■■蟇股あちこち 69 中山辰夫
京都右京区の妙心寺と今宮神社二社と福王子神社です。
妙心寺は十万坪という広い寺域に七堂伽藍が。それを囲んで四十七もの子院塔頭が納まる広大な寺院です。聳える老松の間に伽藍が整然と立ち並びます。
今宮神社は西暦5年(994年‐平安中期)に流行した疫病退散を祈願して創建された神社、平安時代から続く由緒ある神社です。
福王子神社は仁和寺を開いた宇多天皇の母を祀る神社で仁和寺の鎮守神とされます。蟇股が適所に配されています。
妙心寺
京都市右京区花園妙心寺町
47もの塔頭をようする禅宗の大寺院です。歴応5年(1342)花園上皇か花園離宮お禅寺として創建されました。
応仁の乱で荒廃後復興、近年に入って秀吉・家康とむすびつき、大きく発展しました。
17世紀中頃には法堂・大方丈・庫裏などが再建され、今日の寺観が整いました。
山内は、石畳で結ばれた一つの寺町を形成しています。
七堂伽藍が建ち並ぶ広い境内は国の史跡に指定され、方丈庭園や籐頭の庭園は名園として知られています。
アプローチ
山門から仏殿が南北の軸上に並んだ典型的な禅宗式伽藍配置です。
■南門 国重文 慶長15年(1610年) 三間一戸 薬医門 切妻造 本瓦葺
梁の上の蟇股は板蟇股 大きな蟇股が並んで配されています。
■勅使門 国重文 慶長15年(1610年) 一門一戸 四脚門 切妻造 檜皮葺
□正面側と背面側
妻飾りは虹梁と大瓶束、大瓶束の左右に板蟇股のような笈形が付く
□妻部と蟇股 蟇股は「雲と龍」 「竹と虎」の彫刻
■山門 国重文 慶長4年(1599年) 五間三戸 楼門 二重 入母屋造 本瓦葺 両山廊付
下層は正面五間、中央の一間は広いです 五間の内中央の三間二は板戸があります 上層も正面五間 全て桟唐戸
■仏殿 国重文 文政10年(1827年)
桁行三間 梁間三間 一重裳階付 入母屋造 本瓦葺 廊下付 本堂に相当します
屋根は二重に見えますが、下の層には裳階という庇で、内部は平屋です 下層の裳階は五間です
□身舎妻飾りの蟇股 東妻と西妻
□東妻・西妻の彫刻 鳳凰と霊龜
■法堂 国重文 明暦2年(1656年) 桁行五間梁間四間 一重裳階付 入母屋造 本瓦葺 廊下付 見舎の鏡天井に雲龍画 国宝の梵鐘
□鏡天井 雲龍図(発方睨みの龍)
8年の歳月をかけて描かれた狩野探幽の雲竜図
仏殿と法堂は廊下で結ばれています
■渡廊下 国重文
廊下に配されている彫刻
□仏堂側から法堂側へ
□法堂側から仏堂側へ
■浴室 国重文 明暦2年(1656年) 桁行五間 梁間正面五間 背面三間 一重 切妻造 妻入り 本瓦葺 内部に檜で出来たサウナ風呂
明智光秀の菩提を弔うために創建されたとされます。通称「明智風呂」
□細部
■経蔵 国重文 寛文13年(1674年)桁行一間 梁間一間 一重裳階付 宝形造 本瓦葺 八角輪蔵付
内部に回転式の輪蔵が納めてあります。この輪蔵を回転させると納められたすべての経文を詠んだことになるとされます。
唐門が2か所あります 大方丈と玄関です
■玄関(正面側)
□笈形と蟇股 正面側~背面側
□内部通路周辺
■大方丈 国重文 承応3年(1654年) 桁行29.5m 梁間:21.7m一重 入母屋造 檜皮葺
四周に広縁おつけた六間取り方丈形式で、室中60畳敷
□唐門 大方丈側
□唐門 正面側
□
□唐破風
■小方丈 慶長8年(1603年) 桁行15.9m 梁間10.0m 一重 入母屋造 こけら葺廊下
■法堂と寝堂をつなぐ廊下 蟇股が配されています。
□法堂から寝堂
□寝堂から法堂
■寝堂 国重文 明暦2年(1656年) 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 本瓦葺
法堂と寝堂とは廊下でつながっており蟇股が配されています。
■庫裏 国重文 承応2年(1653年) 桁行25.8m 梁間:18.0m 一重 切妻造 妻入り 桟瓦葺 廊下付
大庫裏・小庫裏・土間で構成。櫓煙出しや竈が五つあります。
□韋駄天堂
韋駄天は仏教を守護する天部の善神。韋駄天は持国天、広目天、多聞天とともに四天王に数えられます。
伽藍を守る護法神とされ、厨房や僧坊を守るとされます。
■ハス池と宝蔵
境内の左側にある蓮池、その中央に宝蔵が建っています。
■北門 国重文 慶長15年(1610年) 三間薬師門 切妻造 本瓦葺
境内は学生や一般人の生活路としても利用されています。
今宮神社
今の神社のある土地には、794年の平安遷都以前から疫病を守る神社「現・摂社疫神社」があったとされます。
平安遷都後も疫病や災害が起こり、鎮めるための御霊会が行われました。
正歴5年(994年)大規模な疫病が流行り、長保3年(1001年)にも疫病が流行ったことから、疫神を祀った社に社殿を造営、今宮社としました。
創祀以来、朝廷・民衆・武家からの崇敬篤く、再建や造替が行われた。
西陣の八百屋に生まれた「お玉」が家光の側室となり、綱吉の生母・桂昌院となったことが「玉の輿」の由来となったとも。
桂昌院は京都の社寺の復興に傾注され、元禄7年(1694年)に今宮社社殿を造営されました。
寛政7年(1795年)、機業者を中心とした西陣界隈の豊富な経済力を背景に能舞台も造営、公演されましたが昭和45年(1970年)を最後に途絶えました。
境内の社殿は、摂社も含めほとんどが国登録文化財の指定を受けています。
■楼門 国登録 建立:大正15年(1926年) 廻廊 国登録 建立: 大正15年(1926年)
□正面側
□背面側
□側面側
■手水舎(お玉の井) 国登録 再建:1694年 桂昌院が元禄7年(1694年)に再建。
■拝殿 国登録 再建:元禄7年(1694年) 改修:弘化3年(1846年) 桁行三間 梁間三間 入母屋造 銅板葺 再建は桂昌院
四面に建具が無く吹き抜けです。奥に弊殿や本殿が見えます。
■幣殿・拝所・廻廊 国登録 建立:明治35年(1902年) 木造平屋建 銅板葺
唐破風と切妻の屋根が幣殿です。左右の低い屋根は廻廊です、左奥の高い屋根が本殿です。
■幣殿・廻廊 国登録 再建:明治35年(1902年) 銅板葺 廻廊は切妻 銅板葺
向唐破風と切妻(妻入)を組み合わせた形式
■幣殿正面の向唐破風
兎毛通には猪目懸魚、正面頭貫の上に蟇股、妻虹梁の上には笈形付大瓶束がおかれ、その左右は雲状の彫刻で埋めています。
■廻廊 再建:明治35年(1902年)
柱は円柱 柱上は舟肘木 軸部に長押、柱間の連子窓には菱組の吹き寄せ格子、蟇股が並ぶ。
■本殿 国登録 再建:元禄5年(1644年) 桁行三間 梁間二間 三間社流造 一間向拝 切妻造 檜皮葺
幣殿の奥にある本殿は塀越しに見ることが出来ません。境内北端に疫神社本殿と並び建ちます。
四周に榑縁を廻らし脇障子をたて、外陣に板唐戸と蔀をたてる。向拝の間口と奥行、けらばを広めて屋根をのびやかに張出した伝統形式を保守しつつ優美な外観をもつ近代社殿とあります。
資料によると、組物は出三斗、中備に蟇股を置き,身舎と庇を海老虹梁でつなぐ。蟇股・木鼻・脇障子などに装飾を飾った伝統的なつくりの流造本殿です。
内部の蟇股は、花木に鳥、竹に虎をあしらった丸彫り彫刻を配しています。(1644年の再興時のものです。)
■絵巻殿
■八社 国登録 建立:元禄7年(1694年)
■東門 国登録 建立:明治14年(1881年) 木造 瓦葺
境内社
■疫神社本殿 国登録 建立:明治41年(1908年) 桁行三間梁間二間、切妻造、向拝一間、銅板葺。
渡廊(国登録有形文化財)・門(国登録有形文化財)・廻廊(国登録有形文化財)ともに明治41年(1908年)頃建立
■織姫神社 織物の祖神、𣑥幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)をお祀りします。𣑥幡千千姫命は七夕に登場する織姫に機織りを教えたとか
■やすらい祭 国重要無形文化財指定 4月第弐土曜日 京都三大奇祭の一つ 御霊会を起源とする農村部の祭礼
■あぶり餅
花薗今宮神社
京都市右京区花園伊町17
妙心寺の南西側にある花園および太秦安井一帯の産土神として知られています。
かっては祗花園社・花園社と呼ばれていました。
1015年(長和4年)に流行した疫病を鎮めるために創建されたとされ、一時的に衰退。永承7年(1052年)にも疫病が流行、その時に社殿が造営された。
その後、仁和寺や法金剛院の鎮守社となりました。
境内
長和4年(1015年)に創建されました。後に仁和寺の鎮守社となりました。
□拝所
本殿 市指定文化財 建立:寛永21年(1644年) 大型の一間社流造 仁和寺再興の一環として本殿、拝殿、末寺が建立されました。
本殿は、昭和35年(1960年)とその後にも改修 平成26年(2014年)の創建1000年記念事業時にも一部改修
細部
組物は出三斗、中日に蟇股を置き、身舎と庇を虹梁で繋ぐ、蟇股・木鼻・脇障子などに装飾を飾った伝統的な作り。
蟇股は向拝正面と、身舎正面と左右側面部に配されています。
向拝と身舎正面
蟇股の内部は花木に鳥、竹に虎をあしらった丸彫り彫刻を嵌めています。桃山期に比較すると、やや躍動感に欠けるきらいがあるとされます。
福王子神社
京都市右京区宇多野王子町
双ヶ岡の西北、周山街道の登り口に鎮座し、光孝天皇の皇后班子(なかこ)を祀っています。
仁和寺の鎮守社とされ、旧福王子村の産土社でした。
■鳥居 国重文 建立:寛永(1624-1643年)頃 石造明神鳥居
形の整った石造の明神鳥居です。
■拝殿 国重文 建立:寛永(1624-164年)頃 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、銅板葺
柱間がすべて開放。小規模・簡素な建物です。
本殿周辺アプローチ
■拝所「幣殿」 奥に見えるのが本殿です
■本殿 国重文 再建:寛永21年(1644年) 一間社 春日造、向拝一間 銅板葺 石灯籠2基
正統的な手法からなる一間社春日造です。 1644年の造立は、仁和寺の寛永再興時の一環として造営されました。(今宮神社本堂と同時期)
□細部
組物は出三斗、中備は蟇股、身舎と庇を海老虹梁でつなぎ、海老虹梁の上に庇の垂木掛を載せる。軒は身舎・庇ともに二軒繁垂木
□蟇股は向拝の正面と身舎の周りに3個、計4個配されています。
□向拝
□身舎の蟇股
正面
左右側面
All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中