JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Nov..2024


■■■■■ Topics by Reporters

■ 紅葉と滝と温泉 究極の三点セット 瀧山幸伸

紅葉と滝をセットで見たい、温泉も楽しみたい、と欲を言えば、候補はとても狭くなる。

紅葉はさておき、滝がワイルドな存在なので、温泉が条件に加わればさらにワイルドな場所に限定されてしまうのだ。この三点セットの極めつけは川原毛大湯滝だろう。
 

上流の川原毛地獄で湧き出す熱湯が数百メートル流れ下り、滝壺では紅葉の時期には適温になっている。けれども、高級旅館の風雅の対極で、強酸性の飛沫が眼にしみるし轟音が耳を突き刺すしで、よほどの物好きでなければ行かないだろう。

カムイワッカの湯滝もワイルドではあるが滝の迫力はそれほどでもない。

三点セットから「本物の滝(滝百選クラス)」をはずせばワイルド性はかなり和らぎ、温泉宿も数多くある。その中でも泉質が良い露天風呂とワイルドな立地環境とを併せ持つ温泉宿は、姥湯蓮華温泉がおすすめだ。

 

もう少し非日常性に妥協すれば万座などの有名温泉地もすれすれOKか。私は湯治志向で渋い肘折温泉が好みだが。

 

これらの温泉宿にもインバウンド観光客が押し寄せており、日本人には敷居が高くなりつつある。

三点セットから温泉をはずして、アクセスが悪くて山の装備でかなり歩かなければならない紅葉の滝といえば、やはり東北の滝がおすすめで、安の滝桃胴の滝滑川大滝あたりがトップクラスだろう。
  


■ 最近の撮影から 大野木康夫


10月は地域の行事や土日の仕事が重なってなかなか撮影に行けず、合間を縫って家内と一緒に予約制のイベントや公開に行くのがやっとでした。

10月6日の夜、西本願寺のライトアップイベント
ライトアップイベント会社NAKEDの企画でした。
手水所と御影堂のライトアップは動きがあるので撮影が難しかったですが、飛雲閣、黄鶴台、唐門は見ごたえがありました。

      

10月14日 對龍山荘
ニトリホールディングス所有の對龍山荘は、重文指定を機に公開されるようになりました。管理は無鄰菴と同じ植彌加藤造園さんで、程よい距離感で庭園を堪能しました。建物内は入れず、園路が狭いため動画撮影は禁止です。

        

11月3日 日吉大社、旧竹林院
西本願寺と同じNAKEDが企画したライトアップが行われました。
旧竹林院のみ有料で、日吉大社は従来から行われている紅葉まつりのライトアップとして無料で行われました。紅葉はまだで、ライトアップされた庭園(机でのリフレクション)や参道、白山宮拝殿・本殿、西本宮楼門を撮影しました。

日吉大社

        

旧竹林院

   

最近、リフレクション撮影ができるようにしているところが増えています。これまで撮影したものでリフレクションを意識したものを思いつくまま並べてみました。

瑠璃光院

   

修学院離宮楓橋、岡崎疏水徳成橋付近

  

龍安寺つくばい、天龍寺曹源池、宝厳院方丈ガラス戸

   

旧邸御室の机、京北矢谷橋上流

  

醍醐寺ライトアップ、平等院ライトアップ、園城寺観月台、彦根城中堀

    


■ 蟇股あちこち 55 中山辰夫

今月は上野東照宮、寛永寺五重塔、寛永寺本坊旧表門・両大師堂です
上野東照宮は、1651年(慶安4年)に造営され、社殿(金色殿)は、国の重文に指定されており、金箔できらびやかに装飾されています。
徳川家光による改築のときに、徳川御三家をはじめ全国の大名が奉納した灯籠が、今でも数多く残っています。
日光東照宮の陽明門を模した透かし彫りのある唐門や、石造明神鳥居など歴史的建造物の数々を見ることができます


■ 靴ひも騒動記 野崎順次


10月の土曜日、和歌山県海南市黒江の地味な街並みをゆっくり歩き回ろうと早起きした。いろいろルーティンワークを終えて、パソコンのメールをのぞき、和歌山の天気(曇り時々雨)を再確認してたら、8時30分になっていた。回数の少ない次のバスは8時38分だからもうすぐに出なければならない。アキレス腱炎の名残で左足がまだ不自由だから、そろそろと階段をおりて、台所の家人に「和歌山の海南」と行き先を簡潔に報告し、玄関でいつものハイキングシューズを履いて、いつものステッキを持った。あと5分くらいしかない。普通に走れないので、すり足の小走りでバス停に向かった。右足の靴が妙にゆるいのにすぐ気が付いたが、靴ひもがゆるんでいるだけだろうと思った。老眼だし、ズボンのすそに隠れているので、見てもわからない。急いだかいあって、かつかつでバスに乗れた。

バスの中で眼鏡をかけてゆるい右のシューズを見ると、何とひもがないのである。そういえば、すり切れてきたので、数日前に靴からほどいて、「ロッジ大阪店」で同じタイプの新しいひもを購入した。古いひもは捨てて、新しいひもは通勤用リュックのどこかに入ったままである。そのことをすっかり忘れていた。写真は靴ひもを取り替えた後のハイキングシューズとビブラムソール。

  

さて、どうするか。忘れやすくても、ここは冷静に事態を分析する。三つの方法が考えられる。バスは9時過ぎにJR尼崎駅に着く。

A案: 家にいったん戻る。
B案: 大阪駅前第2ビルのなじみの靴屋(トキワ商会)へ行く。ひょっとしたら早めに開店しているかもしれない。最悪の場合は同じビルのロッジでもう一度靴ひもを買う(583円)。
C案: 海南駅から徒歩10分の靴屋行く(靴屋があることはスマホで調べた)。

A案は家人にかっこ悪い(いまさら!?)、C案は不確定要素が多いし、行くまでが歩行不自由である。というわけで、B案を採用した。

9時20分頃、大阪駅前第2ビル真下の東西線北新地駅に着いた。同じビルに靴屋トキワ商会とロッジ大阪店がある。トキワ商会に行くと、ちょうどオバちゃんがシャッターのカギを開けていた。何というグッドタイミング!
オレ「靴のひもあるやろ?」
オバ「ないねん。前はメーカーがくれてタダでお客さんにあげててんけど、今はもうないわ。」
オレ「えーーっ、どこぞないかな?」
オバ「第3ビルの百均(ひゃっきん)にあるねんて。そこやったら110円や。」」
そこで大阪駅前第3ビルB2へ向かったが、どうせ開店は10時以降だからまだ少し時間があるなあ、どこかでモーニングでも食べよかななどと考えながら歩いていると、第3ビルにも靴屋があり半ば開店していた。聞くと、やはり靴ひもはないとのこと。百均の店「ミーツ(meets)」は直ぐ近くだったが、シャッターが閉まっていた。

  
ここで10時まで待つぐらいなら、ロッジで同じしっかりした靴ひもを買った方がいいのではないかと思って第2ビルに戻って、地上階のロッジの前に行った。ひもの商品名称は「丸スリム シューレース 120cm」である。

  

すると、20年来なじみの女性店員がシャッターのドアを開けていた。
オレ「何時から?」
店員「11時」
オレ「今すぐ靴ひもちょうだいなあ。困ってんねん。」
店員「うーーーん、それはでけへんねん。」
オレ「どーしても?」
店員「どーしても!」

そこでトキワ商会に戻って、安いスニーカーを買うことにした。ひもなしタイプで1200円を1000円にまけてもらった。ハイキングシューズは預けて、後日取りに来ることにした。

  

そして何とか黒江の街歩きができた。スニーカーはややきつめであったが、走るわけでなし、ステッキをついてゆっくり歩くのに大きな支障はなかった。

後日、分かったことは、百均の店「ミーツ(meets)」は10時開店で靴ひもを売っている。また、ミーツの前にもう1軒靴屋があるが、靴ひもはない。その店主も靴ひもはミーツにあるよと教えてくれた。

   

教訓: 履いた靴に違和感があれば直ちに是正する。
 靴屋に靴ひもなし、百均に行け。


■住んでいる近くの縄文遺跡が   田中康平

縄文は東日本中心、弥生は西日本中心というイメージが何とはなしにあるが、九州では縄文土器も多数出土しており、現在住んでいる福岡市南区からも縄文早期の土器が出土しているというので少し調べてみた。

自宅の3-4km南の柏原遺跡からは旧石器時代以降の各時代の遺物が地区のあちこちからいろいろと出土しているようで、出土品は福岡埋蔵物文化財センターに収蔵されているらしいと解る。センターに出向こうと思ったが改修工事中で暫く外部の者は入れないという、それでも収蔵品の内、柏原遺跡出土の縄文早期の平栫(ひらがこい)式土器等は福岡市博物館で展示中というのでこちらに見に行った。

縄文早期というと6500年前-9000年前の時代だ。佐世保の泉福寺洞穴からは16000年前という世界最古級の土器も出土しているようであり、それには及ばないがかなり古くから人が住み続け文化がつながってきた土地であることは確かなようだ。展示されている平栫式土器を見ると平たい底で模様も少し複雑であり縁が波打ったりしてフォルムとしても面白い。この形式の土器は鹿児島の平栫遺跡で最初に発見されたのでその名がついたようだ。

ともかく柏原遺跡を訪れてみようと調べるが現地写真など現状の詳細は一切わからない。昭和50年代に行われた発掘調査の報告書などにある図と現在の柏原地区の地図とを比べるとどうやらほとんどの遺跡は昭和54年から始まった区画整理事業による住宅団地の造成で失われたと考えるべきのようだとわかる。平栫式土器の出土したとされる柏原F遺跡は住宅団地の南縁あたりで公園になっている可能性もありとにかく現地を訪れてみた、しかし柏原遺跡を示す何の表示も説明もない。このあたりには古墳時代の前方後円墳もあったはずだがそれも綺麗に消されている。何か後ろめたさがあるのかもしれない。少々無残だ。遺跡より生活ということなのだろう、それが人間の社会というものなのだろう。こんな風に少しずつ失われた遺跡の跡を追っていくことで人間とはどんな生き物であるか少しわかったような気にもなってくる、そのことそのものも面白い気がしている。


添付図は順に 

1:柏原遺跡の位置 2:福岡市博物館 3:平栫(ひらがこい)式土器 4:発掘調査報告書の遺跡配置図 5:現在の該当地区の地図 6:重ね書き図-大半の遺跡が住宅団地内に位置していた 7:柏原F遺跡あたりに現在ある柏原公園、遺跡の説明はない
       
 


■四国 松山   川村由幸

新居浜に仕事で出かけた帰りに松山に寄って撮影してきました。
徳島鳴門市の大塚国際美術館も訪問の候補でしたが、松山空港から新居浜に入りましたので
帰りも松山空港が便利なことから、こちらを選択しました。
訪問先は石手寺・道後温泉本館・松山城・萬翠荘の四か所をレンタカーで廻りました。
最初は四国巡礼第51番札所の石手寺から
     


国宝の仁王像を身ながら境内に入るとまず、工事中の三重塔が眼に入ります。
最近、遠方に撮影に出かける度に文化財の修繕に出くわすことが多くなっています。
昨年、山形行でも慈恩寺本堂・出羽三山神社五重塔が修繕工事中でした。今回も又といくらか運の悪さを感じていました。
でも、午前8時過ぎにもかかわらず、すでにお遍路さんが敬虔な祈りを奉げておられ、神聖な気持ちが勝りました。
道後温泉本館は石手寺から車で数分のところです。
     


道後温泉本館は撮影のしにくい建物です。風呂ですから正面から近づいて撮影がまずしずらいですし、
正面の道路の幅が狭いことから正面の全景が撮影できる場所がありません。
後ろ姿は駐車場の入口から全景が撮影できます。
ここも、今年7月に温泉の営業を開始しましたが、現在も保存修繕工事中で本年12月に完了予定です。
大好きな松山城に移動しました。松山城に向かうロープウェイに乗る頃から、なんだか疲れがどっと出てきた感覚になりました。
一昨日の夕方に新居浜に入り、大宴会をして翌日は朝から午後3時まで会議。そこから松山に移動して宿泊。昨夜は良く眠れませんでした。
     


松山城は50を超える建造物があり、その内21の建造物が重要文化財です。現存12天守の内でも群を抜いた規模です。
今でも城としての全ての機能が残されていると言っても良いと考えます。世界遺産で国宝の姫路城に次ぐ規模の松山城です。
今年7月に発生した土砂崩れで一部が侵入禁止になっていました。確かその土砂崩れで亡くなった方が居られました。
文化財の保全管理には難しい問題も多いようです。
最後に訪問したのが萬翠荘です。大正11年に旧松山藩主の子孫、久松定謨伯爵の別邸として建てられた洋館です。
     


レンタカーのナビに従って、萬翠荘に向かったのですが、道路工事でナビの指示通りに車を進めることが出来ずに大慌て。
右往左往してなんとかたどり着いたものの、ここも撮影がしにくいこと。芝生への立ち入り禁止で建物との距離が全くとることができません。
JGの瀧山さんの投稿を見ると2012年には芝生に入れたようで、正面全景の画像が投稿されていました。うらやましいこと。
なかなかに美しい洋館で内部も含め手入れも十分な印象でした。
ここで、完全にエネルギー切れ。まだ午前11時を過ぎたところで帰りの飛行機は17時過ぎです。
元気があれば内子に撮影に出かけても十分な時間が残っています。残念ながら、私の気力に残りがありませんでした。
お昼を食べて、松山空港で長い長い待ち時間を過ごすこととなりました。



■カスピ海ヨーグルト  柚原君子

交差点で「ゆはらさぁ~ん」と呼び止められて「カスピ海ヨーグルトって知ってますか?」と問われた。
「知ってますよ。増えるのでしょ。育てたり寝かせたり、親で増やして子供生むんでしょ。前に持っていたけど、死んじゃった」
「死んじゃったというより、ゆはらさんまるごと全部食べちゃったんじゃないですか?」
「そう、これ親にもなる菌だよなぁって思いながらも、つい食べちゃた(笑)」
「元を食べちゃたらだめじゃないですか。ゆはらさん食いしん坊ですね。節制が無いんですか?(笑)」

交差点の信号が二回変わって、歩道を渡る人に邪魔にならないように脇によけての立ち話。怪しい会話はさらに続く。
「ゆはらさんの節制がないのはまあ仕方ないですけど、元気なカスピ海ヨーグルトを持っていますから、あとでお届けしますよ」。
ヨーグルトを食べてしまっただけで、節制のない女にされてしまった私は「“親”は食べないほうがいいですよ!」という友達の大声に何たるセリフ、と信号を渡る人々が振り返る中を右と左に別れた。
夕方、私の家のドアノブにビニール袋がぶら下がっていて、その中にカスピ海ヨーグルトと説明書が入っていた。



説明書によると、
『京都大学の家森教授(当時島根医大教授・病理学専攻)がカスピ海沿岸の長寿村を調査した際、同地から持ち帰ったもので、それを京都大学の小西教授(解剖学専攻)が譲り受けて……とその出生のヒミツが語られている。菌は強力で、繰り返しの更新に耐えられ、酸味が少なく粘りが強く、面倒な消毒作業が要らない上に、腸内での活性が高く(原文要約)……と記されている。

作り方は紙パックの牛乳1000ccに『親』とか『種』とか呼ばれるこのヨーグルトの菌を3スプーンほど入れて、紙パックのふたをしたあとに3度ほどゆすり、混ぜる。それからふたを開けて、ティッシュをふた代わりにかぶせて輪ゴムで抑えて常温で12時間置く。出来上がったものはそれ自体がそのまま『親菌』になり、これを繰り返していけば、冷蔵庫の中に永遠にヨーグルトが有り続けることになる。



ヨーグルトの菌を家庭で培養して食べることはずいぶんと昔からあった。カスピ海ヨーグルトは酸味が少なく、フルーツにかけても美味いし、カレーやシチュウにも合うし、パスタのソースにもいい。
綿々と続いていることであるから、その品質事態に私自身は疑問を感じていなが、中には「それってさあ、人類の何かをコントロールするための実験だったりして……、私は食べない」と言って、口にしない友達もあることはある。まあそれはそれとして、カスピ海ヨーグルト持ってる?→持ってたけど死んじゃった。→じゃ分けてあげる、って事が、時折、下町のそっちこっちで繰り返されている。



消えてはまた現れるカスピ海ヨーグルトであるが、今回のように説明書つきで廻されてきたことは初めてで、発祥や作り方には改めて納得できた。
『気をつける事項』欄に、①、直射日光や乾燥に注意すること。②、長期間かまってやれない時は、一ヶ月ほどなら冷蔵庫の中でそのままで大丈夫です、と書かれていた。さらにその下の③には、『友だちは広めておくこと。ブリーダーになること』と書いてあり、私はこの説明書の中でここが一番に気に入ってしまった。

友だちは広めておくこと……う~ん、含蓄のあるお言葉だけど、カスピ海ヨーグルトの説明書にしては『友だちは広めておくこと』の奨励は唐突に思える。
もしかしたらこれは『友だちには広めておくこと』の印刷ミスではないかと思う。なぜなら、私のように節制もなく全部おなかにおさめてしまっては、またカスピ海までヨーグルトをもらいに行かなければならないから、間違って食べてしまう前に、何人かの友だちに広めておけばもう一度自分のところに『種』を返してと言えるからである。

門前仲町の交差点で出会った友達も「ゆはらさ~ん、ひもじかったら全部食べちゃっていいですよ(笑!)。私がいつだって『親』になって、またあげますからね」と、言ってくれているが、それはもしかしたら自分のためでもあって、ある日突然、「種返して」と行かねばならない可能性をつぶさない為かもしれない。
友だちは広めておくことは重要なことなのである。



腸内の活性化に良いと説明書は謳っている。ヨーグルトは健在ですか?と友だちから時々電話がかかってくる。友情の存在とヨーグルトの存在を同時に確かめあう。ついでにどこそかのバーゲン情報の話などもする。カスピ海ヨーグルトは町内の活性化にも役立っている。

 

■  酒井英樹

 


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