JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Nov. 2025


■■■■■ Topics by Reporters

■ 壱岐へのいざない  瀧山幸伸

いろいろな会合で「おすすめの旅行先でベストはどこですか?」と質問されることが多い。しかし、その質問者の潜在的興味とか、過去の訪問履歴とかを知らなければ答えようがない。医者が検査や問診などの診断をしないと治療や処方ができないのと同じだ。

言い方を変えれば、旅の目的で五感のどれを重視するのかによる。いわゆる絶景などの視覚重視なのか、自然の水音や鳥の声に癒されたいのか、温泉などの触覚刺激を求めているのか、食事や酒などの味覚なのかによっておすすめ先は変わる。

とはいえ、五感とあらゆる欲望に対応でき、万人におすすめできる目的地はある。非日常に出会える離島がそれだ。その中でも特におすすめできるのは、壱岐、隠岐、佐渡、五島、甑島、平戸島などだ。特に壱岐は最もふさわしい目的地と言える。白砂と青い海の海岸、非広域や自動車の騒音がなく心地よい自然の音風景、温泉はもちろん、壱岐焼酎、壱岐ウニなどの海産物は絶品だ。歴史が好きな人には日本の原点といえる原の辻遺跡や壱岐国博物館、さらに壱岐の古墳はミステリーに満ちていて、数が多いだけでなく未だ国王の古墳は発見されていない。思い立ったら福岡や唐津から簡単に訪問できるのも大きな利点だ。

佐渡が「日本の縮図」であるように、壱岐は「日本の原標」だ。


■ 日頃の行い  大野木康夫

11月9日の日曜日、愛知県弥富市の服部家住宅の秋の一般公開に行きました。
この日は朝からあいにくの雨模様でしたが、一般公開がこの日1日だけで予約制だったので、予定どおり出かけることにしました。
服部家の公開は13時30分からだったので、ちょうど秋の公開をしていた三重県桑名市の諸戸氏庭園(諸戸家住宅)、その横にある六華苑(旧諸戸家住宅)、桑名から弥富に行く途中にある愛知県愛西市の船頭平閘門にも行きました。
京都を出発したのが7時30分、安全運転を心がけても六華苑の駐車場に到着したのは8時40分でした。心配した雨は予報どおり傘が必要なくらい降っていました。

六華苑(旧諸戸家住宅)
表門(三重県指定文化財)



洋館(重要文化財)



和館(重要文化財)



一番蔵(三重県指定文化財)



稲荷社(三重県指定文化財)



高須御殿(三重県指定文化財)

0006

番蔵棟(三重県指定文化財)



二番蔵(三重県指定文化財)



この日、和館で雅楽の催しがあったので、雨にもかかわらずある程度の人で賑わっていました。

10時から、諸戸氏庭園(諸戸家住宅)の秋の一般公開に行きました。建物に上がることはできませんが、外からの写真は撮影可能です。六華苑との共通入場券が販売されていました。

主屋(重要文化財)



表門(重要文化財)



玄関及び座敷(重要文化財)



玉突場(重要文化財)



洋館(重要文化財)



推敲亭(三重県指定文化財)



煉瓦蔵(三重県指定文化財)
修理中



煉瓦塀及び石造溝渠(三重県指定文化財)



広間(重要文化財)



雨が激しくなってきて撮影に苦労しましたが、ほぼ貸し切りだったのでゆっくり撮影できました。

服部家住宅の公開まで時間があったので船頭平閘門に行きました。雨は本降りになってきて、堤防道路を運転していても薄暗くて運転しにくい状況でした。

 

最後にこの日の目的だった服部家住宅に行きました。服部家住宅は現住住宅で、春秋2回、各1日公開されます。内部では建物の外観や庭は撮影できます。主屋内部は見せていただけます(御当主から丁寧に説明していただけます。)が撮影はできません。

表門(重要文化財)



主屋(重要文化財)



離座敷(重要文化財)
近年まで内部を見せていただけたのですが、公開時に観覧者が茶室を損壊したため、現在は外観のみの公開となっています。



定員50名のところ、雨の影響もあり13名の参加でした。レンズを拭いていたタオルが濡れてしまい、フィルターが曇って苦労しました。帰路の車の中では、カバンの中身を後部座席に広げて乾燥しながら帰りました。
雨にたたられた1日でしたが、前日の8日土曜日、翌日の10日月曜日とも晴れており、日ごろの行いが悪かったのではないかと思います。


■ 奈良の鹿セレクテッド 野崎順次

① 乙女鹿を浅い被写界深度で撮る。美しい瞳が強調されてロマンチックである、と思う。

      

② 立派な角の壮年の牡鹿がゆったりと歩いてきた。貫禄充分である。

     

③ 春日大社参道から少し原生林の中に入ると、静寂を楽しむかのように鹿たちがいる。

   

④ ドングリに群がる鹿たち。誰かが、無断でばらまいたようだ。鹿せんべいを食べ飽きた鹿でもドングリには飛びつく。

  

⑤ 角を切られた牡鹿どうしが頭突きの応酬をしていた。本能的に角があるかのようなしぐさだろうか。

    

⑥ 真夏に大汗をかいた後、鹿は私の腕をベロリベロりと舐める。汗が乾いて塩分が残留している。野生動物にとって塩分は貴重である。

    

⑦ この外国人女性は鹿せんべいを二束も持っていて、鹿が群がってきた。なかには服を噛んで催促する鹿もいる。

   


蟇股あちこち 67 中山辰夫

群馬県の桐生天満宮と末社、雷電神社です。社殿に配された濃厚な彫刻がみものです。

      

桐生天満宮・末社の社殿の建築はその歴史的・美術的価値が高いとされ、令和5年(2023年)に本殿・幣殿・拝殿、末社二社の本殿が国重文の指定を受けました。
社殿の彫刻装飾は、日光東照宮や榛名神社の彫刻を手掛けた名工・関口文治郎の手によります。
天満宮や雷電神社は活躍した彫刻師の流派としての特色及び北関東の地方的特色が顕著とされています。


■蒙古の碇が 田中康平

九州国立博物館で「法然と極楽浄土」と題する特別展が開催されていて、のぞいてみた。

12世紀後半から13世紀初頭を生きた浄土宗の開祖法然のゆかりの品が数多く展示されている。中でちょっと気になったものの一つに福岡市の善導寺所蔵の善導大師立像というのがあった。博多の善導寺は法然の弟子で後を継いだ鎮西聖光上人(北九州出身)が法然の没後すぐの1212-1213年頃に創建した寺ということらしい。

善導大師立像は小さな仏像だが九州国立博物館でCTスキャンして調べたところ頭部に2本歯が入っているのが確認されたという。聖光上人のものかという説もあるようだ、像の年代は13世紀とある。ちょっと生々しい感じがして、この善導寺とはどこにあるのだろうと調べて行ってみた。本堂は新しいものだが閉まっていて中を観ることもできない、境内には石碑などが残されていて見ていると蒙古碇に石像を彫ったものに行き当たる。

博多の地ではあちこちでこの蒙古碇石に出くわす気がする。元寇の際の元の軍船の置き土産と見受けられ、博多湾型碇石との名がついているようだ。ここのは地蔵を彫ってちょうどいいと石碑に仕立てたようで、延文三年との銘文も刻んであり一族の墓石のようなのりで使われているように見える。ちょっと楽しくなる。延文三年なら南北朝時代で1358年ということになる。元寇は1274年/1281年だから80年くらい前の事件ということで深刻さも薄らいでいたのだろう。

長崎県松浦市の鷹島では元寇時の元の沈船が発見されておりその碇石とこれを使った碇の復元品が九州博物館に常設展示されている。改めて訪れて眺めると、こちらは2個の石に分かれていて善導寺の博多湾型とは異なっており、鷹島型碇石と呼ばれるようだ。基本的に木の碇でその重しの石が碇石ということのようにみえる(説明文では木へんのいかりの字が用いられていてそうかと思わせる)。
いずれにせよ北部九州らしい考古資料との気がして興味深いし、行き当たりばったりの気ままな散策も楽しい。

添付写真は順に 

00:九州国立博物館、01:善導大師立像(特別展パンフレットより)、02:博多・善導寺本堂、03、04、05:蒙古碇石(観音像の彫刻)、06:説明板、07:梵鐘、08:山門、09:九州国立博物館に展示されているモンゴル軍船の碇、鷹島で発見されたものの復元品(石は実物)、10:その説明板

           


■ 動画編集用PCー自作PCのこと  川村由幸

今まで使用していたPCの能力が直近購入したカメラR50Vの仕様に対応できないことが判明したことがきっかけでした。
R50Vで撮影した動画がスムーズに再生されず、瀧山さんに相談したのがスタートです。
10月16日に動画再生の不具合を掲示板で相談し、たくさんのやり取りを経て、10月26日には秋葉原のドスパラで動画編集用PCのパーツを瀧山さんと共に購入していました。
パーツ購入後、その日の午後にJG本部でPCの組み立てに挑みました。怒涛の進展です。
もちろん、組み立ては瀧山さんに全ておまかせ、私はボルトをいくつか締め上げただけ。
2時間ぐらいで組み上がり、最初の電源を入れる時はとてもドキドキしました。
そして、皆さんの期待通りPCは動きませんでした。
その時の緊張感と焦燥感は本当に久しぶりに味わう感覚でなんとも言えないものでした。
不良個所を発見するため、せっかく組み上げたPCをばらしてゆきます。
そうこうしているうちに、電源をいれてもCPUが温かくならないことに瀧山さんが気づき、マザーボードへ電力が供給されていない、すなわち電源との配線がされていないことを発見、修正しました。
結果、見事に自作PCは稼働、windows11をインストールして完成したのでした。

  

上がその画像です。モニターは最新の55型4Kテレビです。
瀧山さんに宅急便で自宅にPCを送っていただき、モニター・LAN・プリンター・HDD等必要なものを接続して稼働。現在まで全く問題なく動いています。
問題なのは、これからの私の動画編集能力です。もちろん、撮影技術もなのですが、有効なツールは与えられ、JGの品質レベルを保つことのできる動画を撮影・編集できるようにならなければなりません。
きっとさらに瀧山さんにご迷惑をお掛けして、教えを乞うことになるでしょう。
そのための努力と精進をしてゆくつもりでおります。
今回のPC自作では、瀧山さんにCPU・グラボさらに動画編集ソフトDavinci Resolve Studioをご提供いただきました。その分、大幅に少ない経済的負担でPCが完成しましたこと心よりの御礼と感謝を申し上げます。

 


■「麺単品ドラドラ!」 柚原君子


麺単品ドラドラ……どのような麵がおいしいか……というテーマではなく、麻雀の「メンタンピンドラドラ!」が今回のエッセイです。

学生時代からバドミントンをずーと続けて、PTAのクラブや地域のクラブに籍を置いて、区民大会、都民大会、地域への大会参加&ついでに温泉旅行……とバドミントン三昧の生活を40年間も続けた。スマッシュを打つ時に、脳からドーパミンがどどっと出るらしく、スポーツがやめられなくなる理由でもあるそうだが、寝ても覚めてもシャトルとラケットを離さずに過ごしたが、それでも寄る年波には勝てず、腕も痛く膝関節も腫れて、Drストップがかかっても、きつい包帯を巻いて試合に出ていたが、それでもどうしてもやれなくなって泣く泣く引退をした。


そのような仲間が一緒の時期に8人くらい居て、仲間の関係は続けたく、ラケットの代わりに「牌」を持とうと、学生時代にやったことがある人を中心に伝授を受け始めた。

チンプンカンプンだった。

イーリャンサンスーウーローチィーパーキュー!チィーポン!アンコにミンコにコーツに順子←どこの子かと思へば、ジュンツという数字の連なる形の呼び方らしいのだ。
イーハン40フピンフアガリがナンタラカンタラ……学生時代にやったことのある伝授してくれる友達は遠慮会釈なしにカタカナを連発していく。慣れてね!と言いながら。

頭が痛い。レッスンの日には胃が痛い。頭痛もやまず何度もレッスン参加をやめようと思った。
でも麻雀レッスンをやめることは仲間も失うことになる。
伝授の友達が言う。
「ラブオブプレイ!・一本~!だよって団体戦で皆で頑張ったあのバドミントン魂と根性はどうした!」。コーチのような励まし!そうだ数々の試合を勝ち抜いてきたではないか。負けそうになった試合でも歯を食いしばってきたではないか。
頑張ることにした。

読み物が好きで麻雀の本を図書館で何種類か借りてきて、文章からも入ることにした。これが私の性に合ったのか麻雀を面白いものだとの一歩になった。

現実の世界に溶け込んでいる麻雀言葉がまず面白かった。

■テンパっちゃった(アガリを前にして緊張すること)
■飲み会レンチャンだよ(続けて何かをやること)
■チョンボ(間違ったアガリ方)
■面子(メンツ、必要なメンバー。グループに集う参加者一人一人のこと)
■あがってなんぼ……和了ってナンボ。どんな結果であれ、何もしないよりはいくらかはマシである。
■イッキツウカン【一気通貫】麻雀の役の一つ。初めから終わりまで一通り揃っている状態。
■オーラス(麻雀の最後の戦いの場を示す南場四局で、物事の最終局面、あるいは最後の踏ん張り所を指す
■ダントツ(断然トップ。一人だけ周囲を大きく引き離した揺るぎない勝利)
などなど。

麻雀には神様がいて、サイコロを振って配牌初めの位置を決めるのだが、七つの牌は神様の分として残す。牌を自分の前に13枚持ってくるのは人間のやることだから時計回りに取っていくが、実際のゲームは反時計回りに動いていく。それは麻雀の神様が天上からそのゲームを見下ろしているからということになるらしい。
麻雀には神様が付いているので、私たちは負けが込んでくると、
「ああ、神様!積もらせてください、せめてテンパっている形に(アガリまであと一歩の形)させてください」と、天上を向いて拝むこともある。

伝授を受けてあれから二年。
符の計算もできるようになって、今は二つのグループに入れてもらって、一か月に6回から8回も打っている。楽しさこの上ない。単発でちょこっと区のグループなどに参加することもある。打ち手の個性色々で、人間観察的にも面白い(この話はまたいつかに書きたい)。
老いた体と脳がこれ以上老いないように牌を手でかき回し、大三元や役満が時々出せるように我が脳をかき回して努力している。

表題の「メンタンピンドラドラ」は、
メン……麻雀の役「リーチ)」のこと。門前(ポン・チーなどをしない)であと一枚でアガりの時に宣言すること。
タン……麻雀の役「断幺九(タンヤオチュー)」のことで数字の牌の1・9と字牌を使わない役。
ピン……麻雀の役「平和(ピンフ)」のこと。聴牌した時の待ちを2面待ちにすると出来る役。
ドラドラ……ドラ表示牌の次の牌がドラとなり(ドラ表示がマンズの1ならマンズの2がドラ)、ドラを持っていると点数が上がる。そのドラを2枚持っている時にドラドラと言う。ドラが一枚ならドラ1、ドラが3枚ならドラ3と言う。
「メンタンピン」とセットで言うのは、麻雀で基本的に揃えやすく、まずは上がれるきっかけになる初歩的な役ということになる。そしておまけのドラドラがあればなお宜しい、というおまじないのような文言だ。

とはいえ、自宅で麻雀をやらせてくれる友達の家で、店屋物で麺をそれぞれ一ピンづつ頼み、ドラドラ談義をしながら「麺単品ドラドラ」で過ごすこともある。昔、ラケットとシャトルが頭に始終あったように、今では牌が頭の中を駆け巡る。
いっぱい麻雀をやりたいために、長生きをしたいと思うこの秋にいる。


■   酒井英樹




 All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中