JAPAN GEOGRAPHIC
大分県臼杵市 臼杵市街
Usuki downtown,Usuki city,Oita
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美しい坂と歴史と伝統文化 |
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異国との接点、歴史とロマンの通奏低音 |
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May 23,2021 瀧山幸伸 source mmovie
May 22,2019 瀧山幸伸
Dec.5,2018 瀧山幸伸
臼杵石仏を拝観後、バスを途中下車して、平清水、二王座、本町を経由して、JR臼杵駅に戻った。
臼杵マップ
県文 龍原寺三重塔
臼杵が生んだ名匠高橋団内が、奈良や京都の古寺をめぐり、古い塔の長所をとり入れた理想的な三重塔の図面を引き、それを基に弟子の坂本荘右衛門が監督し、建物を完成させました。工事は、嘉永元年1848年から10年の歳月をかけて行われ、安政5年1858年に竣工しました。総高21.8メートルをはかる九州でも数少ない江戸時代の三重塔です。内部には、聖徳太子の像が安置されています。
(臼杵市観光情報協会ウェブサイトより)
法雲山 大橋寺
九州の戦国大名大友宗麟が永禄年間に建立したのが始まりとのこと。「大橋寺」と言う名は、参詣のために対岸の掛町に大きな橋をかけたことに由来するそうである。日本のお寺には珍しい高麗門があり、また、境内には大友宗麟の妻の墓もある。西南戦争の際には、大分県警視隊の本陣があった。
それから
旧三浦家住宅(昭和初期)など昭和の町並み
二王座歴史の道
二王座は、阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しました。特に、旧真光寺の前は「切り通し」と呼ばれる、臼杵を代表する景観のひとつで、平成5年11月には国の都市景観100選にも選ばれています。辻から入ると上級の武家屋敷が立ち並び、田町側から登っていくと、多くの寺が集まっています。この地域にかつて春日局も住んでいたとか。
(臼杵市観光情報協会ウェブサイトより)
サーラ・デ・うすき
八町大路
慶長五年創業 鑰屋
さらに進む。
臼杵城跡
JR臼杵駅へ
夜の街並
農民カフェ
かぼすブリ
A camera
二王座
B camera
臼杵は、坂のある城下町として有名だが、この地ゆかりの物語と人物を持ち情緒豊かであり、もちろん風光明美、瀬戸内式気候で気候温暖、地元の食材も秀逸な街である。
歴史好きには、臼杵石仏、切支丹大名大友宗麟、オランダ船リーフデ号の漂着、春日の局。文学好きには野上弥生子。
映画好きには大林宣彦の「なごり雪」。隣接する津久見市出身の伊勢正三自ら歌う。映画に自分史を重ね、涙する人も多いのではなかろうか。
臼杵という地名は、臼杵市稲田にある臼塚古墳に由来する。古墳の入口に立つ石甲(武人像)が、臼と杵に似ており、「うすきね様」と呼ばれ親しまれてきたことから「臼杵」の地名が起こったと言われている。
時代が下って戦国時代の永禄5年(1562年)、九州六か国を治めた切支丹大名大友宗麟が天然の要塞であった丹生島に丹生島城(現臼杵公園の臼杵城跡)を築いた。宗麟時代の臼杵は、諸外国との貿易をおこなう国際商業都市として栄えていた。
慶長5年(1600年)、オランダ船リーフデ号が臼杵市佐志生に漂着する。船長ウイリアム・アダムス(三浦按針)、航海士ヤン・ヨーステンの二名はその後、砲兵術航海術などを活かして家康の外交顧問となる。臼杵が国際的な記憶として残る事件であった。
慶長5年(1600年)大友氏に代わり稲葉貞通が美濃から入封し、維新まで稲葉氏の城下町として繁栄する。春日局は、初代稲葉貞通の妻で、斉藤利三の娘である。将軍家康の目にとまり、貞通との離縁後、家光の乳母となるのだが、家光は家康が春日局に産ませた子との説もあり、これが史実か物語か誰にもわからないだけにドラマとなるのであろう。
二王座 春日局屋敷跡付近春日の局が住んでいた屋敷跡が二王座にある。海と城下町を見下ろす高台の風光明美な場所だ。道の曲がりと坂の傾斜、石垣とのバランスが絶妙である。
二王座 寺町の街並
狭く、湾曲し、傾斜のある坂道、美しい石垣、黒板と漆喰の建物のコントラストが美しい街並を構成する。一歩進むごとに街並が変化するのを実感したい。
金毘羅井戸 上水道が整備される以前は市民の生活水だった。
坂の町二王座に対し、坂下の平野部、旧市街の街並は、城下町と港町特有の折れ曲がった街路を特徴とする。迷路探訪の趣を味わいたい。
龍源寺 三重塔が美しい
浜町の小手川酒造は野上弥生子の実家である。漆喰なまこ壁の街並が美しい。八重子は明治18年、長女として生まれ、15歳で上京。明治女学校に進み、野上豊一郎(法政大学長)と結婚後、漱石に師事し多くの作品を生んだ。
野上弥生子文学記念館
昔ながらの技法で造られる焼酎は甕で長期熟成される。野上の作品と似合い上品な味わいだ。
かつて堺と並ぶほどの国際都市だった臼杵だが、今はその面影もない。城下町、港町としての顔は今でも続いているが、この街の特色はやはり坂であろう。坂を持つ町には多くの物語が生まれている。この街の坂は数こそ多くはないが、印象が濃く劇画的である。坂を登ると人恋しくなり、坂から見下ろすと失われた時間が恋しくなる。美しい坂を持つがゆえに、尾道、竹原などと同様、大林監督の創作意欲をかきたてることができたのではなかろうか。この貴重な資源を大切に磨いてもらいたい。
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