■蟇股あちこち 67 中山辰夫
群馬県の桐生天満宮と末社、雷電神社です。社殿に配された濃厚な彫刻がみものです。
桐生天満宮・末社の社殿の建築はその歴史的・美術的価値が高いとされ、令和5年(2023年)に本殿・幣殿・拝殿、末社二社の本殿が国重文の指定を受けました。
社殿の彫刻装飾は、日光東照宮や榛名神社の彫刻を手掛けた名工・関口文治郎の手によります。
天満宮や雷電神社は活躍した彫刻師の流派としての特色及び北関東の地方的特色が顕著とされています。
桐生天満宮
群馬県桐生市天神町一丁目2-1
重要伝統的建造物群保存地区・桐生市桐生新町の北端に位置する神社。現在の桐生市は、天満宮を起点に成立されました。
社伝では景行天皇の時代(71–
130年)に天穂日命を祀る神社として創建されたとされ、当初は礒部明神と称しました。
南北朝時代初期に桐生氏の祖・桐生綱元が現在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮としました。
江戸時代は徳川家の祈願所でした。
寛永元年(1789)建立の本殿は、二十四孝、唐子遊びをはじめとした彫刻や彩色等の装飾で埋め尽くされています。
桐生市黒保根町生まれの名彫刻師、関口文治郎氏が彫物棟梁を務め、高い技術力を示しています。
近世の北関東において発達した神社建築装飾が、江戸後期に爛熟する様相をよく示しており、計画絵図、発注書、棟札も伝わっています。
末社春日社本殿は、軒桁、垂木の反り増しなど、遅くとも17世紀初期の建立と見られる特徴をよく示し、群馬県下における希少な遺構とされます。
■アプローチ 一の鳥居・二の鳥居 全景
■神門(桐生門) 平成大修理を記念して新設
境内案内
■社殿
寛政5年(1793年)に再建された拝殿、幣殿、本殿が一体化された権現造です。
建物全体が極彩色で彩られ、細部には名工関口有信らによる精巧な彫刻が施されています。
■拝殿 国重文 建立:1802 正面三間 背面五間 梁間三間 一重 入母屋造、瓦棒型銅板葺、正面千鳥破風付 向拝一間 軒唐破風付
本殿・幣殿は極彩色の彫刻が施されていますが、拝殿は簡素な造りとなっていて、本殿とは対照的な様相となっています。
□拝殿正面
屋根の千鳥破風
□破風と一間向拝 兎毛通は鳳凰の彫刻 梅鉢の紋
□母屋(身舎)
母屋正面は三間、向拝と母屋とは海老虹梁で繋ぎます。中央の柱間は桟唐戸、左右の柱間は蔀。
背面は柱間が五間で、中央の一間で後方の幣殿と繋がります。
拝殿の横にある神楽殿を先にあげます
■神楽殿 建立:19世紀前期 桁行一間 梁間2間半 切妻造 妻入 鉄板一文字葺
黒色を中心に白・赤・緑色で彩色、引違い板戸を設け松の絵
□彫刻
正面の水引虹梁に透かし彫りの牡丹 虹梁上の欄間に鶴と松の高肉透かし彫りの彫刻
幣殿と本殿にもどります
本殿・幣殿は外壁の前面に極彩色の精巧・華麗な彫刻が施されており、内部は同様な彫刻とともに壁画も描かれています。
北関東の近世神社建築の特徴をよく示した優れた建築とされます。とくに、内部の彩色は当初の姿をよく伝えています。
棟札に、本殿・幣殿の大棟梁は町田主膳、彫刻は関口文治郎他8人、絵師は狩野益広他5人の名が記されています。
■幣殿 国重文 建立:寛政元年(1789年)桁行四間 梁間一間 一重 両下造 瓦棒型銅板葺
母屋西・東面側
拝殿の後方に建ち、弊殿・拝殿より少し早い時期の建立です。本殿・幣殿西側面
□西面細部―1
側面は三間 柱間の羽目板に彫刻 柱は円柱 組物は出組 桁下の支輪板にも彫刻が入っています。
□西面細部―2
松に鳥
外観には火灯窓が昇り龍と下り龍、阿・吽形一対で飾られています。
□東面細部―1
側面は三間 柱間の羽目板に彫刻 柱は円柱
□東面細部―2
柱間の羽目板の彫刻「松と鷹」
火灯窓に龍 腰壁に牛・縁の下に三匹の猫
■「目貫の龍」
幣殿に入って正面にあります。本殿の向拝の水引虹梁の上に載っています。
正面の龍の彫刻は「貴龍」といわれ、「桐生」の語源になったとか
■本殿 国重文 建立:寛政元年(1789年)三間社流造 梁間二間 背面軒唐破風付 向拝一間 瓦棒型銅板葺
外観
本殿・幣殿は外壁の前面に極彩色の精巧・華麗な彫刻が施されており、内部は同様な彫刻とともに壁画も描かれています。
北関東の近世神社建築の特徴をよく示した優れた建築とされます。とくに、内部の彩色は当初の姿をよく伝えています。
棟札に、本殿・幣殿の大棟梁は町田主膳、彫刻は関口文治郎他8人、絵師は狩野益広他5人の名が記されています。
■本殿西面側拡大 側面は二間、精緻で濃厚な彫刻で埋め尽くされています。柱や土台までも彫刻が配されています。これは東面・背面も同じです。
□西面妻飾 軒下彫刻
□蛇腹支輪下・浜縁部の彫刻
□銅羽目の彫刻 二十四孝が彫られています 老来子と唐夫人
■本殿東面側拡大
□東面妻飾 軒下彫刻
□本殿東側面の胴羽目、二十四考より大舜と楊香
□本殿西面側 土台
腰羽目は「琴棋書画」 縁の下持ち送り―梅と鳥
■本殿背面側拡大
背面の軒唐破風 兎毛通は植物の彫刻 大棟に鰹木と外削ぎの千木がのり、軒先に唐破風
□背面妻飾 軒下彫刻
妻飾りは二重虹梁 大虹梁の上には唐獅子の彫刻 二重虹梁の上は笈形付大瓶束で棟木を受ける 破風板の拝みに三花懸魚 肘木には唐獅子や竜の木鼻、斜め方向に象と獏の木鼻
□組物の間の中備えや軒支輪の間の欄間、支輪板にも彫刻
□背面側の胴羽目
背面には胴羽目が三枚あり、画題は二十四孝からです。郭巨・漢文帝 孟宗
□背面側基壇周辺
背面の縁の下 柱間に彫刻 腰組の下の木鼻や、床下の支輪板にも彫刻
□腰羽目の唐子 唐子遊びー鬼ごっこ・花車・獅子舞 双六 など
関口文治郎が吟八郎の門下生であることを示す一つともされます。
参考
関口文治郎(1731~1807年)
日光東照宮の寛永の大増替(1636年)に始まる寺社建築の装飾化。その過程で生まれた彫物大工(彫師)の活躍しました。
堀師による寺社彫刻歴史の中で、中心的役割を果たしたのが花輪初代・石原吟八郎の弟子・関口文治郎です。
江戸時代初期の名工になぞらえて「上州の左甚五郎」とも呼ばれました。
妻沼聖天堂の造営で師匠を手伝い宝暦2年(1752年)聖天堂の完成、技術を高めました。
桐生天満宮(桐生市)・榛名神社(高崎市)・東福寺(高崎市)・医光寺(1747年)練った神宮(伊那)等多数の神社で作品が見られます。
末社は春日社本殿と機神神社が国重文に指定されています。
末社春日社本殿
国重文 一間社流造 板葺銅板仮葺 向拝一間 工匠:不明 令和5年に指定 指定理由は桐生天満宮と同じ
桐生天満宮本殿後方に所在する比較的小型の建物です。軒桁、垂木の反り増しなど、17世紀初期の建築(1573~1615年)とされます。
彫刻・彩色による装飾化が進む以前の古い段階の神社建築の特徴を示し、市内最古、県内でも有数の古さを誇る神社建築とされます。
建造は木鼻・蟇股・海老虹梁などの彫刻の特徴から桃山時代と推定されています。
末社機神神社 (はたがみ)
国重文 写真はブログより引用させた頂きました
桐生天神町3丁目にあった菅原神社から1908年(明治41年)に移転された小社で、1793年(寛政4年)に完成。現在は覆屋の中に鎮座しています。
彩色や彫刻による装飾に富んだ社殿で、天満宮・幣殿と同時期に建立されました。
■本殿の覆屋 切妻造 妻入 正面庇付 銅板葺
■本殿正面
建立:寛政4年(1793年) 構造:一間社流造 側面一間 向拝一間 千鳥破風 軒唐破風 杮葺 極彩色 匠匠:星野政八・政方
□細部
兎毛通は飛龍、桁上の神獣は麒麟?木鼻は正面が獅子、側面は獏 組物は鶏と牡丹
海老虹梁・手挟
□側面
唐子あそび
■神明宮・直日神社 建立:19世紀後半 正面一間社 奥行二間 向拝付 切妻 妻入 正背面唐破風 桟瓦葺
雷電神社
群馬県邑楽郡板倉町大字板倉2334
創建は推古天皇6年(598年)、聖徳太子とされます。
主に関東地方を中心に約80社点在する「雷電神社」「雷電社」の総本山とされ、板倉雷電神社とも呼ばれます。
延宝2年(1674年)館林藩主徳川綱吉(五代将軍)が本社社殿を再建、葵の紋の使用が許されたました。
幕末に造られた現社殿は本殿、拝殿、幣殿、奥宮で構成された権現造の建築様式です。
社殿は極彩色の彫刻で壁面が飾られ、杢目を活かした木鼻・他に閼伽井彩色が施されています。彫刻は石原常八の作とされます。
■鳥居~参道
■社殿 本殿、幣殿、拝殿で構成された権現造の建築様式です。
拝殿と幣殿には格天井があり、拝殿には190枚、幣殿には40枚の花鳥図が描かれています。北尾派の浮世絵師北尾重光が描いたものです。
■拝殿 県指定 建立:文政2年(1819年)
□屋根部 屋根に「三つ葉葵」
□懸魚と向拝蟇股 懸魚は鳳凰、蟇股は飛龍 子引き龍
□向拝木鼻と手挟 木鼻は正面が獅子頭 側面は獏頭 手挟は牡丹と菊
□身舎廻りの彫刻 蟇股は干支が主です
■本殿 県指定文化財 建立:天保6年(1835年)
神社装飾建築の粋を集めた華麗な二間社権現造の社殿。北関東のこの時代にしか見られないとされる特異な建築です。
彫物は石原常八の作。北関東のこの時代にしか見られないとされる特異な建築です。
■本殿右側(東側)
□妻飾
□胴羽目の彫刻 日本の神話や来歴
□縁下の彫刻
縁の下の腰羽目には唐子遊びの彫刻
■本殿左側(西側)
□妻飾
□胴羽目の彫刻
□腰羽目と縁下の彫刻
■本殿後方(背面)
□妻飾 一部のみです
□脇障子
□胴羽目の彫刻
□腰羽目と縁下の彫刻
■奥宮 県指定 建立:慶応4年(1868年) 大工棟梁は三村正秀、白木の社殿です。雷電神社本殿の後ろに鎮座
□向拝周辺
□身舎胴羽目と蟇股
□木鼻
■社務所 なまずが座布団の上に鎮座
鰻は、池沼の多い当地方の信仰から生まれたものであると推定されます。
■末社八幡宮稲荷神社 国重文 建立:天文16年(1547年) 二間社 入母屋造
真横から見る屋根の曲線美が見事。群馬県内に現存する最古の神社建築
法隆寺の金堂や玉虫厨子の様に四方に庇が付いています。
社殿の御扉が2組あり、その真ん中に一本の柱が建っていることから「二間社造り」といわれます。
重文クラスでは全国に7カ所しかありません。
□蟇股
雲と鳳凰、岩に松、梅と宝珠、唐草模様と花 いずれも花一対の彫刻です。
All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中