■■蟇股あちこち 68 中山辰夫
群馬県の妙義神社と榛名神社です。
北関東には、日光東照宮の彫刻に携わった彫刻師が彫り上げたとも言われる彫刻を飾る社寺が多く、優美さを誇っています。
この地域の社寺建築の大工、彫刻師、塗師などの工匠は大半が江戸より来ているとされます。
北関東に多い遺構の中でも 群馬に鎮座するこの二神社は彫刻が特に優れたものとされます。
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妙義神社
群馬県富岡市妙義町妙義6番地
社伝によると創建は537年とされ、妙義山中腹の急斜地に境内を構える神社で、古来山岳信仰により隆盛しました。詳細な沿革は不明です。
境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれています。参道は県道に面した一の鳥居から御本社のある神域まで、ほぼ一直線に延びています。
本殿、幣殿、拝殿は権現造、唐門は一間平唐門で、いずれも随所に彫刻を付け、全面に漆塗、彩色を施した華麗な建物です。
境内上段には17世紀中期築の随身門及び廻廊が建っています
■一の鳥居 銅板でカバーされた明神鳥居 後方に妙義山が見えます。
■総門 国重文 建立:安永2年(1773年) 三間一戸 八脚門、切妻造、銅板葺 日本の貫の間に緑色の連子入り
三間二間単層切妻造の大規模な門で、もとは白雲山石塔寺の仁王門。 門前のしだれ桜は春、社殿を一層ひきたてます。
彫刻
二重虹梁の妻飾りに唐獅子の彫刻、側面・背面の中備えに正面と同じ蟇股が配されています。 木鼻は籠彫り、波の意匠、蟇股は菊と思しき花?
■二の鳥居 県指定 銅造明神鳥居 柱の根元に意匠があります 四面に獅子の像
■波己曾社 (はこそしゃ)県指定 建立:明暦2年(1656年) 入母屋造 正面千鳥破風 銅板葺
本殿・幣殿・拝殿からなり、旧本社と伝えられています。現在は社務所と御殿が置かれています。
■拝殿部分
□拝殿屋根部・妻部―屋根正面は千鳥破風、妻飾りには蟇股や虹梁、大瓶束
□正面 柱間は格子の引き戸、半蔀、軒下は極彩色に塗り分けてあります。組物は出組、中備に蟇股
□軒下の詳細
頭貫・軒桁に菱形のパターン、上下の羽目板に花と枯草、蟇股は花鳥の彫刻、柱の上部や組物は桃山風の極彩色
□両側面、背面もほぼ同様の構成です。
拝殿部分の後方に弊殿・本殿の棟が続きます
■幣殿・本殿部分 入母屋造 妻入 銅板葺
石造の太鼓橋を渡ると、上部神域へと一直線に延びる百六十五段の石段があります。これを登り切ると神域の入り口に随神門があります。
■随身門 国重文 明暦2年(1656年) 三間一戸 八脚門 切妻造 銅板葺
妻飾りは二重虹梁、台虹梁の上に蟇股が二個
■唐門 国重文 建立:宝暦6年( 1756) 桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺 随所に彫刻を付け、全面に漆塗り、彩色を施した華麗な建物です
□正面 桃山風に彩色された組物 柱は円柱、金具でカバー。虹梁の木鼻は立体的に彫刻された菊の花、柱の左右の欄間に菊水や竜の彫刻(昇り竜・降り竜)
□背面 門扉は桟唐戸、上の大きな羽目板には鳳凰の彫刻
□左側側面
□右側側面-左右に鷹の彫刻 欄間の彫刻は花と鳳凰
■社殿は、拝殿・幣殿・本殿が一体となった権現造です。
拝殿の繋虹梁を丸彫りの竜とし、本殿の尾垂木を雲形とするなど、一部の構造材が彫刻化しているのは、同種の遺構の中では早い例とされます。
■拝殿 国重文 建立:宝暦6年(1756年) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付 銅瓦葺
□正面
虹梁中備えと唐破風虹梁上の妻飾り 松に鶴の彫刻 錺金具
□左右の向拝虹梁の彫刻
柱は几帳面取り角柱、飾り金具付、柱正面に唐獅子、側面は獏の木鼻 持ち送りは菊の花の籠彫り
□向拝と身舎(母屋)をつなぐ海老虹梁に手の込んだ龍の彫刻 金ぴか
□身舎の軒先の欄間や蟇股にも多くの彫刻が配されています 手挟には極彩色の雲の彫刻 縁側の脇障子は「竹林の七賢」の彫刻
■幣殿 国重文 建立:宝暦7年(1756年)桁行二間、梁間一間、一重、両下造 銅瓦葺
土間床で屋根の低い棟が幣殿です。別名は「石の間」です。拝殿と本殿を石の間で繋いだ建築様式は権現造といわれます。
□彫刻詳細
柱は円柱で、建具は舞良戸。欄間彫刻、蟇股、二手先の組物などは拝殿と同様です。
■本殿 国重文 建立:宝暦7年(1756年) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造 尾垂木は雲形など一部の構造材に彫刻を施しているのは、同種の遺構の中では早い例です。
□妻飾と破風
入母屋 破風板は金で装飾、妻飾りは笈形付大瓶束。笈形は若葉の意匠 錺金具
□側面
二間、左は母屋部分、右側は幣殿との接続部には火灯窓を配置、縁側四面には波打った欄干、薄肉彫による波に胴羽目に団扇・扇の図柄の装飾
□身舎まわりの欄間と蟇股の彫刻
■神饌所 国重文 梁間一間 桁行三間、梁間一間 向拝破風 銅板葺 透塀 火灯状の曲線の窓
□正面妻飾は大瓶束、左右に麒麟の彫刻
■■ 榛名神社
群馬県高崎市榛名町
榛名山の南中腹にあって、6世紀の創建とされます。
境内の中心は奇岩・御婆岩が聳え、その南下の平坦地に、本社・幣殿・拝殿が建っています。
この周囲には、国祖社、神楽殿、双龍門などが建ち並び、南に神幸殿や随身門が離れて位置しています。
神社の中心の本社・幣殿・拝殿は、精緻な彫刻と濃密な彩色が全体構成と見事に調和した権現造の複合建築です。
唐破風造の神楽殿、軒唐破風や彫物の装飾性に富んだ双龍門や随身門など、江戸時代後期の北関東を代表する優品です。
榛名神社の建築群は、奇岩が周囲を囲んだ独特な環境にあって、存在感のある造形を具備した建築であり、高い価値があるとされます。
アプローチ
■随身門 国重文 弘化4年(1847年) 三間一戸八脚門 入母屋造 前後軒唐破風付 銅板葺
□屋根部 兎の毛通
□破風部
□木鼻 持ち送り
■三重塔 市指定 再建:明治2年(1869年)初層の蟇股は干支 群馬県唯一の塔
□初層(四面) 蟇股
■手水舎 正面軒唐破風 入母屋造 桟瓦葺 木鼻 蟇股 組物出三斗
手水舎から神幸殿を経由して神門に至ります。境内までもう一息です。
■神幸殿(みゆき) 国重文 安政5年(1859年) 正面一間 側面三間 背面三間 一重 入母屋造 妻入 銅板葺
彩色されていません。毎年春の大祭(5月8日~15日)の神幸祭の時、神輿が渡御・還御する社殿
□細部
懸魚のみ彩色、柱は円柱、正面に大きな虹梁。頭貫木鼻は唐獅子、柱上は出組、中備えに蟇股。虹梁の中央上部に藻も木鼻と組物配置。
■神門
神門は、本社・幣殿・拝殿から石段を下りたところにあり、明治以前の神仏習合時代の名残をとどめる、素朴な造りが特徴です。
その隣には、江戸時代の建築で龍の彫刻が特徴的な「双龍門」があります。
□矢立杉
高さ30メートル以上、樹齢500年以上の巨木。国の天然記念物。武田信玄が戦勝を祈願して矢を射たという伝説が残っています。
■御姿岩
社殿の背後にそそり立ち、岩の頂部が突き出ています。
御姿岩の下部に洞窟状の空間があり、そこに主祭神を祀る場が設けてあるとされます。
■双龍門 国重文 建立:安政2年(1855年) 四脚門 入母屋造 前後千鳥破風 四面軒唐破風付 銅板葺
□正面 破風周辺
□細部―兎の毛通 虹梁上の妻飾 虹梁の彫刻
□木鼻 持ち送り
□門扉の龍の彫刻
□羽目板の彫刻
社殿 左手が拝殿、右側が本社で両社殿をつなぐのが幣殿です。文化3年(1806年)に再建された権現造の複合建物
本社は隅木入春日造、幣殿は両下造、拝殿は入母屋造です。
随所に彫刻が施され、どれもが見事で、撮影がままなりません。
現在、令和7年12月までの工期予定で改修工事が行われています。
■拝殿 国重文 再建:文化3年(1806年)桁行三間 梁間二間 一重 入母屋造 正面千鳥破風 両側面軒唐破風付 向拝一間 軒唐破風付 総銅板葺
■正面側
□兎の毛通と大瓶束
□向拝-蟇股と朱の木鼻は狛犬 もち送り
□左右海老虹梁に巻き付いた紅白の双龍
■背面側
□兎の毛通と大瓶束
□向拝周辺
□木鼻
□拝殿縁下に配された聖獣の彫刻と賽銭箱にも唐獅子牡丹の彫刻が施されています
□柱にも龍の彫刻
■幣殿 国重文 桁行三間 梁間一間 一重 両下造 正面拝殿 背面本社に接続
柱は円柱、中央に桟唐戸、左右に火灯窓
□軒下の意匠は拝殿とほぼ同じです。欄間や虹梁上に蟇股
■本社 国重文 建立:文化3年(1806年) 正面三間 側面二間 一重 隅木入春日造
御姿岩にのめりこんでいます。御神体が岩奥に祀られています。権現造の社殿の本殿部分が春日造は珍しいとされます。
□側壁の脇障子の彫刻
■国祖社 国重文 建立:享保年間(1716~35年) 正面三間 側面五間 一重 入母屋造 妻入 向拝一間 軒唐破風
額 殿
国重文 建立:享保年間(1716~35年) 正面6.5m 側面2.9m 一重 入母屋造 総銅板葺
□正面
■神楽殿 国重文 明和元年(1764年)桁行8.5m 梁間4.7m 一重 北面唐破風造 南面切妻造 妻入 銅板葺 力神様
虹梁には唐草、木鼻は拳鼻 梁の上で力神が棟を受けています。左右は雲の意匠が彫刻
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