大分県宇佐市 宇佐神宮
Usajingu,Usa city,Oita
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宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮本殿 国宝 近世以前/神社 江戸末期 "安政2-文久元(1855-1862)" "内院 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺外院 桁行三間、梁間一間、一重、向拝一間、檜皮葺 造り合を含む"19070527 19521122
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮本殿 国宝 近世以前/神社 江戸末期 "安政2-文久元(1855-1862)" "内院 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺外院 桁行三間、梁間一間、一重、向拝一間、檜皮葺 造り合を含む"19070527 19521122
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮本殿 国宝 近世以前/神社 江戸末期 "安政2-文久元(1855-1862)" "内院 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺外院 桁行三間、梁間一間、一重、向拝一間、檜皮葺 造り合を含む"19070527 19521122
Rokugomanzan
Nov.18,2021 瀧山幸伸
Dec.2014 瀧山幸伸 source movie
March 5,2014 田中康平
大分県宇佐市南宇佐2859
国宝 :本殿
敷地は非常に広く堂々たる神社である。
訪れた時は本殿は2012年末から始まった修復工事の最中で外部からは全く見ることができなかった。(参考までに工事の特別公開パンフレットを転載する)。
宇佐は古事記の神武東征にも記述があり宇佐神宮の起源は7世紀以前に遡ると思われるが解っていない。
現在の社殿は江戸時代(年代:安政2〜文久元)のものであるが特異な建築様式が良く伝わっているといわれる。
国指定文化財等データベースの記述は下記:
宇佐神宮は周防灘に臨む小さな平野の奥にある小椋山の上に鎮座する。『縁起』によると、この小椋山における社殿の造立は、第一殿が神亀二年(七二五)、第二殿が天平五年(七三三)、第三殿弘仁一四年(八二三)であるという。神亀年間に小椋山に社地が定まる前に、鎮座地を何度も移しており、また天平神護年間(七六五−七六七)にも他に移り、延暦元年(七八二)に再び小椋山に帰座したと伝えている。本社の成立は単純でなく、応神信仰、八幡信仰ならびに宇佐地方神の信頼の合体であるらしいこと、古来三氏族によって奉斎されていたことなども、社地の移動と関係があるであろう。
本殿は西から第一、第二、第三の順に並立する。現在の本殿は安政二年(一八五五)から文久元年(一八六一)までの間に造立されたものであるが、八幡造の古制をよく残している。すなわち各殿は内院と外院の二つの建物を前後に連ね、軒の接するところに金銅の樋をわたして内院、外院の間を造合の間として内部に取り組む。したがって平面をみると、正面三間、奥行四間の建物のようであって、外院と造合の間は床をひと続きにし、内院の床はそれより一段高く張られる。両院の四間に高欄付の縁をめぐらし、外院の正面中央に階段を設ける。
神座は内院のなかにつくられるが、外院にも御倚子をおくので、ここも神殿とみなされる。
A camera
B camera
本殿
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