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Monthly Web Magazine   Dec..2024


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■蟇股あちこち 56 中山辰夫


都内数カ所です。浅草寺・浅草神社・池上本門寺 それに湯島天満宮・王子稲荷神社です。
王子稲荷神社は十二支蟇股があることで転用させて頂きました。湯島天満宮は蟇股が見られることで追加しました。



浅草寺
東京都台東区浅草2-3-1

浅草寺は天台宗の単立寺院です。山号は金龍山 通用は浅草観音です。
創建は不詳です。628年、隅田川で漁師の網に仏像がかかり、それを祀ったのが始まりとの伝承が残っています。平安後期には確立されていたとされます。
江戸時代には幕府の庇護で境内伽藍が再建されましたが、そのほとんどが江戸期の火災や昭和の東京大空襲で焼失しました。
現在の伽藍は昭和中期にコンクリート造で再建されたものです。雷門は屈指の知名度を誇る名所となっています。

□雷門前広場と通過後の仲見世
  

■雷門 再建:1960 三間一戸 八脚門 切妻 本瓦葺 RC造 松下幸之助の寄進
    
正面と背面 正面には扁額は「金龍山」、 背面には雷門の太鼓が彫られた蟇股

□雷門妻飾り
 
二重虹梁、虹梁の上に蟇股が配されています。

200m程続く仲見世を抜けます

■宝蔵門 再建:1964 五間三戸 二重 楼門 入母屋 本瓦葺(チタン瓦葺) RC造
□正面側・背面側
    
正面五間の内三間が通路よなっています。両端の柱間には仁王像 天井は格天井

蟇股 中央三間の通路部分に蟇股が配されています。蟇股は赤色の花が彫られています。
□正面側
    

□背面側
    
中央三間の通路部分に蟇股が配されています。蟇股は赤色の花が彫られています。

□組物は和様の尾垂木三手先、中備えは間斗束、緑色の蓮子、などが見られます 
  

■本堂(観音堂) 再建:1958 桁行七間 梁間七間 入母屋造 向拝三間 本瓦葺(ちたん瓦葺) RC造 
     
本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれます。
旧堂は1649(慶安2)年の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)指定でしたが、東京大空襲で焼失しましたた。
母屋は正面側面ともに七間で、ほぼ正方形の平面です。柱間は板壁と板戸。縁側は切目縁が四面に回され、欄干は儀宝珠付です。
母屋の扁額は観音堂 母屋柱は円柱 背面の柱間は板戸や連子窓が使われています。
 間斗束

□妻飾り
  
破風板の拝みと桁隠しには、鰭付きの猪目懸衙。鰭は渦状の意匠
妻飾りは二重虹梁。大瓶束や蟇股が配されています。二重虹梁中央部の蟇股。蟇股には力神が入っています。

□三間向拝の蟇股 蟇股の彫刻は、若葉と花が彫られています
正面側
    

背面側
    

□側面の木鼻は、竜とも若葉とも取れる意匠です。背面の柱間は板戸や連子窓が使われています。
  

□外陣には川端龍子筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画が掲げています。
  

二天門 国重文 建立:1649 三間一戸 八脚門 切妻造 本瓦葺
    
東京都内では貴重な江戸初期の建築物。当初は、浅草寺境内社の東照宮の随神門でした。二天門と浅草神社は被災を免れました。
2010年に改修されました。正面中央の柱間 扁額は「二天門」 柱は円柱 柱上は出三斗

□妻飾り
  
妻飾りは二重虹梁のような構造 虹梁の上には蟇股。蟇股の上から小さい海老虹梁が延び、主柱に取りついています。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚が三つ配されています

■五重塔 再建:1963 三間五重塔婆 本瓦葺(アルミ合金瓦葺) 全高48m 1648年造営の建築でしが、空襲で焼失しました。
    

■蟇股が配されている境内社も並んでいます。

           


浅草神社
東京都台東区浅草2-3-1

社殿は浅草寺本堂の東(北東)隣りにあります。
浅草神社は、当初浅草寺の鎮守社でしたが、明治の神仏分離令で寺から分離独立しました。
祭神は、隅田川で仏像を引き揚げた漁師の檜前浜成・檜前竹成の兄弟と浅草寺を開いた土師真中知の三柱です。
現存の社殿は徳川家光の寄進で1649年に完成したもので、拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されています。
現在は三社様と言われることが多く、東京を代表する祭りの一つ、三社祭はここの祭りです。
社殿は右側から拝殿、幣殿、本殿の順に並び、幣殿と本殿が連結されて一棟になっている権現造に似ています。
  

■拝殿 国重文 建立:1649 桁行七間 梁間三間 向拝三間 本瓦葺
     
装飾は主に蟇股・手挟・絵画表現によるものです

□三間の向拝
蟇股 怪鳥の彫刻です
     

□唐獅子の木鼻と菊の篭彫りの手狭 柱はやや大きめに面取りをしています
   

■拝殿母屋
    
母屋柱は面取りした角柱。柱間は半蔀(しとみ)戸、組物は隅の部分は出三斗

□蔀の上の羽目板には、怪鳥と麒麟が描かれています。その上に蟇股が並びます
 
□蟇股 花鳥の彫刻です 
      
蟇股には飛龍、亀、山鵲や花鳥類などがあり、蟇股から飛び出している彫刻のさまは旧来の内側のみに彫刻を施すパターンから脱却したものとされます。

□絵画
      
絵画表現として鳳凰、麒麟、飛龍などの霊獣です。

■拝殿内部
          

■幣殿・本殿
拝殿の奥に弊殿と本殿が並んでいます。建物や木立に遮られ、細部が見えません。
幣殿 桁行三間 梁間一間 前面入母屋造 背面は本殿に雪像
本殿 桁行三間 梁間二間 三間社流造 「本殿および幣殿」を一棟とし、拝殿とあわせて「浅草神社2棟」として国重文に指定されています。 
    


■神楽殿 入母屋造 妻入り 銅板葺 と神輿庫
   

三社祭
三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる浅草神社の例大祭。
日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭とともに、「江戸三大祭」の一つに数えられます。
現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われます。
     


1607 池上本門寺 五重塔
東京都大田区池上一丁目一番一号

創建は不明ですが、日蓮入滅の弘安5年(1282年)から祖師像を造立した正応元年(1288年)頃とされます。、開山:日蓮、開基:池上宗伸。
池上本門寺は日蓮宗の大本山で、宗祖・日蓮終焉(しゅうえん)の霊跡として知られます。古くより池上本門寺と呼ばれてきました。
また日蓮入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられています。
本門寺は、鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えました。
開創以来、日蓮宗の中でも最重要な寺院の一つとして発展し、江戸時代には、身延山久遠寺と並ぶ寺院として栄えました。
戦前は大伽藍を誇っていましたが、第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失したが、戦後順次復興しました。

■総門と此経難持坂(しきょうなんじさか)
    
総門の建立は元禄年間(17世紀末~18世紀初)め 「本門寺」の扁額は本阿弥光悦の筆

■仁王門 蟇股が配されています
   
大堂正面に建つ二重門。旧国宝の山門は1945年(昭和20年)空襲で焼失

■日朝堂 二重虹梁 蟇股
  

■長栄堂
 

■手水舎
  

■鐘楼
  
現在の鐘楼は1958年8昭和33年9の再建


■霊宝殿
 

■多宝塔 国重文 建立:1828年 瓦棒銅板葺 
     
円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔。塔身は赤漆塗りとし、宝形屋根は瓦棒銅板葺きとする。
宝塔は、上下層とも円形の平面をもつ木造の仏塔で、屋根は宝形造、銅板葺で、その上に露盤と相輪を載せる。宗祖の550回遠忌に際し、信徒の本願(ほんがん)により、文政11年(1828)に上棟した。
      
宝塔は、内外とも彫刻や彩色によって荘厳化がはかられ、意匠的に高い価値が認められる。
内部空間を持つ木造の宝塔は全国的にも類例が少なく、池上本門寺宝塔はそのうち最大規模の遺構である。

■大堂
   
「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいわれます。
旧大堂は1606年(慶長11年)に建立sれましたが、1619年(元和5年)に焼失。その後何度も再建、焼失を繰り返しました。
現在の大堂は、1964年(昭和39年)に再建されました。鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。高さ27メートルの大建築です。
□正面
   

□妻部
  

□三間向拝 蟇股
    

□木鼻 蓑束 儀宝珠
  


■経蔵 建立:天命4年(1784年)空襲を免れた建物の一つ 輪蔵形式の内部には回転する八角形の書架があります
  


■本殿 再建:昭和44年(1963年)間口25.2m 奥行50.4m 鉄筋コンクリート造 寄棟造裳階付 本瓦葺
 
本師(釈尊)のおわします伝道です。戦災で焼失した釈迦堂を再建しました

■五重塔 国重文 建立:1607年 三間五重塔婆 一重 二重本瓦葺 三重以上は瓦棒銅板葺
     
装飾方法は古風を留めた「蟇股から彫刻がはみ出ない」姿で、 動きも小さく静かな印象を受けます。
また、同じく五重塔である旧寛永寺五重塔にくらべ、蟇股内に隙間が多いのも特徴です。
目の粗い網がかかっていますが、装飾彫刻の古い姿を 見るには格好の五重塔です。

□初層内部
 

□蟇股 十二支 欠失していた辰・申の蟇股は平成9年(1997年)から始まった修復工事の際に作成されました。
             
初重の中備の蟇股は十二支の彫刻を別木で嵌めこんだ蟇股で、北面中央を子とし時計回りに一巡する方位に対応しています。


□平成9年(1997年)の修復工事の際に撮影
修理前の蟇股と修復完了時
   

□木鼻 蓑束 儀宝珠
   

■桟唐戸彫刻
     
中央間に両開の板唐戸が取りついています。全面に弁柄朱漆が塗られています。

■松涛園 小堀遠州が作庭 
   
園内には「根庵」「鈍庵」「松月亭」「浄庵」の茶室があります

慶應4年(1868年)、新政府軍は江戸攻めに当たって当寺に本陣を置いた。この時奥庭内の四阿で、西郷隆盛と勝海舟による江戸城
明け渡しの教義が行われました。


王子稲荷神社  
東京都北区来住町1-12-26

王子稲荷神社は平安時代中期よりあって、戦国時代に小田原北条氏、江戸時代には徳川家の尊崇を受けていました。
東国三十三国稲荷神社の総元締として、民話や落語の【狐の行列】や凧一でも有名な神社です。
江戸時代には江戸の名所として、絵画に描かれ、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれています。

社殿は文政5年(1822年)徳川家斉による造営で権現造です。拝殿、幣殿は文政5(1822)年の造営です。
本殿は戦災で焼失し、昭和35(1960)年に再建されました。

蟇股の十二支が身舎に配され、正面向拝には木鼻の獅子・寅、手挟の牡丹、鳳凰などの装飾が極彩色で、江戸時代後期の建築として貴重とされます。

■本殿 
  

■向拝 木鼻の獅子・寅、手挟の牡丹、鳳凰などの装飾が極彩色で、江戸時代後期の建築として貴重とされます。
 

■木鼻の獅子・寅、手挟の牡丹、鳳凰などの装飾が極彩色で、江戸時代後期の建築として貴重とされます。子鼻の獅子
      
■身舎の十二支の蟇股 (引用させて頂きました)
子・丑・寅・卯・ 竜・巳・牛・羊・申・酉・戌・亥
            


湯島天満宮
東京都文京区湯島3-30-1

東京大学にほど近い所に鎮座しています。旧称は湯島神社
458年に雄略天皇の勅命で創建されたとされます。1355年に菅原道真公を勧請しました。これが天満宮としての創建です。
徳川家康の江戸入府以来、徳川家の信仰を集めてきました。学問の神として学者や文人から崇敬を集めました。
1703年の火災で全焼し再建されました。明治18年(1885年)に改築された社殿の老朽化が進み、で平成7年(1995年)に造営されました。
境内案内図
   

■表鳥居 都指定文化財 創建:1667年 最古の鋳造製の胴鳥居 明神鳥居
    
柱の根元には火焔上の曲線の装飾、基部は花形の台座と五角形の礎石、彫刻も見かけます。上部の貫と島木にも飾り金具と文様が見えます。

鳥居を過ぎると右手に宝物殿があり、彩色された蟇股が多数配されています。

■宝物殿 正面唐破風と正面側
     
□一階部分
      
□二階部
     
□側面部分 上部から下へ 各段で分葉が異なる
      

■手水舎 切妻造 銅瓦葺 柱は石材 几帳面取り角柱
    

□唐獅子の木鼻 中備は松竹梅の蟇股 妻虹梁の上に笈形付の大瓶束 天井
      

この先には拝殿・幣殿・本殿が一体化した権現造の社殿が鎮座しています。木曽ヒノキに金飾金具が生えています。
   
左手拝殿、中央の千鳥破風が幣殿、右手が本殿

■拝殿 入母屋造 正面千鳥破風 向拝三間 軒唐破風付 銅板葺
   
細部
□屋根 屋根の正面に千鳥破風
 

□唐破風 小壁に黒牛の彩色彫刻の蟇股 周囲には松の彩色浮彫
   

■身舎の蟇股
  


□三間向拝 一間の向拝が並んだようです 蟇股と木鼻
      
蟇股は牡丹に唐獅子 桃山風 

□海老虹梁・手挟 海老虹梁には葉の模様 手挟は鳳凰の装飾彫 木鼻は正面戸側面に 唐獅子の彫刻
    

□妻側 細かな枡格子・蔀戸・引違い戸、中備に蟇股 
   

□拝殿内部 中備に彩色蟇股
  

■本殿
     

蟇股 周囲に配されています
    

■末社 戸隠神社と笹束神社
     
戸隠神社は道真公が祀られる前より有った地主神です

■夫婦坂 唐門 
        

■訪れた日は恒例の菊まつりでした
 


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