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■蟇股あちこち 54 中山辰夫

今月は川越市にある社寺です。仙波東照宮、喜多院、中院、連罄寺、成田山川越別院です。
関東地区で一番早く咲くとされる喜多院や中院のしだれ桜が満開でした。


仙波東照宮


埼玉県川越市小仙波町1-21-1

日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮の一つとされます。
1617年、天海僧正が建立。1638年川越大火で焼失、1640年に再建されました。
建物の随所に施された彫刻が見ものです。
本殿の周りには歴代の川越藩主が献燈した石燈籠が並びます。拝殿にある岩佐又兵衛筆の三十六歌仙絵額は重文です。
境内の本殿、瑞垣、唐門、拝殿及び幣殿、石鳥居、随身門は国重文、
境内案内
   

■石鳥居と隨身門 国重文 建立:1633 八脚門、切妻造、とち葺形銅板葺
    

■正門 三つ葉葵の家紋
    

■拝殿 国重文 再建:寛永17(1640) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺
   

□向拝周辺
   

□蟇股と木鼻、手挟
     

□身舎の四辺には蟇股を配しています。
    

□蟇股
         

■幣殿 国重文 建立:寛永17(1640年) 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、銅瓦葺"
   
身舎に蟇股を配しています。その蟇股派、拝殿の蟇股の中に含めています。

■唐門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17年(1640年) 一間一戸平唐門、銅板葺
  
本殿の中央正面に建っています。瑞垣で囲まれています。

■瑞垣 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17年(1640年) 一周延長三十間、本瓦葺
   

■本殿周辺
  

■本殿 国重文 創建:元和3年(1617年) 再建:寛永 年(1640年) 三間社流造、銅瓦葺 宮殿1基、棟札1枚
    
1616年駿河で没した徳川家康の遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中に、天海僧正が喜多院で四日間の法要を営んだことから、1663年(寛永10年)に建立されました。

本殿は 銅瓦葺の屋根に置き、堅魚木を載せた三間社流造で、軸部は黒、壁面・ 木階(きざはし)・垂木などは朱に塗られ、長押(なげし)・頭貫(かしらぬき)・虹梁・組物・蟇股などの装飾部材は極彩色が施されるなど、日光東照宮に倣った装飾豊かな建築です。
室内に安置されている宮殿(円形厨子)は、高さ2尺5寸ほどです。中には、異国風の甲冑をまとい、右手に剣、左手に薬壺を持ち、葦毛の馬にまたがった徳川家康像が祀られている。作者は京都七条仏所の康音(こうおん)で寛永期 (1624から1644)の作とされます。 


■本殿妻飾り 極彩色の凝った装飾が見られます
□右側
        

□左側
       

■本殿向拝・身舎蟇股
          

 


喜多院


埼玉県川越市小仙波町鵜¥1-20-1

だるま市が有名で「川越大師」として親しまれる天台宗の寺院です。良源(慈恵大師)を祀ります。
天長7年(830年)、淳和天皇の命で慈覚大師が天台宗の教えを東国に広めるため開創したのが始まりとされます。

慶長4年(1599年)、徳川家の崇敬の厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改め、再興されました。
寛永15年(1638年)、川越の大火で山門・経蔵以外の伽藍を焼失、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移転、これが今に残る社殿です。
客殿、書院、庫裏を運搬するために、新河岸川の船運が開かれました。徳川家の厚い保護を受け大隆盛しました。

■山門 国重文 建立:1632年 四脚門 切妻造 本瓦葺 天買僧正が建立 
    
寛永15年(1639)年の川越大火で焼失を免れ、喜多院に現存する最古の建物

□蟇股
妻部に板蟇股
  

□向拝の蟇股 正面側に竜と虎、背面側に唐獅子の彫り物
      

■慈恵堂(本堂) 県指定 建立:1639 桁行九間 梁間六間 入母屋造 銅板葺 中央に慈恵大師をまつり、左右に不動明王をまつる
     

■鐘楼門 国重文 建立:1702年 銅鐘も国重文 桁行三間 梁間二間 入母屋蔵 本瓦葺 袴腰付鐘楼門 
    
慈眼堂の東側に建つ。下層は両開扉、壁面は堅板張り 末広がり 上層は四周に縁・高欄 花頭窓

□極彩色仕上げの雲竜の彫物
      

■慈眼堂 国重文 建立:1645年 桁行三間 梁間三間 宝行造 本瓦葺 慈眼大師天海を祀る 厨子に入った天海僧正の木像を安置
      
小高い丘の上に建つ この丘は7世紀初頭の古墳を利用しています。

□厨子周辺
     

■多宝塔 県指定 
    

□細部と蟇股
       

■大黒天
    

■手水舎
    

以下はカット
客殿 国重文 建立:1638 「徳川家光誕生の間」があります。
書院 国重文 建立:1639年 「春日局化粧の間」があります
庫裏 国重文 建立:1638年建立

しだれ桜

喜多院のしだれ桜 3月彼岸から月末 ソメイヨシノ:3月下旬~4月上旬
 
訪れた令和6年3月30日は晴天でした。しだれ桜は満開でした。上野公園は一週間遅れで満開となりました。


中院


埼玉県川越市小仙波町5-15-1
中院は、天長7年(830年)に円仁(慈覚大師)が開創した無量寿寺の山院の一つです。 円仁は平泉の中尊寺、毛越寺、浅草寺も開祖されています。
山院は仏蔵院・仏地院・多聞院と称され、仏蔵院は現在の喜多院、中院は仏地院を前身とします。
寺運は一時衰退するも永仁4年(1296年)に、伏見天皇の勅命で尊海が再建しました。
関東天台の本山の勅許をえて、関東天台五百余ケ寺すべてが仏地院(中院)に属しました。尊p後、仏蔵院・多聞院が建立されました。
1599年(慶長4年)に天海が喜多院の住職となるまでは、中陰が無量寿寺の中心的な役割を果たしてきました。
1638年の川越大火で伽藍を焼失し、1639年に現在地に移転、1732年本堂が再建されました。かっての地には東照宮が建てられた。
中院は2030年に開山1200年を迎えます。

喜多院の直ぐ南方にあって、正式には天台宗別格本山中院といい、閑静な佇まいが趣のある寺院です。しだれ桜が素晴しいです。
     

境内をめぐります

■赤門 3つある門の一番北側の門です
    

■大門(山門) 平成12年(2000年)に改築
   

■本堂 1638年焼失 1733年に再建 
    
□正面虹梁の彫刻
          



■庫裏
     

■鐘楼門
  

■釈迦堂 昭和61年(1986年)に延暦寺西塔の釈迦堂を模して天台様式で再建されました
     

■不染亭 島崎藤村ゆかりの寺院とされます。
 
不染亭は、藤村が義母加東きみに送った茶室 「不染」の碑は藤村の書

■しだれ桜 訪れた日(20240330)、満開で下。関東では一番早い開花とされます。20240331に訪れた上野公園はチラホラ。一周間後に満開でした。
      

参考
天台宗の寺格は、総本山・延暦寺に始り、門跡寺院、大本山、別格本山、その他寺院となっています。
現在の中院は、別格本山11ケ寺の一寺です。喜多院より上位に位置付られています。


蓮罄寺


埼玉県川越市連雀町7-1

浄土宗の寺院です。開基:天文18年(1549年)川越城主の母を対追福するために創建されました。 代々高僧が住職となりました。
江戸時代の1602年には浄土宗の関東十八檀林の一つとなり、葵の紋所が許された幕府公認の僧侶養成機関として多くの学僧を育てました。
彫刻がすばらしいです。

■本堂 (呑龍堂)
  

細部
          

■鐘楼
  

□細部
       

 


成田山川越別院


埼玉県川越市久保町9番2号

創建は嘉永6年(1853年) 真言宗智山派の寺院。成田山新勝寺(千葉県成田市)の別院 通称は川越不動


■山門 彫刻がいい
 
□正面部蟇股
      

□背面側
      

■本堂
 
廃寺の川越久保町大行寺を再興し。明治六年(1873年)に本堂を建立。昭和58年(1981年)に現法堂が再建されました。

□細部
      

■手水舎
     

■鐘楼堂 明治25年(1892年)建立
   


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