大分県中津市 本耶馬溪(青の洞門,競秀峰,古羅漢,羅漢寺周辺)
Honyabakei(Aonodoumon Kyoshuho,Fururakan,Rakanji),Nakatsu City,Oita
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Nov.16,2024 瀧山幸伸 source movie
A camera
競秀峰巡り
B camera
May 25,2022 瀧山幸伸
馬渓橋
(No.12) 立留りの景
雄大な絶壁の様に、道ゆく誰もが足を止めたことから名付けられた。約200年前、一夜にして大音響を立てて崩落し今の姿に。対岸の平田城跡からの眺
めがいい。(P平田城跡駐車場・トイレあり)
平田城跡
(No.13) 平田城跡の景
―渓やら村を隔てて、そうたいして高くも大きくもない山脈が、やっぱり柔らかな落ち着いた線で屏風でも立て廻したように静かに取り巻いているのを目にした。「これは好いですな」私も思わず声を立てた―
田山花袋は『耶馬渓紀行』の中で、平田城跡から望む景色をこう表現している。正面に立留りの景がそびえ立ち、その右手には木ノ子岳。雄大であり、どこかのどかで優しい。それは、別名「白米城」とも呼ばれる所以となった田園風景が広がっているせいかもしれない。
旅のお供、洋画家小杉未醒は、ここからの景色を『耶馬渓紀行』に描いている。紀行の中には、景色を楽しむ花袋ら一行も描かれており、絵巻は2人を案内した平田吉胤に贈られた。吉胤は大正時代に耶馬渓の名勝指定に尽力した地元の名士で、「馬渓翁」と称された。3階建てに改修した自宅は、客人に景観を見せもてなす場となり、多くの文化人が訪れた。その邸宅を城跡から見下ろすことができる。
平田城は、建久年間、長岩城主の野仲重房が築城。天正16(1588)年に黒田長政の城攻めで長岩城とともに落城したと伝わる。その後、戦功のあった栗山備後利安の居城となる。黒田騒動の栗山大膳が生まれ育った城でもある。白米城とも呼ばれ、名前の由来は、この地域で米が多くとれたことや、古い地名「町丈」からなど諸説ある。昔の建物が残る城下町めぐりも楽しい。(P・トイレあり)
羅漢寺橋
耶馬渓橋
青の洞門
(No.2) 競秀峰の景
山、川、人の営みの三位一体の織り成す景観はまさに、耶馬渓の景勝地たる要素がすべて揃っているといえる。山容を眺めるのなら山国川を挟んで対岸からがおすすめだが、峰の上から見下ろす山国川をたたえた本耶馬渓の眺めも素晴らしい。(P青の洞門駐車場・トイレあり)
(No.4) 犬岩・犬走りの景
山国川が鹿嵐山から流れる跡田川と合流する場所にあり、川床の岩は流れの勢いに削られ様々な形を成している。その様が犬に似ていたことからこの名がついたが、整備や洪水により現在は分かりづらい。しかし、川越しに眺める競秀峰はいい。国道500号の下にかかる沈下橋辺り。(P青の洞門駐車場より徒歩5分)
古羅漢
(No.6) 古羅漢の景
古羅漢の石仏が、一夜にして羅漢寺へ飛び移ったといわれることから山頂は
「飛来峰」とも呼ばれる。探勝道が整備されており、麓からお堂が見える天人橋へは徒歩10分ほど。毘沙門天の磨崖仏や室町時代の国東塔が見られる。(P・
トイレあり)
古羅漢 空撮
東谷
古羅漢(史跡)
Fururakan
羅漢寺
Rakanji
古羅漢
Fururakan
青の洞門
Aonodoumon
2014.11.27 田中康平
大分県中津市本耶馬渓町
国指定名勝耶馬渓の中核部
耶馬渓ダム/記念公園「渓石園」付近
1984年に竣工した多目的ダムである耶馬渓ダムの周辺には公園も整備されており紅葉が美しい。
競秀峰
青の洞門の上に連なる急峻な石峰。修験道が巡らされている。
青の洞門
羅漢寺の僧 禅海が1750年に30年かけて完成した。現在も手彫りの部分が残されているが丁寧に掘られている。
耶馬溪橋
青の洞門のすぐ下流の山国川にかかる石造アーチ橋。1923年竣工。
大分県有形文化財、日本百名橋のひとつで日本最長の石造アーチ橋とされる。
羅漢寺
Rakanji temple,Nakatsu city, Oita pref.
大分県中津市本耶馬渓町跡田
国指定名勝耶馬渓の一部
古羅漢(ふるらかん)
岩山を辿る遊歩道がついており登ると大きな窓のような空洞があって観音菩薩(県重要文化財、室町時代)他の石仏がある。修験の場であったと推察される。
羅漢寺
日本国内の羅漢寺の総本山 曹洞宗
石仏群は2014年8月21日に国の重要文化財に指定
羅漢寺は645年頃の創建といわれるが定かではない。1338年円龕昭覚が十六羅漢をまつり羅漢寺と名づけたのが開山とされる。
当初は古羅漢にあったがその後現在の地に移ったと思われている。
数多くある石像のうち五百羅漢像が表情が豊かで最も面白い。
撮影は殆どが禁止となっており、僅かに入り口部と庭園部、仁王門付近の映像を掲載する。
Dec.2010 瀧山幸伸 source movie
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