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■蟇股あちこち 55 中山辰夫

今月は上野東照宮、寛永寺五重塔、寛永寺本坊旧表門・両大師堂です
上野東照宮は、1651年(慶安4年)に造営され、社殿(金色殿)は、国の重文に指定されており、金箔できらびやかに装飾されています。
徳川家光による改築のときに、徳川御三家をはじめ全国の大名が奉納した灯籠が、今でも数多く残っています。
日光東照宮の陽明門を模した透かし彫りのある唐門や、石造明神鳥居など歴史的建造物の数々を見ることができます



1651 上野東照宮 
東京都台東区上野公園9-88

上野東照宮は上野公園の一郭に鎮座しています。正式名称は「東照宮」です
創建は寛永4年(1627年)で、徳川家康の遺命を受けた天海僧都と藤堂高虎が、藤堂家の敷地内に東照宮を祀ったのが始まりとされます。
その後、三代将軍家光により社殿が改築されました。現在の社殿は江戸初期のもので、戦争の被災を免れて現存しています。
社殿は極彩色の彫刻が大量に配された美麗な建築で、国重文です。
境内図
   

■石造明神鳥居 国重文 建立:寛永10(1633)境内の正面入り口に建つ。
 

■神門 桁行一間 梁間一間 切妻造 瓦棒銅板葺 退色していますが、極彩色に塗られた痕跡が見られます。
    
台輪の上の中備は木鼻の付いた平三斗 妻飾りは笈形付の大瓶束

■石燈籠
  


1651
■神楽殿 建立:明治7年(1874年) 入母屋造 銅板葺 深川木場組合が奉納 比較的簡素な建物 屋根の勾配が美しいとされます
   

参道を挟んで御水舎が両側に建っています。

■手水舎 切妻 銅板葺 柱は石材 妻飾りは大瓶束 参道左側に建っています。
      

■手水舎 切妻 銅板葺 赤く彩色されています。妻飾りには緑色の板破風 参道の右側に建っています
  

ここから社殿に入ります。
唐門、透塀、社殿(金色殿)のすべての彫刻は金箔で覆った上から岩絵の具で彩色を施す生彩色(いけざいしき)と呼ばれる手法が採用されており、さらに
文様は膠と胡粉を混ぜて盛り上げた部分に彩色を施す置上彩色が施されています。いずれも伝統的で豪華な彩色方法です。

■唐門 国重文 建立: 慶安4(1651) 桁行一間、梁間一間、四脚門 向唐破風門、銅瓦葺
□正面側
     
唐門の左右に透塀、背後の屋根は拝殿 ここまでは無料に地域です 錦鶏鳥(きんけいちょう) 銀鶏鳥(ぎんけいちょう)

□正面細部
正面妻面 中備に蟇股 妻飾りは大瓶束、左右に松に鷹の彫刻
 

頭貫には唐獅子の木鼻
    

門扉 金色の桟唐戸 両脇の欄間 題材は昇り竜と下り竜 (左甚五郎の作とされます)
   

□背面側
    

□背面細部
背面妻面
  

□木鼻
  

□背面側
門の側面は二間 彫刻がビッシリ施されています
    

□柱間には松の彫刻
  

■透塀 国重文 建立:慶安4(1651) 一周延長八十九間、銅瓦葺
      
唐門の左右に建って社殿を囲んでいます。欄間に彫刻が配されています

□欄間柱間の彫刻 上部と下部に施されています。
   
透塀に描かれた彫刻数は257枚ともいわれ、上段には鳥や動植物を、下段には海や川の生き物、海鳥や蛙、魚介類など多数の絵柄です。

□彫刻例
           

■銅燈籠 50基
   

■社殿(金色殿)
拝殿・幣殿(石の間)・本殿
      
金色殿(社伝)は、1627年(寛永4年)に創設された金色殿を、1651年(慶安4年)に日光に倣う金色殿に建替えられたのが、現存する金色殿です。
権現造で豪華な彫刻が施されています。金色殿全面には鷹、周囲には牡丹、側面には鳳凰と格式が高いとされる動植物の彫刻が見られます。

社殿については外部から見える所しか撮影してません。
撮影した各社殿身舎の蟇股と欄間彫刻を並べます。

■拝殿向拝部分
   

□向拝の唐破風 小壁に大破風、その前に唐獅子の彫刻、大瓶束の左右に鷹と松の彫刻
    

□正面の蟇股
    

□木鼻と手挟
    

■本殿 国重文 慶安4年(1651 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、銅瓦葺 
  
壁は金箔で陽が当たるとまばゆいばかりに輝くとされます。床は拝殿、幣殿よりも高くなっています。 屋根は扉、壁がすべて金箔しあげです。

□腰組
 
縁の下にあって、円を支える役目を果たしている斗栱が腰組と呼ばれます。
上段の方が手前にせり出しており、これが3段あるので「三手先」の斗栱とよばれ、赤漆仕上げとなっています。

■蟇股は3個配されています
  
□蟇股
       

■幣殿 国重文 慶安4年(1651) 桁行三間、梁間三間、一重、両下造、銅瓦葺
    
拝殿と本殿の間で、土間床の建物です。「石の間」とも呼ばれます。柱や壁は金箔で日に当たるとまばゆいばかりに輝くとされます。
屋根は扉、壁がすべて金箔仕上げです。柱間は三間です。柱・壁面・縁側の脇障子も金箔です。

□中備の蟇股は3個配されています。 両脇に花の彫刻が施されています 
      

■拝殿 国重文 建立:慶安4年(1651) 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、千鳥破風付、正面向拝三間、軒唐破風付、銅瓦葺"
  
唐門の後方が拝殿

□拝殿千鳥破風、妻飾には蟇股や虹梁大瓶束、屋根に千木
  

■側面(幣殿と接続部分)
   

□蟇股が3個配されています。長押は彫刻されています。
     

□正面部分 欄間に鳳凰、蟇股は花鳥の彫刻で、梅に鶯、左右に菊の彫刻
   
□蟇股は3個配されています

□蟇股と長押の彫刻
       

□母屋正面 七間、中央の三間は桟唐戸 桟唐戸は二つ折りで、表面は金箔
             
拝殿の扉にはいくつかの枠あり、今井の扉に4つの円形模様が入っています。
これは仏教のシンボル「法輪」です。上部のデザインは、幣殿とは異なり菱形のくみあわせです。
拝殿の正面から側面にかけての長押しの上には彫刻が2面入っています。
直ぐ上には桔梗と躍動的な鳳凰とみえるとり。その上の枠の彫刻は、蟇股の中に小鳥、周囲は「百花の王」こと、牡丹の花の構図、彫刻も透かし彫り、非常に凝った、装飾的なデザイン

□身舎正面には蟇股が3個並んでいます。
            

□側面 三間 柱間は何れも蔀戸
   
□蟇股が3個配されています
      


1639 旧寛永寺五重塔
東京都台東区上野公園88


■ 旧寛永寺五重塔 国重文 建立:寛永16(1639) 三間五重塔婆、五重銅瓦葺、本瓦葺
     
五重塔は、1631年に建立され、1639年に再建されました。
五重塔の初層部分には十二支の蟇股が配され、これが江戸時代の建築様式のの特徴とされます。上の動物園内に位置しております。

    

□蟇股
子・丑・寅・卯
    

辰・巳・午・未・
    

申・酉・戌・亥
    


寛永寺旧本坊表門 輪王寺両大師堂
東京都台東区上野公園14-5

寛永寺は、徳川将軍家の菩提寺として、天海大僧正が創建しました。
寛永2年(1625年)、三代将軍家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは、現在の東京国立博物館敷地です。

■表門 国重文 切妻造 本瓦葺 潜門槻の薬医門 通称「黒門」
□正面 背面
     
もと寛永寺本坊の正面にあった門です。、博物館改築に伴い現在地に移築されました。
門扉に上の戦争の際の弾痕が残っています。1989年の火災の際には焼失を免れました

□細部
   

■輪王殿(斎場)
 


■輪王寺 両大師堂 創建:1644 再建:1993
東京都台東区上野公園14-5

輪王寺は天台宗の寺院。山号は東比叡 一般には通称の「両大師」で知られています。
この通称は天海と良源を祀ることに由来します。開山堂とも知られます。
創建は正保元年(1644年)で、前年に亡くなられた天海大僧正を祀る「開山堂」でした。
後に寛永寺本坊内にあった慈恵堂から慈恵大師像移し、二人の大師を祀るようになりました。
開山堂は順応4年(1868年)の上の戦争で焼け残りましたが、平成元年(1989年)に火災に遭い、現在のお堂は1993年(平成5年)に再建されました。
境内には本堂、東側に輪王殿(斎場)があります。
■山門
   

■阿弥陀堂
  

■鐘楼
本堂前の鐘楼に懸かる梵鐘は、順応4年81651年)の鋳造でです。参道の銅燈籠は、下上野の大猷院霊廟に奉納されたものです。

        


■本堂
    

■庫裏
  

■手水舎
水盤を支える獅子や側面のツル

         

 


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