JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Oct..2024


■■■■■ Topics by Reporters

■ 砂金掘りで一攫千金 顛末記  瀧山幸伸

鉱山関連の文化財について、金銀銅鉄その他に分けて紹介しているが、やはり金には魅力がある。金の歴史を学ぶ文化財巡りで、国の史跡に指定されている金山でまだ訪問できていないのは甲斐金山遺跡の黒川金山と中山金山だが、今回、ずっと気になっていた「ウソタンナイ砂金採掘地」を訪問した。明治時代に700グラムを超える金塊が発見され、カリフォルニアのゴールドラッシュにたとえ「東洋のクロンダイク」と呼ばれた地だ。

ウソタンナイ砂金採掘公園は、日本古来の砂金掘り伝統道具である『ゆり板』と『カッチャ』を使って砂金掘りができる日本隋一の本格的砂金掘り体験場で、砂金鉱山跡の下流に設置されている。一攫千金の夢は叶うのか?

  

 


■ 姫路城の文化財建造物 大野木康夫


姫路城は、昭和6(1931)年1月19日に天守8棟が、同年12月14日にその他の建造物74棟が旧国宝に指定されました。その後、昭和26(1956)年6月9日に天守5件8棟が国宝に指定され、その他の74棟は重要文化財となりました。その他に台所(イ・ロ・ハ・二の渡櫓)と旧番所(井郭櫓)の2棟が附指定となっています。
国指定文化財の建造物が多いということでは日光の社寺が思い浮かびます。日光の国指定文化財建造物の総数は92棟18基で110を数えますが、指定区分でいうと輪王寺(15棟2基)、輪王寺大猷院霊廟(20棟1基)、東照宮(国宝)5件(8棟)、東照宮(重要文化財)(26棟6基)、東照宮旧奥社(1棟1基)、二荒山神社(22棟8基)に分かれており、姫路城のように単独で74棟もの多数の建造物が重要文化財に指定されているものは例がありません。
今年9月、姫路城では搦手の一帯が特別公開されました。
このことにより、姫路城の文化財建造物82棟+附指定2棟をすべて撮影できるかもしれないと思って訪問しました。
姫路城の開門時間は9時ですが、周囲から撮影したかったので、7時に大手前駐車場に到着してまず周囲(西の堀沿い、シロトピア公園、三の丸)から撮影し、9時5分前に開城してから入城して撮影しました。

入城する列(30人くらい)に並んでいるときに、目の前に建っている菱の門東方土塀が修理中で撮影できないことに気づきました。また、はの門、はの門西方土塀が修理中でしたので、撮影できたのは国宝8棟、重要文化財71棟、附2棟の合計81棟でした。

菱の門、菱の門南方土塀、菱の門西方土塀

   

カの櫓北方土塀、カの櫓、ワの櫓東方土塀、ワの櫓、レの渡櫓

     

ヲの櫓、タの渡櫓、ルの櫓、ヨの渡櫓、ヌの櫓、カの渡櫓、化粧櫓、化粧櫓南方土塀

        


ろの門西南方土塀、ろの門、ろの門東方土塀、はの門南方土塀、はの門、はの門西方土塀、はの門東方土塀

       

ロの櫓西方土塀、ロの櫓、ロの櫓東方土塀

   

にの門、にの門東方下土塀、にの門東方上土塀

   

イの渡櫓、ロの渡櫓、ハの渡櫓、二の渡櫓、ホの櫓、ヘの渡櫓

      

イの渡櫓南方土塀、水の一門、水の一門北方築地塀、水の一門西方土塀

    

水の二門、ニの櫓、ニの櫓南方土塀、水の五門南方土塀

    

ニの渡櫓、西小天守、ハの渡櫓、乾小天守、ロの渡櫓

     

東小天守、イの渡櫓、大天守、台所

    

折廻り櫓、備前門、井郭櫓、井郭櫓南方土塀

    

帯の櫓、太鼓櫓北方土塀、太鼓櫓、りの門、太鼓櫓南方土塀

     

旧番所、ちの門、への門、への門西方土塀、への門東方土塀

     

トの櫓、トの櫓南方土塀、との一門、との一門東方土塀

    

との二門、との二門東方土塀、との四門、との四門東方土塀、との四門西方土塀

     

帯郭櫓、帯郭櫓北方土塀

  

チの櫓、リの一渡櫓、リのニ渡櫓、ぬの門、いの門、いの門東方土塀

      

7時から撮影し、終わったのが11時半頃、4時間半の撮影でした。
3棟は撮影できなかったのと、イの渡櫓(国宝の方)がきっちりとは撮れていなかったのを除き、概ね満足できる結果となりました。
少し疲れたのと、夕刻から神社の寄り合いがあったので、予定していた書写山には行かず、インターチェンジ近くの2件の社寺を回って帰りました。

廣峯神社

宝篋印塔、拝殿、本殿

   


随願寺

開山堂、唐門、本堂、経堂、鐘楼

     



■ 蟇股あちこち 54 中山辰夫

今月は川越市にある社寺です。仙波東照宮、喜多院、中院、連罄寺、成田山川越別院です。
関東地区で一番早く咲くとされる喜多院や中院のしだれ桜が満開でした。

     

 


■ 奈良公園の夏2024 野崎順次


今年は激しい円安のおかげでインバウンド観光が増大し、酷暑の奈良にも多くの外国人がやってきた。観光客の9割以上が外国人だと思われた。スナップ写真を撮りためたので、自分なりに厳選して、4つのカテゴリーに分類した。

(1) 鹿と子供

      

(2) 鹿とレディ

       

(3) 鹿と家族

    

(4) その他

      

 


■ 九州国立博物館の三角縁神獣鏡が少し気になって   田中康平

 
福岡は歴史的に興味深い位置にあることは疑いようもない気がしている。アフリカに発生した人類が日本に到達したルートは幾つかあろうがその一つが海峡を渡って北部九州に至るルートだったことは容易に想像される。旧石器以来のあらゆる時代の痕跡がここ福岡には残されている、そう思っている。歴史的遺物は九州国立博物館に多く収蔵されていて常設展示を時々見に行く。最近見たものでは福岡市南区卯内尺古墳から出土したとされる三角縁神獣鏡がちょっと気になった。近畿に多く出土し魏志倭人伝に記されている卑弥呼が魏から受け取った100枚の鏡というのはこの鏡ではないかとして邪馬台国近畿説の根拠の一つとされる三角縁神獣鏡だが、調べると卯内尺古墳のすぐ南の老司古墳をはじめそれなりに北部九州各所からも出土しているという。中国では三角縁神獣鏡は1枚も出土していないというから卑弥呼が中国からもらった鏡がこれだというにはちょっと変な気もしてくる。しかしともかくミステリアスなのが面白い。
自宅からそれほど遠くないということもあり出土したとされる南区の卯内尺古墳を訪れてみると、私有地にあった古墳はものの見事に更地になっていて今はそこに病院が建っている。病院建設の時には既にもう古墳はなくなっていた様で、現在は古ぼけた説明看板だけが道路沿いに立っている。向かいにある老司古墳は少年院の敷地内というためか破壊されずまだ保存されていて、私有地にある文化財は保存が難しいという姿を見る思いがしてくる。或いは変わり続ける福岡という街の持つ避けられない姿なのかもしれない。このことそのものが歴史なのだろう。
添付写真は、1:九州国立博物館 2、3:卯内尺古墳から出土したとされる三角縁神獣鏡 4:卯内尺古墳の説明看板 5:卯内尺古墳のあったと思われる場所の現状 6:卯内尺古墳、老司古墳の位置図(老司古墳の説明版より)

      


■桜川市富谷観音   川村由幸

桜川市にはJGにのこしておきたいと思える寺が三つあります。
雨引観音・薬王院とこの富谷観音です。
そして富谷観音だけが国指定重要文化財建造物の三重塔を保有しています。
雨引観音でも国指定重要文化財の仏像を保有していますが秘仏で普段は見ることができません。
そんな富谷観音を真壁の撮影のついでに寄ってみました。
   

山門には仁王像があったはずですが今は置いてありません。修繕中なのでしょうか。
山門のすぐ後ろに倶利伽羅竜王の石像があります。不動明王の化身らしいです。
山門から本堂へは、急な石段を五十段ほど昇らなければなりません。この石段が幅もまちまちで
しかも平らでないため、なんとも昇りにくいのです。
   

昇り切れば、朱色の本堂・鐘楼・三重塔がうっそうとした緑に囲まれて並んでいます。
私がこの日最初の参拝者だったのか、到着したときは他に人影はなく、静寂に包まれていて気持ち良かったです。
三重塔はもちろんですが、山門も本堂も良くメンテナンスされていて文化財を守ろうとする対応が眼に見えます。
参拝者も少なく、寺の維持管理には苦労されておられるだろうことに思いが至り、頭が下がります。
この寺で最近墓参りに出かけていないことに気づき、お彼岸に田舎の墓参りをしてきました。


■ 重要文化財建造物内にある龍の彫刻 その4 酒井英樹


 前回(2024年9月号)の続き

重要文化財建造物内にある龍の彫刻の最終回は、西日本(中四国・九州)の重要文化財建造物の棟ごとに列挙しました。

 大神山神社奥宮 【鳥取県大山町】
 本殿・幣殿・拝殿
  

 末社下山神社本殿・幣殿・拝殿
 

 日御碕神社【島根県出雲市】
 日沈宮(下の宮)楼門
 

 神の宮(上の宮)幣殿、拝殿
 

 万福寺【島根県益田市】
 本堂
   

 鶴山八幡宮【岡山県津山市】
 本殿
  

 備中国分寺【岡山県総社市】
 五重塔
  

 真光寺【岡山県備前市】
 本堂
 

 誕生寺【岡山県久米南町】
 御影堂
   

 妙本寺【岡山県吉備中央町】
 番神堂
 

 吉備津神社【広島県福山市】
 本殿
  

 四階楼【山口県上関町】
   

 箸蔵寺【徳島県三好市】
 本殿
             

 護摩殿
     

 屋島寺【香川県高松市】
 本堂
 

 白峯寺【香川県坂出市】
 頓證寺殿
  

 勅額門
 

 竹林寺【高知県高知市】
 本堂
    

 土佐神社【高知県高知市】
 本殿
   

 鳴無神社【高知県須崎市】
 本殿
  

 多久聖廟【佐賀県多久市】
  

 崇福寺【長崎県長崎市】
 第一峰門
    

 生善院【熊本県水上村】
 観音堂
 

柞原八幡宮【大分県大分市】
 西門
 

 南大門
   

 鹿児島神宮【鹿児島県霧島市】
 勅使殿
    

 これまで、5回に渡って今年の十二支の龍関連の彫刻を列挙してきましたが、過去の回で漏れが生じていましたので、補追させて頂きます。


 鶴岡八幡宮【神奈川県鎌倉市】
 上宮本殿、弊殿、拝殿
 
 天満宮【群馬県桐生市】
 本殿、弊殿、拝殿
          

 石堂寺【千葉県南房総市】
 薬師堂
 
黄仁覧
 中国晋の仙人。役人だったが、数千里離れた実家と勤務地を毎日通っていた。ある日、不審に思った両親が問うと、黄仁覧は竹を龍に変化させ、 それに乗って飛んでいった。

 日光東照宮【栃木県日光市】
 陽明門
 修理前(2010年撮影)
 
  修理後(2023年撮影)
 


以上、令和5年12月から5回に分けて・・知る限り重要文化財建造物にある「龍」の彫刻を紹介しました。
撮影漏れ(阿蘇神社第一本殿など)、自宅火災による消失等印画紙ベースの写真資料一散(霧島神社本殿・幣殿・拝殿など)で投稿出来ない案件もあり、全ての建造物とはいきませんでした。次回12年後に追加して行ければと思います。無事生きていればの話ですが・・難しいかも・・・。


■深川情緒  柚原君子


「耳が遠いから声が大きいでしょ。ほんとにうるさいじいさんなの」
同居の実の娘さんは眉をひそめて迷惑そうな顔をするけれど、口ほどに嫌がる風でもないので、おじいさんの話は今日もボルテージが上がっていく。おじいさんは定年退職後にエキストラの仕事をしている。
「いや~参っちゃうよな。俺なんか色が黒いだろう。だからドウランなんていらないんだって、塗ってもらったことないよ。野武士の役なんかはもってこいなんだけどね、高貴な役はだめだってさぁ。戦争映画にエキストラしたことがあったけど、洞穴の中で餓死する役でね、俺一番奥の暗がりで横になってる役。あははは~~どう見ても餓死する体格じゃないってさ! 外されちゃったよ。あっそうそう、裃つけて殿様道中やったときは傑作だったな……上半身しか撮影しないってさ、裃つけてるのにトレーナーのズボンに運動靴だよ。下に~! 下に~ !って進むんだけど、俺、笑いこらえるのに苦労しちゃったね」。
「おじいさん、お茶はいったよ」。
同居の娘さんといっても、もう50代。おじいさんは70代。そのおじいさんの前に湯飲み茶碗を置き、お茶のみで集まった私たちのほうに
「いつも同じ話でごめんね」と小声で言う。おじいさんは喋って満足したのか湯飲みを持って自室に引っこんだ。



「こら!走るんじゃない!こら!喜ぶんじゃない!ポチ!ゆっくりお歩き!お前を外に連れて行くのは苦労なんだけど、お前があんまり尻尾を振って喜ぶから、つい私もお前を散歩に連れ出すんだけど、これじゃ私のほうが疲れて早死にだよ!」

ポチは老犬だが、年寄りのおばあさんを引っ張るだけの力はあるらしく、おばあさんは踏ん反りかえるがごとくポチに引かれながら行く。どちらの散歩かと言われながらも近所の温かい目の中を通って行く。ポチは以前、喜びの余りおばあさんの足に紐ごと絡みつき、おばあさんを転倒させた。罪状『飼い主に捻挫一ヶ月の怪我』という前科を持っている。
近所の人はポチに引かれながら行くおばあさんを見送って、また転ばなきゃいいがなあ、と思っている。
幼稚園の前で犬とおばあさんが一休みで立ち止まる。その周りに葉桜の影がゆらゆらと落ちている。



大手町から地下鉄でわずか10分という便利な場所にありながら、東京の下町と言われている深川。町名も路地も由緒正しく区切られて、私の住んでいた町内は特に戸建の多い街並みで、その大方の家に年寄りが同居していた。だから前述のような話は街を歩けば訳もなく拾ってくることができる。
温かい目を通してみれば、年寄りの行動は結構面白いが、反面、年寄りがいる街は正直ちょっと窮屈なこともあった。田舎から送られてきた果物や夕食のおかずが戸口から戸口を行き来する。りんごの季節など回覧板と一緒にりんごが渡っていく。それなりのお返しも無視はできないので気を使う。葬儀や行事の段取りは長老を中心にしてまわるのでお伺いも必要だ。
けれど、昨今忘れられがちの、人として守っていかなければならないモラルを伝承していくのに、年寄りの存在は不可欠条件に思えるし、誰もが少しずつ我慢しているから皆で一緒に暮らせる街が成り立っていくとも言える。



ポチに散歩をさせられていたおばあさんは亡くなり、裃を着けて撮影に参加していたおじいさんは時折しか外出しなくなり、見るごとにその背中は丸みを増していく。路地に出された花の色が変わってゆっくりと季節が行く。
深川。私の好きな街。

 

 


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