大阪府大東市 慈眼寺
Jigenji,Daito City, Osaka Pref.
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June.12.2018 中山辰夫
慈眼寺 別称:野崎観音
大阪府大東市野崎2−7−1
慈眼寺は大阪府大東市野崎にある寺院 本尊にちなみ、「野崎観音」の通称で知られる。JR野崎駅から徒歩約8分の距離にある。
江戸時代より続く本尊十一面観音像ゆかりの法要「のざきまいり」は大阪の春の風物詩ともいわれ、毎年5月1日〜8日には多くの参拝客で賑わう。
境内から野崎城跡をへて吊り橋を通って飯盛山・飯盛山城跡などへ至る登山道があるため、休日は登山者の参詣も多い。
市のマンホール蓋は、(野崎まいり)の舟に乗る人と堤を歩く人とが口喧嘩する様子が描いてある。
宗派:曹洞宗 本尊:十一面観世音菩薩 本尊は長谷寺の本尊と同じ木から彫られたという。
天平勝宝年間(749年 - 757年)にインドから来朝した婆羅門僧正が、行基に「野崎は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サールナート)に似ている」と語り、それを受けた行基が、白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりと伝えられる。本尊は長谷寺の本尊と同木から彫られたといわれる。(ウイキペデイア)
楼門
正門 石段の段数は200段近くある。
鐘堂
本堂
1950(昭和25)年、日下大龍堂を譲りうけ解体移築した。十一面観音は白檀の一木彫り。
1565(永禄8)年の三好義興・松永久秀の戦禍で全焼したが、本尊の十一面観音だけが残った。1616(元和2)年に復興され、元禄・宝永頃には野崎詣りが盛んとなり寺も栄えた。
お礼参りの張子の犬が所狭しに吊ってある。
十六羅漢(仮裸眼堂)
1951(昭和26)年の山崩れで羅漢堂が流失した。平成18年に傷ついた羅漢像を修復、仮の羅漢堂に安置。で現在再建の募金中とか。
三十三所観音堂
江口の君堂
本堂の右隣にあり、中興の祖、江口の君が祀られている。縁結びや子授け、婦人病などにご利益があるとされる。女性をお守りする仏様といわれる。
南條神社
野崎地区の氏神
石造九(八)重層塔
金石文によると1294(永仁2)年に沙弥入蓮と秦氏によって造立されたもの
本尊・十一面観音像 「日経新聞社より引用」
1721(享保6)年の観音堂の落慶供養の際に秘仏であった観音像が特別開帳されたのが、野崎まいりの始まりといわれる。
本堂に安置の観音像は、初参り(1月1~18日)や野崎まいりなどの時期は御簾を上げて直接見ることができる。(以上日本経済新聞より抜粋)
野崎まいり
江戸時代から伝わる野崎まいりは、「無縁経法要といい有縁無縁すべてのものに感謝してお経をささげる」行事といわれる。
江戸時代には大坂から日帰りで参拝できる観音様で知られ、陸路のほか舟で乗り付けが出来る水路があって、往来の激しい賑やかな村であった。
今となってはその名残は皆無であるが、5月1日から8日までの期間中は、JR野崎駅からお寺までの参道に百数十件の屋台がズラリと並び、様々なイベントが行われて、大変な人出となる。
東海林太郎
野崎参りは 屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる 呼んで見ようか 土手の人
お染久松の墓
野崎は、悲恋物語「お染久松物」の舞台として知られ、本堂後方に墓がある。
お染・久松は、浄瑠璃,歌舞伎に登場する人物。1710年大坂の油屋の娘お染が丁稚の久松と心中した事件は,歌祭文(うたざいもん)にうたわれて評判となり,浄瑠璃《お染久松袂の白しぼり》においてその定型を確立した
慈眼寺は大東市と四条畷市にまたがる飯盛山ハイキングコースの起点で登山客も多い。 参考資料≪パンフレット、慈眼寺HP,日本経済新聞、他≫
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