■■蟇股あちこち 72 中山辰夫
亀岡末吉設計とされるものを集めました。正法寺遍照塔、東福寺恩詞門、東本願寺勅使門、仁和寺勅使門、武徳殿、他です。

亀岡末吉は日本近代建築設計と古社寺保存修理活動において重要な役割を果たしたとされています。
亀岡末吉(1865-1922)は、東京美術学校日本画科卒業後、明治30年から大正中期にかけて、文化調査、文化財の修理、新築設計活動を行いました。
明治30年代を通じて国内の34府県調査に赴き、多数の古建築を文化財指定とし、関西圏に偏っていた文化財の分布を国内全域に広めました。
社寺建築の調査保存に従事した後、社寺建築の設計も行い、総数44棟の設計作品があるとされます。
亀岡作品の細部様式は「亀岡式」と称されます。過去のあらゆる様式を融合化した復古調の細部意匠を、豊富で流麗な曲線で装飾しています。
その様式は、グラフィックデザイナーとしてのアーティスティック的な感性が蟇股や木鼻に見られる草花の葉先の先端の細やかな曲線一本にまで息づいています。
それらの作品を通じて「亀岡様式」は後世に大きな影響を及ぼしているとされます。
正法寺遍照塔(旧忠魂堂) 市指定 建立:明治41年(1908年) 設計:亀岡末吉 最初の作品 六角二重塔 屋根は宝形造 チタン
京都市西京区大原野南春日町
日露戦争の戦没者慰霊に建てられたもの平成22年(2010年)に現在地に移転
意匠には古代から中世にかけての社寺建築の様式細部が採用されています。
下層の円柱は、飛鳥時代から平安時代前期にその違例のある「胴張り」
蟇股は平安後期から室町以前に見られる様式
上層の高層の斗束は下の拡がった撥形で、奈良時代後期まで違例が認められる組高欄
本建築は、大正以降、近代社寺建築の作風手法に影響を与えたとされる「亀岡式」意匠確立のための歴史的創生源であったと位置付られ、近代日本における
社寺建築の進展・形成過程を知る上で、極めて貴重な遺構とされます
(京都市文化観光保護財団 特集 京の近代仏堂 その2 「復古主義」より抜粋しております)
東福寺 恩詞門
京都市東山区本町十五丁目778
東福寺は、明治14年(1881)12月、方丈よりの出火により、方丈、庫裏、法堂、仏殿を焼失しました。
翌年、昭憲皇后から東福寺に再興のための賜金がありました。恩賜で再建された方丈の唐門であるために恩賜門と呼ばれます。
恩賜門(方丈唐門) 国登録 建立:(1909年) 唐門 一間一戸 向唐門 桧皮葺 設計:亀岡末吉
■正面側と方丈側
礎盤に円柱を立て貫で固めた三斗を組み、軒は一軒繁垂木。中備は蟇股とし、虹梁上に大瓶束を置き、大斗肘木で棟木を支持。
菊紋付扉を吊り、欄間、蟇股、虹梁上など繊細な透彫で飾る華麗な門です。随所に菊の意匠が見られます
■正面側細部
唐破風の下に、華やかな装飾が並びます。亀岡の世界です。兎毛通、大瓶束、蟇股が並びます
□菊の意匠
大瓶束の左右にある菊花と菊枝の彫刻
□蟇股
菊唐草 左右対称の図柄 蟇股の上に花肘木があって、その左右は若葉状
■方丈側
□唐門細部 彫刻は正面側と同じです
■透かし彫り
蟇股の下、頭貫と飛貫の間の透かし彫り 左右対称ではないです
■菊紋付扉周辺 正面側 上下に透かし彫り、大きな菊文、菱格子に花菱のデザイン 虹梁端部にも複雑な絵様の彫刻
■方丈側細部
細部 上下の透かし彫は正面側と同じです。
東本願寺 勅使門(菊の門)
烏丸通沿いに南北に4つ門が開けられており、この勅使門(菊の門)は北から2番目の門。
東本願寺は「禁門の変」の際にほぼ全焼しました。勅使門は明治44年(1911年)に再建されました。愛知県の実業家神野金之助氏の寄進です
他の諸堂が江戸期の意匠で再建されているのに対して、この勅使門だけは桃山期の意匠で設計されており、前後に大きな唐破風が付いています。
同じ時期に再建された仁和寺の勅使門と共通する、あらゆる細部に徹底的な装飾、彩色の華麗さが見られる伝統和風建築です。、
勅使門 国登録 建立:明治11年(1911年) 四脚門 切妻造 檜皮葺 軒唐破風付 黒漆塗 極彩色の文様 設計:亀岡末吉 棟梁:鈴木幸右衛門
近代建築の中でも特異な位置を占める亀岡末吉の代表作です。
細部の彫刻
繊細かつ装飾的な意匠が施されています。あらゆる細部に徹底的な装飾が施されています。彫刻や木鼻絵様に近代的な感覚が充溢しています。
■正面側―破風部細部
■背面側―破風周辺
■側面側 彫刻と木鼻
和洋折衷の斬新で独創的なインテリアデザインが氾濫しています。
牡丹・唐草・アカンサス(西洋アザミ)等の植物を図案とする精緻で流麗な彫刻が到る所に見られます。
■正面・背面側 扉周辺
■正面側詳細
透かし細工や極彩色の文様 三連の花菱文様 大きな菊紋
■背面側詳細
東本願寺・勅使門は明治末期・大正時代に和風建築の新しい様式美を追求した亀岡の代表作です。
破風の曲線や蟇股などの細部意匠に「亀岡式」の斬新なデザインが見られました。
仁和寺
現在の御殿は明治20年(1887年)に焼失したのを、以前の安土桃山様式を尊重しつつ、亀岡末吉がデザインし造営したものです。
亀岡は寺社建築家として著名で、後に「亀岡式」と呼ばれる現代の建築様式と過去の建築様式とを融合したような独自の建築様式を生み出しました。
勅使門、宸殿、霊明殿、渡廊を亀岡がトータル的に手掛けており、随所に亀岡の意匠が見られます。
勅使門 国登録 建立:大正13年(1914年) 木造 四脚門 前後唐破風造 側面入母屋造 左右袖塀付 桧皮葺 間口:5.2m
正面側・背面側(庭側)
東本願寺の勅使門を模した形式とされ、白書院正面に建つ門で東面を向いて造営されています。透かし彫りの彫刻が目を惹きます
細部の彫刻は唐草や花鳥が見事に透かし彫りされています。左右に袖塀
壁面や桟唐戸などに花菱・鳳凰・唐草などを図案化した透彫り、幾何学模様の彫刻が見られます。
細部の彫刻
■正面側― 破風部周辺
狭い虹梁上の空間に蟇股を含んで隙間なく埋め尽くされて植物文様がうねります
■背面側― 破風部
■側面部 彫刻と木鼻
■正面・背面部 扉周辺
■正面側詳細
■背面側詳細
■皇族門 建築:大正3年(1914年)四脚平唐門 木造檜皮葺 間口2.7m 木割の細い繊細な門 造形の規範となっています。
本柱は円柱で控え柱は角柱、男梁上の蟇股と舟肘木で横木を受け、大疎垂木とし、桟唐戸の上に透彫欄間を入れる。
御殿群の前庭と内庭を仕切る。
■大玄関 国登録 建築:1890 木造平屋建 瓦葺一部檜皮葺 建築面積:127㎡ 渡廊下付
御殿群南端に東面して建つ。桁行12m梁間7.0m、入母屋造桟瓦葺で、東正面に間口6.0m近い大きな唐破風造 檜皮葺の車寄を構えています。
細部では蟇股や大瓶束の笈形に秀麗な彫刻を施すなど、威厳と華やかさを備えた大型の玄関です
大玄関から白書院~霊明殿までは廊下でつながっています 後回しします
順序を変えます
■霊明殿 国登録 建立:明治44年(1911年)方三間 宝形造 一軒向拝付 桧皮葺 亀山末吉氏の設計です
□正面と向拝の蟇股
内部は一室で三間幅の仏壇を設け、折上小組格天井を張る。平安後期頃の様式を意識した構成としています。四方に蟇股が配されています
□向拝の蟇股
□身舎廻りには各3個の蟇股が配されています 種類は2種類?
■白書院への廊下
■白書院 国登録 建立:大正3年(1914年) 一重 木造 平屋建て 入母屋造 桟瓦葺 横幅15.8m 奥行12.5m 外観の色が白木造
紫宸殿と大玄関の間に東面して建ち、表と裏に三室ある六室構成で、正面広縁は吹き放しです。旧宸殿としての格調を備える書院とされます。
■宸殿への廊下
■宸殿殿 国登録 建立:大正13年(1914年) 桁行19.7m 梁間11.8m 入母屋造桧皮葺 寝殿像の外観、書院造の内部構成
境内南西の御殿群中央に建っています。寝殿造の外観、書院造の内部構成を組み合わせ、東側に中門廊風の突出を設けています。
内外とも門跡寺院に相応しい優雅な意匠で、亀岡末吉の代表作の一つとされます
■欄間の透かし彫り 白書院・宸殿に多く見られます 花菱模様・他
明治20年(1887年)の火災で焼失した御殿群は、明治43年(1910年)、仁和寺から京都府庁に再建が依託されました。
この依託によって、当時京都府の技師を務めていた亀岡末吉氏に設計が任されました。
その頃亀岡は復古建築に実績をあげつつあり、仁和寺はその力量に期待して府へ発注したとされます
皇族門から始まり、霊明殿、宸殿、勅使門と再建が進み、大正3年(1914年)、現在に見られる明治再建の御殿エリアが完成しました。
参照:「京都府近代和風建築総合調査報告書」より抜粋
旧武徳殿
京都市左京区聖護院円頓美町46-2
明治32年(1898年)に日本武徳会により演武場として木造で造営されました。設計:松室重光
大正2年 玉座と車寄が亀岡末吉によって増改築されました。向唐破風 桧皮葺です
車寄せ・玉座共に屋根下蟇股には細密な彫刻が施されています。
■車寄せ
□細部―正面破風
□細部―側面
■身舎―入口
■玉座
疫神社
京都市北区紫野今宮町21
疫神社は今宮神社の境内社です。今宮神社は「紫野社」とも呼ばれる疫病除けの神社です。疫神社も同様です。
今宮神社
明治29年(1896年)の火災で今宮神社の核となる部分が焼け落ちました。本社は明治35年(1902年)に再建されました。
その設計・施工は伊藤平左衛門です。社寺建築の名匠伊藤平左衛門は東本願寺御影堂の再建も担当しました。
本殿は入母屋造の幣殿と向唐門の中門、その南北の稜線がぴったりと合わさり、銅板葺のメタリック感とも相まっており、近代寺社建築中の傑作とされます。
疫神社 国登録 建立:明治41年(1908年)頃 亀岡末吉の設計(幣殿と透塀・渡廊・門・廻廊)
■中門
本殿前に切妻造妻入の渡廊を建てて前面に平唐門を開き,その左右に廻廊を延ばしています。
渡廊,門とも蟇股や門の透かし彫り欄間など亀岡らしい繊細優美な意匠をもつ細かなデザイン装飾が特徴です。
□妻部詳細
□正面
□持ち送り・他
■透塀 蟇股
■渡廊
■本殿 国登録 建立:明治41年(1908年) 桁行三間 梁間二間 入母屋造 向拝一軒 銅板葺
正側面に高欄付の切目縁をめぐらして脇障子を建て、外陣に板唐戸と蔀をたてる。
蟇股などに、中世社寺の細部の近代的表現による優美な意匠が用いられています。亀岡の特質を示す良質な社殿とされています。
現代の社寺建築の先駆けとなった亀岡の技術が反映されています。
本殿は蟇股などに中世社寺を模範とした近代的表現でまとめた優美な意匠が用いられ、亀岡による設計の特質を示すとされます。
All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中