正面側 枇杷板彫刻 山 、大和松、ツバキ、菊の花
       

 

相の間

相の間 国宝 建立:1653 桁行三間 梁間一間 一重 両下造 銅瓦葺 
  
相の間は拝殿と本殿を結ぶ中殿です。東照宮のように一段低くならないことから、拝殿から続く縁や高欄が相の間から本殿に続きます。。

■拝殿との境目
 
接合部の壁面には地紋を施し、その上に鶴ノレリーフを数個沿えています。

□細部
   

□黒を基調とした腰組
   
周囲を面箔(面取り加工をして金で塗装を施す)の三手先の腰組
高欄下に見える黒を基調とした腰組が目を惹きます。周

□身舎の蟇股や欄間の彫刻 一例です
     

細部
   

相の間内部
 
内部は拝殿同様結構な極みです。中央にある香炉などの三具足は前田利常公の献上の逸品。本殿との境には昇龍降龍が描かれています。

■本殿との境目
  
昇龍降竜が描かれています

 

奥之院

皇嘉門から先が大猷院の「奥院」と呼ばれる域です。 東照宮では「坂下門」の先が奥院となります。
 

鋳抜門 国重文 間口2m、奥行1.5m 一間一戸 平唐戸
 
すべて唐銅の鋳物で、全面精巧な梵字の浮文を以って装されています。金細工されています。


宝蔵 国重文 建立:1683 桁行一間 梁間一間 宝形造 寄棟 一重 銅瓦葺 黒漆が塗られた銅で全体をカバー
  
黄銅製、高さ4m 

奥院 拝殿 国重文化 五間 二健 入母屋造 前後軒唐破風付 
   
黒漆塗りで全体を塗りこんでいます。浅唐戸、蔀戸を四方に用いています。東照宮と同様に繊細緻密な彫刻と金具などの装飾

袖垣

■袖垣 国重文 建立:1653 一周延長九十七間、銅瓦葺です。 大きな灯籠は徳川御三家からの献納品
   
唐門とつながる形で左右に延びています。黒を基調とした「透き瓶」 錺り金具や装飾、繊細な透かし彫りが冴えています。

□唐破風
   

□瑞垣の羽目部分には精巧緻密な鳩の彫刻と、秋の七草の彫刻が施されています。
   

□鳩の彫刻と秋の七草の彫刻
            
多くの鳩が見られることから、「百間百態の群鳩」と呼ばれるようになったとか。

 

 



1707 大前神社 本殿

栃木県真岡市本郷937

北関東で最も早く彫刻による装飾化の傾向を示す神社とされ、在郷寺社建築の装飾化の先駆けを告げた建物として本殿の建築は重要視されています

大前神社は1500年有余の歴史を誇る延喜式内の名社とされます。神護景雲年中(767年 - 770年)に社殿が再建されたとあります。
承平5年(935年)平将門は承平天慶の乱を興すに至り、大前神社にて合戦勝利の祈願をしたとも伝わっています。
拝殿・幣殿・本殿が国重要文化財に指定されています。
大前神社の本殿は宝永4年(1707)、拝殿及び幣殿は17世紀末期に、関東各地から技量の優れた大工を招いて建てられました。
社殿に施された秀麗な彫刻群は、江戸時代中~後期に活躍した名彫刻師 島村圓哲によるものです
特に本殿は,組物の龍彫刻のほか,柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など,随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾り,北関東において庶民信仰を背景に装飾豊かな神社建築が急速に普及する初期段階の様相や,技術,意匠の展開をよく示しており、関東地方における装飾建築普及の萌芽を示しています。

アプローチ
        

■拝殿 国重文 建立:江戸中期 桁行正面三間、背面五間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺。
      
奥の幣殿と一体化しています。屋根が入母屋造りの銅板葺に千鳥破風が正面に乗り、その手前に唐は風の向拝が取り付いています。

□向拝
    
向拝周りには彫刻が多用されており、華やかな空間を演出していますが、拝殿の身舎、幣殿は簡素な意匠です。

□唐破風 兎毛通 (鳳凰) 、破風枇杷板部 (瑞雲 波)
     

□水引虹梁 (双龍) 
  
二匹の龍が尾を絡めて水引虹梁を形づくる事例は、この拝殿が初見で、嶋村円哲の作風とされます。後の彫工に大きな影響を与え、これ以降、「双龍」型の虹梁が作られました。

□向拝木鼻 (獅子) と手挟 (菊)
   

□四隅の頭貫に「獅子」
    

■幣殿 国重文 建立:江戸中期 桁行二間、梁間一間、寄棟造、銅板葺。
  


本殿の造営は元禄12年に始り、10年後の宝永6年(1709)に完成。大工棟梁は桜井瀬佐衛門、彫工は地元の嶋村円哲とされます。

本殿の彫刻の特徴は
第一に、建物を未来に継承させるため「水の恵みと水神」を配していること。
その代表なものとして、龍・水の中を泳ぐ鯉・海水・海獣・犀・玄武などがある。
第二に、神聖な霊獣・霊鳥を配し神様の力の広大さを表している。
麒麟・貘・白象王・虎・獅子(ライオン)・鳳凰・鸞・鶴・鷹がある。
第三に、限りある人生の理想の生き方として、「仙人」を配している。
仙人は十ヵ所に配され、瓢箪から駒を出す仙人・酒を楽しみ魂を生む仙人・お香を薫く仙人・鯉に乗り病気を治す琴高仙人等がある。

身舎四面に彫刻された内容を羅列します。

■本殿 国重文 再建:1707 桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、銅板葺
      
本殿の棟木より1707年が上棟と分かります。 

当初の社殿はシンプルな建物だったようですが、元禄期から宝永期の改築で、今に見える極彩色の派手な彫刻や地文様で埋め尽くされています・
成田山新勝寺三重塔にもかかわった職人が携わったとされます。この時期の北関東には装飾性が過激なことで知られます社寺が多くあります。
大前神社1709年、新勝寺三重塔1712年、妙義神社1756年,歓喜院聖天堂1760年と続いています。

身舎四面に彫刻された内容を羅列します。

■本殿 正面側
 

詳細―1
   
二龍の右は阿形、左が吽形 ともに外側を向いています。拝殿、幣殿があるため幣殿脇からしか見えません。

詳細―2 息
      

詳細―3 龍 獅子 虎
     

蟇股とか部の欄間彫刻 仙人をモチーフにしています。
         

■正面 向かって左側
     

□詳細―1
     

□蟇股と欄間彫刻
        

□地紋彫
 
特徴の装飾は、柱と羽目板前面に施された地紋彫です。
この柱と地紋彫による装飾は、北関東の在郷の寺社建築では最も古いですが、東照宮の寛永期の作事に、柱の地紋彫が見られてから70年経過しています。
壁面に全面的に地紋彫を施す先例も、東照宮拝殿の将軍着座の間にあります

参考
彫刻の装飾化の傾向は近世に入るとさらに強まり,江戸時代には頭貫の木鼻は獅子や象を別木でつくって取り付ける懸鼻とし,尾垂木や繫虹梁など本来構造材であるものを丸彫の竜として装飾化することも行われたとされます。
さらに,柱,梁,桁などの表面に連続幾何学模様を浅く刻む地紋彫を施したり,あらゆる壁面に高肉の浮彫彫刻をつけるものも現れた。
こうした建築は日光東照宮をはじめ特に関東地方に例が多いとされます。

追加
□本殿身舎右側 彫刻
              

□本殿背面 彫刻
                  


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