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Monthly Web Magazine   July 2026


■■■■■ Topics by Reporters

■■蟇股あちこち 75  中山辰夫

富山県高岡の瑞龍寺と鎮守社2社と 高岡関野神社です。


      

前田利長像が見守る「八丁道」を直進すると瑞龍寺の総門に出合います。門をくぐると広大な境内に、七堂伽藍が姿をあらわします。
瑞龍寺は曹洞宗の大寺院で、加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺です。江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。
仏殿、法堂、山門の3棟が富山県初の国宝に指定されました。総門、禅堂、大茶堂、高廊下、回廊の7棟は重要文化財に指定されています。



瑞龍寺
富山県高岡市関本町35

瑞龍寺は、金沢藩二代藩主前田利長の菩提寺で、三代藩主利常によって建立されました。利長は高岡に築城し、この地で亡くなりました。
百万石を譲られた利常はその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山されました。
造営は正保年間から利長公の五十回忌の寛文3年(1663年)までの約二十年の歳月をかけました。当時寺域は三万六千坪、周囲は濠で城郭の姿の様とされます。
藩の手厚い保護で隆昌を極めていましたが、 延享3年(1746年)大火災に見舞われました。主要伽藍の前半分(三門・禅堂・東司・鐘楼)を焼失しました。
再建は文政元年(1818年)の山門を最後に完成しました。その後幕末から明治の激動期に大打撃をうけ伽藍にも影響が出ました。
創建当初の建造物は、「総門」、「仏殿」、「法堂」、「大茶堂」の四棟です。「大茶堂」以外は平成9年(1997年)に国宝指定を受けました。
昭和60年(1985年)から大規模な修理が10年をかけて行われ、左右対称の本来の伽藍配置に戻りました。


■総門 国重文 建立:正保2年(1645年) 医薬門 桁行前面三間 背面一間 梁間一間 単層 切妻造 桟瓦葺 梁の釘隠しは家紋の梅鉢をあしらったもの
     

□妻部
      

□組部・ほか
      

梁の間の腕木の中央に板蟇股を配置。梅鉢の紋 妻部に蟇股 門扉の金具はどれ一つ同じものがないとされます

■山門 国宝 建立:文政5年(1820年) 三間一戸二階 二重門 入母屋造 こけら葺 左右山廊付 高さ18m 下層左右に金剛力士像 扁額は「影鶩九閣」
仏堂や法堂とともに、加賀藩お抱えの宮大工・山上善右衛門の一門が造営した代表作。山上善右衛門は気多大社(石川県)の社殿も手がけました。
   

□正面側と背面側
     
上層と下層の屋根の出が変らないです 積雪時に上層からの落下した雪が下層に当たらないためとされます

□二階細部
      
桁行三間 梁間二間 正面中央間は両折桟唐戸 周囲は高欄付廻廊 柱間は桟唐戸、扁額は「影向閣」
柱は総丸柱 四周に禅宗木鼻 三手先詰組 扇垂木 側面の柱間は横板壁

□一階細部
    
桁行三間 梁間二間 中央一間が桟唐戸出入口 両脇各一間に仁王像 総丸柱 四周に禅宗木鼻 尾垂木三手先詰組 平行垂木

□妻部
  
破風板に六葉つきの鰭付の猪目懸魚 破風内部は妻虹梁

■仏殿 国宝 建立:万治2年(1659年) 桁行五間 梁間五間 一重 もこし付 入母屋造 鉛の本瓦葺(総重量約47トン) 総ケヤキの木組
    

中庭の中央に鎮座。方三間の身舎に裳階の付いた禅宗様建築の典型で、台石と高い葛石とからなる一見二重基壇と見える独特な基壇の上に建っています。
江戸期の禅宗様建築の代表例として価値高く、富山県初の国宝です。

□妻部蟇股

      
二重虹梁大瓶束 中央に蟇股 その下に特殊な雲形の絵様肘木 

□正面上層の組物
     
禅宗様詰組 尾垂木三手先 禅宗木鼻も見られます 軒裏は上下ともに二軒繁垂木で、下層(裳階)は平行垂木、上層(屋根)は扇垂木

□正面中央三間と側面二間及び背面中央の間は桟唐戸、内格子戸両開き 正面両端部に火灯窓
  

□堂内 
      
内部は他の建築では味わえない構造美と細部の形式に精巧な彫刻装飾がみられるとされます。
主屋側柱筋の尾垂木尻の組物で母屋を受け、放射状に配された尾垂木の化粧軒裏とし、束柱と側柱は二重海老虹梁に大瓶束を立て結ぶといった構造が独特のものとされます
随所に皿斗造りだしの斗、大虹梁受けの挿肘木等の大仏様や身舎内部に配された蟇股、小組格天井などの和様など意匠に多様な変化を生んでいます。細部の彫刻装飾も華麗

禅宗仏殿独自の架橋の妙技に加え、山上善右衛門の想像豊かな自由の造形表現が加わった最高傑作とされます

■法堂 国宝 建立:明暦元年(1655年) 桁行十一間 梁間九間 一重 入母屋造 銅板葺 向拝付 客殿書院造
    

□妻部 木連格子
  

□向拝 桁行二間 梁間二間 一重 向唐破風造 銅板葺
      

□内部は前面一間通りを土廊とし、その内を高廊下延長の広縁としています。
     

□堂内部
       
法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋 手前3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は土間廊下 位牌を建物中央に安置
山上善右衛門らしさが現れているとされる「竹の節欄間)と室内仏間境 
竹の節欄間は広縁と左右入側境の杉戸にあり、下段は欅間に花狭間上の菱格子を配し、上段は菱格子間に桐を配す

□天井画と枢沙摩明王像 県指定
   
天井は仏間のみ格天井で、他はすべて竿縁天井 狩野安信 「四季の百花草」 金紙貼付 枢沙摩明王像

☆大庫裏と禅堂は左右相似の建物です。

■大庫裏 国重文 建立:明暦元年(1655年) 桁行九間 梁間六間 一重 唐破風造 切妻造 こけら葺 禅堂と外観変らない
      
調理配膳や寺務の運営を行った所 大庫裏と相対して建っています。外観は禅堂と同じです。

□妻部
    
禅堂とほぼ同じ 六葉付きの鰭付三花蕪懸魚 二重虹梁上に大瓶束をたて大斗花肘木にて差棟木をうける 妻壁は漆喰仕上げ 中央に蟇股

□向拝玄関 蟇股は牡丹彫刻
     

□堂内部
     
前面一間を土間とし、中央部に「香積堂」の扁額をあげ、その奥の厨子に「韋駄天象」を安置 東側は竈や 流し・調理台を置く炊事土間とします
天井を防火構造にするため舟底形に漆喰仕上げされた「土天井」としています これは「大茶堂」と同じです

■禅堂(僧堂) 国重文 建立:延享3年(1746) 1746年に焼失、直後に再建されました 桁行七間 梁間五間 一重 切妻造 向拝一間 唐破風造 杮葺
          
座禅修行する建物 食事用施設も付随 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の祈願道場

□妻部
    

■大茶堂 国重文 再建:明暦(1655~58年頃) 桁行十二間 梁間四間 一重 入母屋造 こけら葺 妻入りで東面して建つ 
土蔵つくりの手法を用いて、外壁を大壁とし内部は土天井
    

□内部
      
手前四間を土間とし、中央六間を六十畳敷の広間、奥二間が二十畳敷の控間 土間の南面大戸口脇に秋葉大権現を安置し、北側には竈を設けています
防火対策を講じた構造 背面と北面の外壁と妻壁は土を厚くつけた「大壁」で、軒裏は城のように土で練り上げた「揚げ裏」とし、内部の天井は船底形に漆喰仕上げされた「土天井」



回廊は国重文です。 回廊は大伽藍を囲む周囲約300m。北・南東・南西回廊からなります。規則正しく並んだ柱と、白壁、格子枠の障子戸が特徴で、単廊です
各回廊の屋根はこけら葺に復されています 回廊の特質は俗界との隔たりと浄域を意識させ、一種独特な雰囲気を醸し出しています 現存の禅宗寺院最古の回廊とされています。 「注」 画像は重複しています

■北回廊 国重文 建立:寛文元年(1661年) 桁行五十六間 梁間一間 一重 両下造 鐘楼及び大庫裏付 こけら葺
    

■高廊下 国重文 建立:明暦年間(1655-57年) 桁行七間 梁間二間 一重 両下造 
     
法堂の右、大茶屋との間の七間廊下です 

■南西回廊 国重文 建立:1748 桁行折曲り延長三十五間 梁間一間 両下造 こけら葺 法堂から禅堂までの廊下
    

■南東回廊 国重文 建立:寛永元年(1748年) 桁行折曲り延長二十間 梁間一間 一重 両下造 こけら葺 山門の左手、禅堂までの廊下
   

■東回廊東面全景と西面全景
   

■回廊廊下
      
単廊で、内苑を窓、外側を壁としています 小屋は虹梁に棟束を乗せ、六間置きに繋ぎ虹梁蟇股を入れて変化を付けています。屋根は軽く反った垂木が軒を支え、こけら葺です
板戸の黒と障子の白が交互に規則正しくはいされて、上部の小壁に白い線が通り、上下を越板とこけら屋根の黒で引き締めた様は、単調ですが統一された美しさが見られます

□蟇股
     
回廊の意匠的な変化と梁間の構造強化を図って板蟇股が配されています。 材質はヒバや栃、松、ヒノキが時代ごとに変えて使われています。時代による違いがあります。

■鐘楼 国重文 建立:宝暦13年(1763年) 一階は桁行三間 梁間一間 二階は梁間二間 二階建 入母屋造 こけら葺 北廻廊の大茶堂と大庫裏の間にあります
     
二階は一室で北東隅に一階からの階段口を設け、中央に鐘を吊る

■石廟 県史蹟 回廊南西部裏手にあります
    
前田家ゆかりの人物と織田信長公らを祀る五基 越前石と呼ばれる淡緑色凝灰岩で造られた切妻型越前式の石廟 前田利長・利家・織田信長・正覚院・織田信忠の順
前田利長の石廟には正面に不動明王と毘沙門天、背面に阿弥陀如来の来迎像、左右に二十五菩薩が半浮き彫りされています


稲荷大明神 金毘羅大権現 

(瑞龍寺鎮守-伽藍を守護する神)の2社
富山県高岡市関本町1
 
前田利長が富山に隠居した際に富山城下に法円寺を創建し、高岡に移ると法円寺も随行しました。この円法寺が瑞龍寺の前身とされます。
当時の法円寺の所在は、今の瑞龍寺の寺域内とされています。
2社は高岡の開祖・前田利長の菩提寺瑞龍寺の鎮守で、神仏習合の時代より瑞龍寺にあった神社です。

瑞龍寺の総門の手前、拝観受付所の向かい側、瑞龍寺の石柱の傍に如意輪観音があり、その横に二つの社が鎮座しています。

     

2社はもともとは瑞龍寺にあったとされますが、「昭和・平成の大修理」のため、他所に移設したものを令和2年(2020年)7月に敷地内に戻されました。
再移築とともに社が修復され、覆屋が新築されました (木造、幅5.5m、奥行き約3.7m、高さ約5m)

稲荷大明神と金毘羅大権現
  

■金毘羅大権現社の彫刻が目立ちました
外観
     

■細部
            


高岡関野神社
富山県高岡市末広町9-56

加賀藩2代藩主前田利長は慶長14年(1609年」当時「関野」と呼ばれていた荒野に城を築き、近郊より民を集め城下町を築きました。
これが「高岡」の始まりです。
高岡関野神社は高岡開町の祖、前田利長公を奉祀する唯一のお宮で、ユネスコ無形文化登録、「高山御車山祭」を司る宮として敬われています。
当神社は、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)、加久彌神社(神明社)の三社が根源で、文化3年(1806年)に神主町より現在地に遷座しました。
1919年に合祀して高岡関野神社と改称しました。本殿三社は江戸時代の建造物です。
以後、俗に「高ノ宮」と呼ばれ、高岡の開祖前田利長公を奉祀する唯一のお宮として親しまれています。
5月1日に行われる例祭「高岡御車祀り」が有名です

■アプローチ
     

■拝殿 再建:大正8年(1919年)桁行六間 正面三間軒唐破風向拝付 平入 入母屋造 桟瓦葺 外壁は真壁造 板張 社殿の各所に梅鉢紋 
□正面・側面・背面
      

□大屋根
     

□向拝周辺
      

□向拝-懸魚・唐破風
     

□木鼻
    

□手挟
      

□身舎の軒下に梅紋の蟇股が配されています 神門の梅鉢紋は前田家の家紋

      

■絵馬殿 桁行三間 梁間二間 平入 桟瓦葺
   

■旧関邸 歴代の宮司を務めてきた関家から神社に譲渡 街中の賑わいを創出する観光拠点に計画中
  
境内にある旧民家 築120年 拝殿の北東側にあって、明治後期の建築 木造2階建延べ面積300㎡


■高山御車山祭 引用

高岡御車山祭は、毎年5月1日に行われる富山県高岡市の高岡関野神社の春季例祭。
富山県内で最も古く、歴史のある山車祭りで、御車山と呼ばれる7基の山車が優雅な囃子とともに高岡の旧市街を巡行する。
4月30日には宵祭りが行われる。国の重要有形民俗文化財と重要無形民俗文化財の両文化財に指定されている。 (ウイキペデイア)
ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

写真(引用)
      
高岡御車山祭りは、天正18年(1588年)、豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎え奉る際に使用した御所車を、前田利家公が拝領し、前田利長公が1609年に高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
高岡の金工、漆工等の優れた伝統工芸技術の装飾が車輪や高欄、長押等に施された絢爛豪華な7基の御車山が、優雅な囃子とともに旧市街中心部を奉曳(ぶえい)巡行します。同日正午に行われる7基すべてが一堂に会する勢揃式の光景は圧巻です。




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