JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Jan. 2026


■■■■■ Topics by Reporters

■ AIの進化と影  瀧山幸伸

AIが進化した世界が急激に現実化してきた。もちろんその影の部分も現実化した。将来の反社会的利用、著作権侵害や詐欺などに利用される懸念が高まったため、昨夏にYouTubeでの配信をやめた。YouTubeには2000本を超える動画を試験的にUPしていたが、自分のめざす未来の社会像に沿わないことが懸念されてきたからだ。

今思えばめざす未来の社会像は自分が育った環境の影響が大きかったのだろう。物心ついた頃から科学や人工頭脳(AI)が発達した社会を夢想していた。手塚治虫などのSF漫画や科学雑誌に3歳ごろから親しんでおり、小学校時代は理科社会と国語が特に好きで、友人と遊ばない日は県立図書館にこもって漫画をはじめ某局のプロジェクトXXにも登場する「新幹線物語」や「黒部ダム物語」などをむさぼるように読みふけっていた。とにかくベルヌのように100年単位の未来社会を夢想するのが好きだった。 大学の教養学科(何を専攻してもよいリベラルな学科)に進んだのも必然だった。入学後、大学生協の書籍部で「読書の泉」という推薦図書をリスト化した小雑誌を手にして、これらの図書を全部読む決心をした。当時の大学講義は出席しなくても一夜漬けでOKだったので、毎日一冊をゆっくり読んでも1年ほどで難なく読破できた。その中には哲学的社会的な啓蒙書もあれば科学的な図書も多かった。これらの図書で培った「あるべき社会像」と「欲の価値観を追及し倫理観が欠如し退行しつつある現実世界」との不整合は避けなければならないから。


■ 最近の撮影から  大野木康夫

1月3日に大阪に撮影に行きました。

泉井上神社境内社和泉五社総社本殿(重要文化財)
正月三が日は瑞垣内の参拝が可能です。
改修後の鮮やかな彩色が印象的でした。

   

四天王寺鳥居(重要文化財)

初詣客と露店で賑わっていました。
扁額の文字、貫の銅板の修復銘が印象的でした。

   

四天王寺石舞台(重要文化財)

初詣客は伽藍の方に行きますが、石舞台の前でおみくじが売られているためまあまあの人出でした。
石橋も含むことを見落としており、撮影はうまくいきませんでした。

   

四天王寺六時堂(重要文化財)

修理中で、14日に行われる「どやどや」はどうするのか気になります。
年末に覆屋が取れて撮影はできるようになっていました。

   

四天王寺元三大師堂(重要文化財)

合格祈願法要で「智慧の輪くぐり」が行われており、賑わっていました。

   

四天王寺五智光院(重要文化財)

有料エリアにありひっそりとしていました。

   

四天王寺本坊方丈(重要文化財)

本坊庭園(有料)内にあります。お寺の表記だと湯屋方丈となっています。

   

四天王寺本坊西通用門(重要文化財)

本坊の入口で、手前の柵のところまでしか近寄れません。

   

勝鬘院塔婆(重要文化財)

前が駐車場になっており、少し撮影しにくかったです。

   

旧松坂屋大阪店(髙島屋東別館)(重要文化財)

日本橋の電気街?の中にあり、撮影しにくかったです。東北角の建物の屋上看板も支障になります。

   

所用があったので午前中だけの撮影でした。
今後もなるべく積極的に撮影に出かけたいと思いますが、1月9日開始の神戸女学院一般公開に申し込もうと思って昼休みに申込ページを見たらすでに終了していました…


■京都市内の代表的な辻子(づし)三ヵ所  野崎順次

京都に多い細い路地、読み方は「ろじ」の他に「ろうじ」「ろーじ」とも読みます。 本来は「露地」と表記し、意味は大通りから折れた、民家の間の細い通路のことを言います。
最近ではこのような小路全てを露地といいますが、本来は露地は行き止まりになった小路(細道)のことを言いました。
行き止まりにならずに次の通りまで突き抜けている路地は「辻子」または「図子」(いずれも「づし」)と言います。「突抜」(つきぬけ)ともいいます。
(京都露地散歩サイト)

京都の代表的な辻子が市内中心部、新町通を挟んでほぼ縦に並んでいる。北から南へ、了頓図子、撞木辻子、膏薬辻子である。新町通には小さな史跡やグルメ有名店が散在し、ちょっとした散策コースである。

 

了頓図子(りょうとんずし)
三条通と六角通の間で衣棚通が正式名称らしい。中央部にずばり、「了頓図子町」の地名が残る。伏見桃山時代に広野了頓という茶人の屋敷があり、敷地内の通り抜けを許していたことから来ている。北(三条通)から南(六角通)へ通った。

      

撞木辻子(しゅもくずし)
撞木とは鐘を鳴らすT字形の棒のことである。シュモクザメの名前の由来が初めて分かった。烏丸駅近くのビルの谷間を錦小路通から四条通に南北に抜け、途中で西の新町通につながっている。今回は四条通側から入った。

    

途中で左折れすると、飲食店が密集していて、夜は賑やかだろう。

      

膏薬辻子(こうやくのずし)
四条通から綾小路通まで南北のクランク状の小路である。北が新釜座町、折れ曲がって少し南へ行くと、矢田町となる。四条通から南下する。

   

京都神田明神
天慶三年(九四〇年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町で晒されて以後、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。京都でも、空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。
(京都の駒札100)

現地の説明板には、ここが将門の首を晒した場所だと書かれている。そのほうがよい。

   

上品な旅館や料亭がある。突き当りから重文杉本家の裏を沿っていく。

        

ここから矢田町で、杉本家正面の綾小路通に抜ける。

    


蟇股あちこち 69 中山辰夫

京都右京区の妙心寺と今宮神社二社と福王子神社です。
妙心寺は十万坪という広い寺域に七堂伽藍が。それを囲んで四十七もの子院塔頭が納まる広大な寺院です。聳える老松の間に伽藍が整然と立ち並びます。
今宮神社は西暦5年(994年‐平安中期)に流行した疫病退散を祈願して創建された神社、平安時代から続く由緒ある神社です。
福王子神社は仁和寺を開いた宇多天皇の母を祀る神社で仁和寺の鎮守神とされます。蟇股が適所に配されています。
      


■カレンダーを作りながら2025年を振り返る  田中康平

2026年が始まった。いつものように昨年の年末は年賀状を書き終えた後2025年のカレンダーつくりを始めた。2025年の各月に撮ったものから最も心に残った写真を1枚選びそれを2026年のその月の写真にしている。基本的に自宅用及び贈呈用は風景写真から選ぶが野鳥写真からも選んで別途野鳥編のカレンダーも自分だけ用に作っている。改めて出来上がったものを見ていくと時の過ぎていく間にその時思っていたことがよみがえって感慨深い。

1月は自宅近くの坂を上ったところから見た初日の出だ。この場所はそれなりに人が集まってくる。今年は寝坊して少し遅れたがそれでも初日の出はいい。宇宙の中の自分を直接に感じる。
2月は福岡城址の梅・
3月は古代の水路の遺構でもある那珂川市の裂田の溝(さくたのうなで)で見つけたフキノトウ。
4月は福岡市隠れた桜の名所城南区の一本松緑道の桜。
5月は元寇の時上陸した蒙古軍が陣を布いた麁原(そはら)元寇古戦場跡。
6月は梅雨の雲に浮かぶ機上から見た富士山。
7月は博多祇園山笠の追い山ならしが櫛田神社に入ったところ。
8月は福岡市城南区にある菊池神社の菊池武時公墓碑(博多合戦で鎌倉幕府の鎮西探題の攻め入り惜しくも打ち取られた)。
9月は福岡市南区の都市公園でみたルリタテハ。
10月はビルの建て替えが進む福岡市天神地区路上に設置された芸術作品、ピクセルツリー。
11月は有明海の干潟大授搦で舞う野鳥(ズグロカモメ)の群れ。
12月は福岡市城南区にある黒田藩主の別荘の友泉亭 

とした。季節とは直接結びつかないものもあるが思い立ってその地を訪れたのがその月だったという縁が見直すと何かあるような気がしてくる。今年はどんなところへ出かけて感じることができるだろうか。

            


■ 2025年の振り返り   川村由幸

毎年、1月のweb-magazineは昨年の撮影内容の振り返りです。
2025年最初の取材は文化財の少ない柏市で久しぶりに新たに公開された登録文化財、染谷家住宅です。柏市とはいえ、旧沼南町の鷲野谷という地域にあり、手賀沼を背景にした名主の住宅です。この後、3月にも再訪して撮影しています。

   

2月に撮影したのが柴又の山本亭です。いままで春夏秋と撮影してきていて、最後の冬の撮影です。雪つりが施されていて、冬の景色を実感できますが東京ではまず役目を果たすことがありません。

   

3月には群馬県太田市の曹源寺と埼玉県熊谷市の妻沼聖天山歓喜院を同じ日に撮影、曹源寺も歓喜院も複数回訪問しています。曹源寺のささえ堂に並ぶ仏像も歓喜院の絢爛たる装飾彫刻も見ごたえのある文化財です。

   

   


4月と6月は花の撮影をしました。ぼたんの柏市医王寺、ツツジの文京区根津神社、そしてその少し後に松戸市本土寺のアジサイ。花の撮影は好きです。まず美しいですし、心が癒されます。
ただ、根津神社はインバウンドで人人人。うんざりでした。

   

その隙間に群馬県太田市の旧中島家住宅をはじめて訪問し、撮影。ここでは文化財の維持管理の困難さを実感したのを記憶しています。

   

2025年は梅雨がなく早くから猛暑で難儀しました。猛暑をついて7月に群馬県板倉町の雷電神社と栃木県野木町の下野煉瓦窯を訪問。

    

この後、JGの交流会で中山さんが野田市の愛宕神社を訪問されたお話をお聞きし、少し調べてみると装飾彫刻では愛宕神社はとても名高い神社であること、石原常八という江戸時代の装飾彫刻の名人の最高傑作が愛宕神社であることを知りました。
さらに驚いたのが、交流会の直前に撮影した雷電神社の装飾彫刻もこの石原常八の流れにかかわりがあることも解りました。さらにさらに、私共家族の初詣先である花野井香取神社の装飾彫刻も石原常八作で大半が盗難に遭っていることもわかったのです。
そんな経緯から、俄然装飾彫刻に興味を持ち11月に北九州市をいくつか撮影した以外は年末まで近隣の装飾彫刻の見事な寺社を尋ね歩きました。装飾彫刻の撮影内容については件数も多いため、今回のウェブマガジンでは紹介しません。こちらにてご覧ください。

装飾彫刻を除く最後の取材は前述の通り、仕事で訪問した北九州のついで撮影です。

   

重要文化財の若戸大橋、門司駅舎が同じく重要文化財の門司港レトロ地区、最後か火野葦平旧宅です。
北九州はなんとなく明治の香りがします。もう少し深く取材撮影ができればと思っています。
そんな私の2025年、11月に大きな変化がありました。瀧山さんの大変なご尽力で自作PCを組み立て、動画編集に挑戦することにしたのです。
まだ、チョッピリかじっただけですが、その奥の深さと難易度の高さにいささかたじろいでおります。2026年はこれに挑戦し、習得に励む一年になりそうです。


■ 「50年目の奇跡」 柚原君子

  

大晦日と新年の始まりをいつも国技館で過ごす。
相撲を取ったり見たりするわけではない。
さだまさしさんのコンサートへの参加である。
 
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大晦日国技館の相撲櫓の前は「さだまさし関」一色で、すべての幟がさだまさし名でその下には大相撲同様にスポンサー名があり、幾本も夜風に翻っている。
今年は西側5列17番の升席が当たった。一升4万円で一人で座ろうと四人で座ろうと自由である。私は娘婿の母上と麻雀友達の三人で座った。

大晦日の20時から始まる「さだまさしコンサート」はさださんの歌はもちろんだが、そのほかに土俵上に座布団を敷いての落語あり、紅白を終了した歌手さんが駆けつけてきたり(今年は岩崎宏美さん)、お笑いのテツandトモが、なんでだろうなんでだろうとクネクネと土俵狭しと盛り上げていく。出席者全員が土俵の周囲をなんでだろうをしながら廻っていくので、日頃見ることのできないさださんのなんでだろうも見られた……下手だった!。
圧巻だったのは23歳のヴァイオリニスト河井勇人さんの演奏。
東京芸術大学に高校2年で飛び入学をして、2025年からドイツベルリンの音楽大学で勉強中。演奏してくれたのは「夏の名残の薔薇」。弦をつまびくピチカート技法の箇所も多く、透明で切れのある演奏。
さださんの解説によれば、ヴァイオリン弾きの誰もが嫌がる難曲中の難曲だそうで、聴いていて鳥肌がたつような旋律の美しさが9000人観客の国技館に静かに響き渡った。

また場所中のようにアナウンサーも同じ人の声で、懸賞幕が紹介されながら土俵の周りを行く。30旗以上。懸賞幕のメッセージは「永谷園」「浅田飴……あっさだ飴」「ふるとへの母へのメッセージ」だったりする。それが2,3回はあるのでにぎやかなコンサートになる。

約4時間に渡るコンサートは23時58分に終了して、さださんの声でのカウントダウン!5,4,3,2,新年!!!となり、会場の9000人がそれに唱和して年が変わる。

新年おめでとう♪♪♪と言いあい、花吹雪が舞い、色々な色のペンライトが国技館のお相撲さんの名前や写真にまでピカピカと光り、みんなで一緒に午年に入っていく。さださんの笑顔とともに見ているだけでうっとりとする年明けになる

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そして15分で土俵上の舞台は「NHK 年の初めはさだまさし」のテレビ収録に替わる。先ほどまでステージとなって楽器がいっぱいあった土俵は、長テーブルと椅子と白板が運び込まれてさださんが座る。その両側に放送作家の井上さんと音響の住吉さんが付く。
番組は寄せられたハガキを読んで進められていくので、目の前にハガキの束が置かれる。
コンサートに来た人はそのままの席で居座りOK。公開録画なのでいてもいなくても自由だが、コンサートのみで帰る人はほとんどいない。お客の層も全国的で、フェイスブックのさだまさし関連を見ると、北海道の人も名古屋の人も鹿児島の人も駆けつけて、東京のどこかにホテルをとっている状況が見える。
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今から50年前、声がすごく好きで詩が限りなく解かり、透き通るような声のさださんがいた。ちょうどグレープの「精霊流し」がヒットした後でソロになり「あまやどり」がブレイクした頃、さださんの声を聴いていると何か温かい優しいものに包まれている感触になったことを今でも忘れない。
以後、コンサートに通う。
当時はチケットがネットで買える時代ではなく、私は銀座のソニービルにあったピアのチケット売り場に並んでいた。歩道に二名一列にきちんと並び、通行人の邪魔になってはいけない、大声でしゃべってもいけない、ごみを落としてもいけない……そうやって並ぶときに「さださんに迷惑がかかるといけないから、きちんと守ってください」と小声で言って歩くファンの係の人が必ずいた。
チケットの販売終了が終わると、ほうきと塵取りでそのファンの列の出したごみではないようなものまで掃き清めていた。すごいなぁと思った。

新宿厚生年金会館のコンサート会場では今は亡きさださんの父上の雅人さんが入り口に立たれていて握手をしてもらいながら入った。場内の一階の中央には母上の喜代子さんと妹の玲子さんがいらしていて、ファンみんなで手を振ったこともあった。家族で温かいコンサート。今の言葉で推し活というらしいが、あまり遠くへの会場にはいかれないが、関東近県のコンサートへは欠かさなかった。

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その推し活歴50年の私に今年「奇跡!」が起きた。
 
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升席が当たった段階でハガキを書く決心をした。読んでもらえなければ意味がないので、私の文才に賭けて(笑)練るに練った。さださんは何でも面白がる人なので、笑いも入れなければいけない。突飛さも。情に深い人なので温かみのある話題も。


まずハガキの一番上に赤鉛筆で
『マス席 5側 17列 当たり‼』

その下に
『「君子77歳!「富子82歳!」「洋子78歳」合計237歳!で参加』

その下に
『お願い!冥途の土産にしたいので、三人の名前を呼んで』

そして、余った空白に上記に記したさださんのファンのきれいなエピソードを添えた。

ハガキ締め切り間際のこともあったが、速達の手配をした。これで多少は目立つはずだ。

土俵は東西南北で示されるので、丸い土俵の上で、さださんはどこの方角に座るファンにも公平になるように、東西南北に向きを変えていく。オープニングは私たち西側にお尻を向ける形。優しいさださんは私たち西側にすみませんねお尻で、と笑って着席。ハガキを読んだり余談をしたり。そして30分後、私たちの西側に長テーブルごと向いた。
さださんが正面にいる。
もしや、の予感がした。
でもその前に読まれていたハガキは重量感も笑いもあるものばかり。名前を呼んで!のおねだりハガキはだめかも……と
思い始めた。でもでもこちら側を向いたことは、読まれるかもしれない……期待と落胆で心がドキドキする。

 ★

さださんが言う
「さあ、それでは向きも替えたので西側の方お待ちどう様、ハガキを読んでいきますね……えーと、マス席、マス席5側。5側?どこだ、、あっあそこだ!!」

ハガキをもう一度確認していきなり呼ばれた。

「えーと君子!77歳」

私「はい!」

「富子82歳!」

富子「はい!」

「洋子78歳!」

洋子「はい!」

その様子がテレビモニターにも大きく映される。飛び上がらんばかりの喜びである。呼ばれた、呼ばれた、大好きなさださんに「君子!」と呼んでもらえた。冥途の土産ができた!!抱き合わんばかりにして喜ぶ私たち三人を、さださんは土俵の上のステージから見ていてくれる。

そして「板橋区のゆはらきみこさん、ありがとうね。すごいねぇ。合わせて237歳だってよ。すごいねぇ。」

ハガキ作戦は大成功した。

さださんに優しい声で呼んでもらえて、あれから10日が過ぎているが、まだ夢見心地の幸せの中にいる。
「50年目の奇跡のいただいた幸せ」はこれから少しづつ誰かに分けていきたい。いろいろな人を思いやる努力をしていきたい。
そんな風に今年も生きて行きたいと、夢見心地の中ではあるがそう思っている。


■   酒井英樹


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