JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Dec.2024


■■■■■ Topics by Reporters

■今年の紅葉総括 瀧山幸伸

紅葉は異常気象のバロメーターで、地球温暖化の影響を大きく受けている。

毎年好例の紅葉巡礼は、9月に北海道へ2回、10月に東北へ2回、11月に山梨長野経由で西日本へ出掛けたが、どこも10日から2週間遅く、目的地の選定とスケジュール調整に苦労した。

まずは北海道。8月末の大曲花火を撮影したその足で北海道の1回目へ。

大雪山では9月の上旬から日本一早く秋が来るが、今年は全くの夏模様で、各地のフラワーガーデンなどを愛でただけで一旦東京に引き返した。

9月後半に再度北海道に渡ったが、秋は一向に訪れず、さらに悪いことに 大雪高原でヒグマが人の後を追いかけるなどのアクシデントがあり、遊歩道が一時閉鎖になるなどで散々待った。9月末に大雪高原沼のルートが緑沼までの往復に制限された区間で開通し、ようやく紅葉を撮影することができた。

東北の1回目はスタートの栗駒山がかなり良い紅葉だった。

秋田駒ケ岳の山頂めぐりの紅葉は盛りを過ぎていたが、火山地形が作る絶景と紅葉のコントラストは美しかった。初夏のムーミン谷のお花畑ほどの感動はなかったけれど。

秋田八幡平は標高差があるので紅葉はどこかで当たる。今回は後生掛温泉と大沼が見頃で楽しめた。

岩木山 はいつ訪問しても天候に恵まれなかったりリフトが運休していたりだったが、今回はリフトなしで山頂往復を試みた。8合目駐車場からはとんでもない強風で、下山者は皆、「風が強くて寒くてガスが出て全く見えなかった」とおっしゃる。とりあえず9合目のリフト終点(旧噴火口の鳥の海)まで登ると、微かに山頂方面が見えたので、行けるところまで登って見ることにした。結局ガスとの追いかけっこで、山頂に着く直前に霧が晴れ、北海道方面を除き視界が開けた。紅葉は8合目から上では全く終わっていたが、とりあえず岩木山の地形と無形文化財の登拝行事は体験することができた。

東北の2回目は、ネットの紅葉情報が芳しくないので場所選びに苦労したが、経験に頼り標高と樹種を基に適切な紅葉場所を探したのが功を奏し、それなりの収穫があった。

元吉山の桃洞の滝と原生林(天然記念物)の紅葉散策はアクセスが悪いので人が少ない。ところが遊歩道は平坦なのでとても楽だ。

反対側の安の滝は人が多かった。紅葉は絶頂期で、カメラマンは皆「今日がベストだ」とおっしゃる。午後2時過ぎから滝に日が当たるので紅葉と虹とのコラボレーションが見事だった。

八甲田山では田代平湿原よりもグダリ沼が良かった。

十和田市側の蔦沼付近はまだ紅葉が進んでいなかったので、熊に気を付けながら強風の赤沼へ。ここに来るのは本格的な登山者のみなので、美しい紅葉と澄んだ水の別天地を味わうことができた。

十和田湖は紅葉には早かった。

月山の西川町側、地蔵沼付近は少し紅葉に早かったが、背後の月山では早朝に冠雪があり、水面に映る紅葉も見事で、美しい光景だった。

鳥海山の周辺は紅葉が遅れていたが、標高が高い鶴間池付近が良い紅葉だった。午後の陽が傾いており池が半分日陰になっていたため池の近くまでは行かず遠くから俯瞰の紅葉を楽しんだ。

滑川大滝は若い頃から念願の目的地だったが、今回は紅葉もベストで、難儀して到着した滝壺から見上げる滝は迫力があって良かった。

滑川の奥にある姥湯温泉も念願の目的地だったが、今回は紅葉がベストで、周囲の紅葉と露天風呂を楽しむことができた。

11月の西日本方面では外れと当たりが極端だった。

山梨の西沢渓谷は、赤がほぼ散って黄色と緑が残る中途半端な紅葉だったが、渓谷美を愛でるのがメインだから良かった。 

長野のもみじ湖は少し早かったが、団体観光客で混雑していた。

当初、山梨長野からスタートして中部北陸の紅葉巡りを考えていたが、北陸は天候が合わず、中部は紅葉のタイミングが合わず、近畿はインバウンドで激しい混雑が予想されたので、一気に中国地方に移動した。

奥津渓谷はやや早い紅葉だった。紅葉はまずまずだが、スケールが小さい、観光客が多い、駐車に難儀する、アートイベントの音が水音と調和しないなど、不完全燃焼だった。

神庭の滝の紅葉は少し早かったが、滝と猿軍団は楽しめた。

今秋の紅葉のベストは大山だ。子供の頃からよく知っている大山の紅葉だが、タイミングがべストで、裏大山蒜山まで半周してもどこも美しかった。

帝釈峡の紅葉は、今回初めて下流側を訪問した。歩くには上流側が美しいが、下流側は遊覧船で手軽に団体観光向けの紅葉が楽しめる。ほんの少し早かったが、まずまずだった。

今回の紅葉旅の目的の一つは、天然記念物に指定されたカツラ6か所のうち未踏の2か所を訪ねることだった。奥出雲町の竹崎のカツラは、人も通わぬ辺鄙な山中にあるが、さすが神木で、黄葉も健全で大迫力だった。

匹見峡断魚渓寂地峡は紅葉に限らずハイキングが楽しい地だが、アクセスは甚だ悪い。

中国地方のその他の紅葉はまだまだだったので、一気に九州に移動した。

雷山千如寺大悲王院の樹齢300年と言われるカエデは、やや早かったが強烈な印象を受けた。

呑山観音寺の紅葉は大テーマパークか縁日のようでとても賑わっている。昨年はドウダンは盛りだったが紅葉は終わっていたので、再訪して紅葉を楽しんだ。

鎮西村のカツラの訪問は何度も機会を失してきた。全国で天然記念物に指定されたカツラの第一号だが、情報が少なくアクセスがわかりづらく、試行錯誤で2日がかりの訪問となった。結果的にはここでも黄葉の美しい姿を見ることができた。これでようやく全ての国天然記念物カツラを調査することができた。

英彦山の銅鳥居から奉幣殿までの参道の紅葉は少し早かったが、全体的には見事な紅葉が楽しめた。一番の好みは花見ケ岩からのパノラマと名勝庭園の静かな紅葉だ。

九酔渓は紅葉の盛りだったが、駐車場に苦労する。夢吊橋などとともにこの付近は世俗的な観光化が進んでおり、あまり好みではなかった。

の旧久留島氏庭園(名勝)の紅葉は石組との調和が美しかった。

雲仙の紅葉は盛りだったが、風が強く、山頂にはガスがかかっていたので駐車場付近で紅葉と狂い咲きのミヤマキリシマを楽しんだ。

九年庵の紅葉は緑一色の大はずれで、公開期間が短く紅葉の細かいタイミングを選べないかわいそうな団体客がごった返し、昨年とは異なり全く楽しめなかった。

大興善寺御船山楽園はまずまずの紅葉が楽しめたが、こちらもインバウンド観光客が多い。

西渓公園は昨年はやや遅すぎ、今回はやや早かったが良かった。

用作公園は昨年は池の裏がやや遅すぎたので再訪したが、全くの緑だった。

九州の紅葉は待っても難しいだろうと見切りをつけて、兵庫の丹波地方の紅葉に戻った。

原不動滝はまずまず。

音水渓谷は雨が激しく降ってきて数分で断念。

最上山公園は昨年がやや遅かったので再訪した。散りもみじは美しかったのだが。今回はやや早かったが相変わらず逆光に透ける美しい紅葉が楽しめた。ここは日没前がベストだ。

丹波市には数多くの紅葉名所があり、有名な高源寺を除き静寂な紅葉が楽しめる。市では紅葉の寺院巡りに力を入れており、地元檀家のボランティア活動も素晴らしい。その中でも達身寺慧日寺圓通寺岩龍寺高山寺常勝寺三宝寺などは特に良かった。

勤労感謝の日以降の近畿地方の混雑を避けて東京に戻り、12月5日に小石川後楽園の紅葉を楽しんで、今年の紅葉紀行をほぼ終えた。

来年はもっと大きな異変があるのだろうか。

それにしても平安貴族や西行芭蕉などとは異なるせっかちな紅葉紀行で、心が痩せてしまいそうだ。本当はそれぞれの訪問地で静かに鹿の鳴き声でも聴きながら歌を詠みたいのだが、、、ここ20年ほど歌を詠まなくなっている自分が恥ずかしい。


■ 二年ぶりの紅葉撮影 大野木康夫


昨年は公私とも多忙であったため紅葉の撮影ができませんでしたので、今年の紅葉撮影は二年ぶりとなります。
2年前は、滋賀県5カ所、京都市内4カ所の9カ所を撮影しており、かなり色付きがよかった印象があります。

滋賀県
石山寺、常楽寺、長壽寺、善水寺、教林坊

     

京都市内
安祥寺、東福寺、大谷本廟、清水寺
   

今年は猛暑の影響か紅葉の色付きが遅く、11月30日、12月1日、12月7日に撮影に行きました。
人が多いのは覚悟して行きましたが、予想したよりも人が少なく、拍子抜けした感じになりました。

11月30日(土)
この日は早朝から嵯峨野に行き、昼から永観堂方面、あわよくば清水寺に行くつもりでした。
紅葉ピーク時の土曜ですが、早朝であれば嵯峨野線はガラガラで楽に座れます。嵯峨嵐山駅も閑散としています。

  

渡月橋まで来れば人はいますが、空いています。

  

天龍寺は7時30分から早朝拝観、2~30人が拝観口に並んでいました。中に入ると、曹源池の東はパラパラと人がいる程度でしたが、北側の撮影スポットはまあまあ混み合っていました。

    

宝厳院は9時からなので、横を通っただけでした。

 

次のスポットが開く9時までの間、亀山公園を散策しました。近年リフレクション撮影スポットとして有名になりつつある祐斎亭付近の紅葉は見ごろを迎えていましたが、予約制なので行けません。

  

亀山公園の展望台まで上がると、宝厳院まで下りるのがおっくうになったので、竹林を通って大河内山荘に向かいました。
9時前になって竹林は人が増えてきたようでいた。

  

大河内山荘は9時からということでしたが、9時前から開いていました。入る人は思ったよりも少なく、紅葉を堪能できました。

   

常寂光寺は山門廻りの色付きは遅いのでどうかと思いましたが、思ったよりも色づいていて紅葉を堪能できました。10時前になっていたので、かなり人が多くなっていました。

   

二尊院も色づきが遅れていましたが、見ごろになっていました。各スポットは人で埋まっていましたが、本堂南側の紅葉が印象的でした。

   

嵯峨野の最後は宝筐院、かつては穴場と言われたところですが多くの人が訪れていました。まだ盛り前で青葉も目立ちました。

   

宝筐院で12時前になったので、JR、地下鉄を乗り継いで永観堂に向かいました。南禅寺から永観堂に向かう道はちょうど高校生の下校時間と重なって大混雑となっていました。参観入口には12時45分頃についたので、並んでいたのは10人程度と思ったよりも混んでいませんでした。

  

境内に入ると結構混雑していました。外国人の比率が多かったように思います。また、結婚写真の業者撮影も行われていたのにはびっくりしました。池を見下ろす夢庵がコインロッカーになっていたのにも驚きました。

    

紅葉はほぼ盛りで見ごたえがありました。石橋の規制(立ち止まり禁止)は行われていなかったので、すごく混雑していました。

    

撮影が終わった14時頃に拝観口を見ると長蛇の列ができていました。この列を見て清水寺に行くのは断念しました。

 

帰りに南禅寺の山門に上がって上から紅葉風景を撮影しました。天授庵の境内が真っ赤に染まっていたのが印象的でした。

   

12月1日(日)
家内と一緒に近くにある毘沙門堂に行きました。まあまあの人出でしたが、いつもは時期がずれる勅使坂、弁天堂周りのドウダンツツジ、仁王門前の紅葉がそろって赤くなっていました。

    

12月7日(土)
家内と一緒に車で市内を回りました。

龍安寺
まず無料駐車場がある龍安寺に行きました。相変わらず欧米系の方が多く訪れていました。

    

等持院
次も無料駐車場がある等持院に行きました。訪れる人も少なく、ゆっくりできました。

   

北野天満宮
北野天満宮にも無料駐車場があります。なんとか駐車出来ましたので、もみじ苑の紅葉を撮影しました。以前よりも木が茂ってきて見通しが悪くなってきたような気がします。

    

東福寺
昼食後、東福寺にチャレンジしましたが、幸運にもかなり近いコインパーキングに駐車することができました。到着が12時30分過ぎだったので、拝観券売り場でも並ばずにすみました。ここはアジア系の方が多く訪れていたように思います。通天橋から眺める紅葉は散った木もあって盛り過ぎでしたが、通天橋南側の紅葉は最盛期だったと思います。

     

光明院
駐車場の近くだったのでついでに寄った感じです。紅葉は進んでいましたが、昼過ぎは日差しの関係であまり映えません。

   

全体に、思ったよりも空いていました。拝観料もコロナ前とあまり変わらなかったと思います。


■ 蟇股あちこち 56 中山辰夫

都内数カ所です。浅草寺・浅草神社・池上本門寺 それに湯島天満宮・王子稲荷神社です。
王子稲荷神社は十二支蟇股があることで転用させて頂きました。湯島天満宮は蟇股が見られることで追加しました。


■ 舞鶴三箇寺の鶴亀庭園 野崎順次

舞鶴では雨がよく降るので、「弁当忘れても傘忘れるな。」ということわざがあるそうな。今年の11月24日もそんな日で、一日中小雨、時々本気雨だった。タクシーで松尾寺(まつのおでら)、金剛院(こんごういん)、多禰寺(たねじ)の三箇寺を回った。今秋の「京都非公開文化財特別公開」に参加した奥京都十箇寺に含まれている。主目的は仏像だが、それぞれに鶴亀庭園があって知られざる古文化に触れた感じがした。

最初は、真言宗醍醐派の松尾寺。JR松尾寺駅から徒歩40分とあるが、車で行くとすごい回り道で8kmくらいある。ただし、最近、近道徒歩コースにはクマが出没するそうだ。

松尾寺庭園(市名勝)は仁王門の横にあり、築山の周りにU字形の池を配している。二つの中島が浮かぶが、池中の手前(仁王門側)が鶴島らしい。

       

奥(庫裏側)が亀島か。

   

次は、真言宗東寺派の金剛院。いったんJR線に戻って、少し入ったところ。桃山時代に丹後国の領主であった細川幽斉(藤孝)の築造と伝えられる鶴亀庭園(あるいは池庭)がある。儒教と仏教の思想が取り入れられた桃山時代の特長があるそうだ。中央の築山頂上に須弥山石があるのだが、それに対して、池を隔てて礼拝石がある。

     

中央の築山

    

亀島

    

右手奥に鶴の石組

   

最後の多禰寺はずっと北で、引揚記念館の上、多祢山の中腹にある。金剛院と同じ真言宗東寺派で、金剛院の住職さんが掛け持ちをされているとか。桃山時代らしき二つの庭園が並んでいる。

阿字池と蓬莱庭園、三尊石(須弥山石)に対して礼拝石がある。

    

薬師池(涸れ池)と鶴亀庭園。ピンクのテープがうるさいが、なかなか豪健な石組である。中央の岩島が意味ありげだが、鶴亀の構成が不明である。

          

最後まで小雨がやまなかった。舞鶴らしい1日でした。



■やっと英彦山の紅葉を見る 田中康平

紅葉をめでるにはモミジの進み具合と天候がちょうどマッチした日を選ぶのがとても重要と前から思っているが、そんなに気楽に動けなくなったとか、今年は結構雨模様の日が続いたりしたのもあって、ずるずると紅葉見物を延ばしていた。もうここを外すと紅葉も終わるだろうといういわば最後の日にやっと出かけた。11月25日のことだ、この直ぐ後から結構な荒天が続くことが予想されていた。
北部九州では英彦山周辺が紅葉の名所の一つに挙げられているが、まだ紅葉に合わせて入ったことがないのでこの際と出かけてみた。少しし高いところはもう終わっていそうなので山麓の英彦山大権現周辺(標高約450m)を訪れてみた。自宅からはクルマで2時間位でつける。第3駐車場という所に車を停める。案内に従って彦山川の方に少し降りた対岸に大きな不動明王像が設置されていてここらあたりが紅葉の感じがいい。ほぼイロハカエデで植えられた紅葉のようだ。日光を透かす透かし紅葉がいい。もう少し行ったところに第1駐車場があってここから本殿の御社にちょっとだけ登るのだがもう紅葉の縮れたり落ちたりした葉が目に付くようになって紅葉は終わりかけている。やはり紅葉見物タイミング選びは難しい。こんなんだからこそ紅葉は価値があるというものなのだろう。

写真は順に1-10は英彦山大権現不動明王付近、11-15は大権現御社付近。

          

     
 


■秋田・山形県境行   川村由幸

10月の末に秋田と山形の県境をフラフラとしてきました。
ずっと昔に瀧山さんと出かけたことがあったと記憶しています。確か山居倉庫で待ち合わせしました。
今回はその時とは異なり秋田の子安峡からスタートです。

   

途中、紅葉真っ盛りというところも通過しましたが、子安峡はいくらか早かったようです。
それでも温泉の噴き出す峡谷を散策し自然を満喫しました。しかしながら、峡谷に下りてゆくのは階段、そして元に戻るのも階段、高齢者にはなかなかに厳しいdown&upでした。
次に向かったのは元滝伏流水、静かでとても美しいところです。

   

ここも途中から木の根が多く露出していてとても歩きにくい状況でした。なんとなく、想像していたより多くの見学者がいるようです。確か瀧山さんと訪れたとき、見学者は我々だけでした。
今回は二桁を大きく超える数の見学者に出会いました。
子安峡でも元滝伏流水でも外国からの観光客に出会っています。こんなところまでと思わずに居られませんでした。
あとは酒田市内の見学のみです。最上川下りをする予定でしたが、トラブルがあり中止しました。
まず、山居倉庫から見学スタートです。

   

北前船と荘内平野の恵みによって栄えた酒田を象徴する山居倉庫。太い欅並木には必ず圧倒されます。
残りは豪商本間家に係る文化財です。本間美術館は展示替えで閉館中、見学できませんでした。
同じ敷地内にある鶴舞園、清遠閣を見学してきました。

      

もう一つ、本間家旧本邸がありますが、なんとここは撮影禁止、ただの古い商人の屋敷が撮影禁止とは。
国宝級の文化財があるわけでも、今住人が居られるわけでもありません。
見学はしましたが、なんとなくいやな気分で施設を後にしました。
こんな時、いつも思うのは撮影可入場制度を作ってもらいたいということ。京都・奈良のお寺も同様です。
フラッシュなど使用しません。
そんなことを考えながら、帰りの500kmを運転してきました。


■「約束」  柚原君子


約束とは、将来の事柄についてあることを取り決め、その実行を互いに誓い合うこと、と集英社の国語辞典にある。
「指きりげんまん、嘘付いたら針千本飲ぉます。指切った!」
指を互いに絡ませて、親しい人と約束事のたびにくりかえされる、この一連のかわいいしぐさに見える約束。



昔、地域の小学生を対象にして「シャトラーズ深川」というバドミントンクラブのコーチをしていた。小学二年生から六年生までの25名内外の部員たちを日曜・火曜の夜に近所の小学校体育館で練習をさせていた。
コーチたちの気持の中には、技の上達の手助けをしたいという思いばかりではなく、地区に住まう子供たちを、地域の中での関係を密にすることで温かく育てていきたい、との狙いもあった。

暮らしの中の地域力が薄れてしまっている今、自分のお父さんやお母さんではない大人の許で、怒られたり誉められたりすることは、幅広い人間性を養う上でとても大切なことである。だから、15名いるコーチたちは、我が子と分け隔てなく、クラブの部員と接している。他所様のお子さんを預かっている以上、危機管理への対応も徹底していて、練習中に怪我をさせない配慮はもちろんのこと、送迎に関しても必ず中学生以上の誰かが責任を持って当たるという約束事を入れて、部員が単独で練習に来ることは禁じていた。



数年前のこと。年配の女性から
「うちの孫がバドミントンをやりたがっているのですが」と電話があった。
在籍している部員の同級生だそうで、子供同士で一緒に練習に行く約束をしたようだが、聞けば送迎を義務付けられているとのことだが、うちはそれはできない。孫は自転車で、一人でどこにでも行っているので大丈夫と思うが、と祖母にあたるその女性は言った。

「夜のことですから、子供一人で自転車に乗ってくることは危険です。何かあったとき困りますので、どうにかなりませんか」、と私は返答をしたが、自分は歳も取っているし足も悪いので一緒に行かれない、でも孫にはバドミントンをやらせてやりたい、と祖母は繰り返すばかり。余りにも熱心だったので、私が練習に参加できる日だけと限って、私の自転車の後ろに乗せていくことになった。



寺の脇の細い道を入ったどん詰まりのところに、少女の家はあった。引き戸の玄関を開けると、乱雑に脱ぎ散らかされた靴と、さまざまな物が散乱している様が目に入った。新聞紙がきちんとたたまれないまま積み上げられ、その横にジャガイモの入った箱が泥まるけで板の間に落とした状態で置かれてあった。
壁の造花はほこりをかぶっていた。下駄箱の上に空っぽの金魚鉢があって、その後ろ側にバドミントンのラケットが横にして置いてあった。玩具屋で買ったおもちゃのようなものだった。

足を引きづって出てきた祖母の後から、小柄な少女が現れて私に少しお辞儀をした。前髪が伸びていて目にかぶさるので、少女はそれを何度もかきあげながら、金魚鉢の後ろにあるラケットを持った。
祖母が少女を呼び止めて、自分の頭からヘアピンを外して口に加えると、手すきで少女の前髪を押し上げて止めてやった。その間二人はずっと無言だった。奥の居間のほうで野球中継がかかっていて、酔っ払っているような男の高笑いの声があった。
外に出て私はママチャリの後ろに少女を乗せた。名前は?と聞いたら節子というので、せっちゃんと呼べばいいのね、と言ったらうなづいた。持ってきたおもちゃのようなラケットでは何もできないので、私のラケットを貸すことにした。練習に参加すると、同じ小学校の友達もいるので嬉しそうな表情で多少の声も出していたが、それでも皆よりはずっとずっと後の方にいるような、遠慮とも取れない何か薄い陽炎のようなものを、彼女にみた。



「せっちゃんはお姉さんとか妹とか弟とかはいるの?」自転車の前と後で私たちは少しずつ会話をするようになった。「弟がいる」「そういくつなの」「多分5歳」「……かわいい?」「わかんない」「喧嘩するの?」「……しない。家にいないの。お母さんも」。

私はせっちゃんの発する言葉を組み立てなおして黙ってしまった。荒れた玄関の様子から主婦のいない家だろうとの想像はついていたものの、私の自転車の後で私に寄り添うように乗っている少女の口から出た不揃いの言葉に、私はすぐに応答しかねて、バドミントン楽しい?と聞いたら、楽しいという返事が返ってきた。
「続けられる?」「続ける」「そう、じゃぁ、ゆはらコーチがいつもお迎えに来てあげるね」「うん。……コーチ、そういうのを約束ってゆうんだよね」「そうよ。せっちゃんも誰かと約束をしたの?」

せっちゃんは黙っていた。複雑な家庭にいるせっちゃんが私はいとおしくなった。送迎を続けようと私は私に誓った。
ある日、迎えにいったら、大声で怒鳴る父親の声と物を投げる音がたて続けにした。せっちゃんはどこにいるのか分からなかったが、玄関には運動靴の袋が置いてあったので、私を待っていたことは確かだった。
その後も何度か訪ねたが、鍵が開いたままの家の中に生活の物音はなかった。
練習日にして8回。日数にしてたったの4週間ばかりでせっちゃんはうちのクラブの部員ではなくなった。
「約束」の言葉にこだわっていたせっちゃん。出て行ったお母さんが約束どおりせっちゃんを迎えに来たのであればいいが、と私は今でも時々思う。



「指きりげんまん、嘘付いたら針千本飲ーます。指切った!」

約束しあうときに言い合うこの言葉は、実はとても情念の深い言葉である。本来は遊女が愛の証を示す手段として歌われたもので、指切りは、小指を切って相手の男に心中立ての証として渡すもの。げんまんは、約束を破ったらこぶしで万回も叩くということである。

越川禮子著「江戸しぐさ」(講談社刊)の中に、江戸庶民は「指きりげんまん、死んだらごめん」と言っていた、との一節がある。「約束は守る、死んだとき以外は」という意味である。
遊女や江戸庶民ほどの厳しさはなくとも、約束は自分と自分にするもの、少なくとも自分自身の中で違(たが)えてはいけないと思う。特に大人は。


 

■  酒井英樹

 


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