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大阪府岸和田市 岸和田市街

(Kishiwada downtown, Kishiwada City, Osaka)

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Sep.14,2017 中山辰夫

岸和田市

市内散策 

岸和田城を中心に栄えてきた岸和田。城の傍を通る紀州街道周辺には城下町が拡がり、家々の間から城郭が見える町並みとなっている。

表玄関の南海・岸和田駅トマンホール、ほか

     

マンホールは市の花「バラ」をイメージし、その周りに市のシンボル岸和田城を配置して岸和田を表現している。

「だんじり」と共に岸和田のシンボルである岸和田城は別名「千亀利城—ちきり」とも呼ばれ、岸和田城の東側に鎮座する岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結びの宮として知られている。市街地の中にも歴史的な一面が垣間見られる。

岸和田は、大阪府泉南地域の中心都市で、関西国際空港から車で15分、大阪都心部のなんばや天王寺からも電車で30分以内とアクセス抜群である。

中心市街はかつて城下町として栄え、明治以降は紡績工業として発達してきた。漁港ではシラス、泉だこなどの海産物、桃やたまねぎ、みかんなどの農産物が特産品である。

市内略図

  

岸和田駅を起点に市内を巡る

駅前商店街−NHK朝ドラに登場した店をみかける

      

近畿大阪銀行—前身は「交野無尽金融㈱会社」 その本社は国有形登録文化財「現在は交野市立教育文化会館」

    

商店街を出て市役所を目指す—岸和田城は市役所の隣である。

市役所付近

   

別寅かまぼこ城内寮−非公開 そもそもは勘定奉行所跡、旅館「萬翆園」を経て今に至る 庭園が広大 度々ロケに使われる

    

岸城神社

         

だんじり祭最大の神事として宮本町、上町、五軒屋町などのだんじりが宮入りする 岸和田城鎮守神

岸和田城と八陣の庭 「詳細は別掲」

    

コンクリートの岸和田城は「続日本の城100選」に選ばれ、岸和田城庭園「八陣の庭」は国の名勝に指定された

がんこ岸和田五風荘 「詳細は別掲」

    

岸和田城主岡部公のお茶屋跡 岸和田の財閥・寺田利吉氏が昭和4年から十年を掛けて造った邸宅 敷地2400坪 建坪300坪

マンサード長屋

     

大正時代の洋風住宅 「腰折れ屋根」ともいわれ切妻屋根形状と急な勾配を急にした屋根形状が特徴。100年を経過し、4棟14戸が現在も住居として使用中

城下町の街並

        

岸和田だんじり館 (細部は別掲)

        

だんじり祭りのすべてを紹介 だんじりとは祭礼の時に引いたり担いだりする山車 祭りを再現している 平成5(1993)年開設 300年続く祭りを紹介する

南海蛸地蔵駅 駅舎 国登録文化財

             

1925(大正14)年に築かれた南欧風の駅舎 南海本線では大正以前の駅舎の残存が少なく貴重とされる。蛸地蔵絵巻のステンドグラスがはめ込まれている

三の丸神社−ケヤキの大木が目を惹く

案内

    

境内

    

手水舎−1703(元禄16)年の刻字がある。

  

ケヤキの大木

         

紀州街道

 

紀州街道は、かつて大坂と和歌山を結んでいた街道で、古くは熊野参拝へ向かう道であり、徳川以降は徳川家紀州藩主の参勤交代の道だった。

本町界隈

    

城下町時代を支えた商家群が並ぶ通りで、本瓦のしろこ葺きの屋根、むしこ窓を持つ中二階、一階には格子が連なる町家らしい外観が特徴

紀州街道に沿う街並みの30軒が歴史的景観建築物に指定されている。(平成24年4月現在)

光明寺

        

観音堂、鐘楼、表門などから江戸御時代の風情が感じられる

梅渓寺 (曹洞宗)

        

岡部宣勝が高槻から岸和田に移封した後、亡母の菩提を弔うため建立した。宣勝の母洞仙院は徳川家康の妹に准治られ寺名はその戒名からつけられた

蛸地蔵 天性寺 (浄土宗)

                   

現在の本堂は1839(天保10)年の再建 

地元住民の手で歴史の道に相応しい景観づくりが行われ、建設省より「手作り郷土賞」が贈られた

       

一里塚弁才天

    

紀州街道は脇街道、紀州往還道であるため、大坂の高麗橋を起点として、和歌山城下まで一里塚が設けられていた

街並みは続く

                  

久住邸(非公開)−吉田松陰が逗留した

      

まちづくりの館

  

昔ながらの民家や商屋が並ぶ紀州街道に平成9年に開館 案内やお茶の無料サービスを行っている

円成寺 (真宗大谷派)

              

信濃国住人加藤主計(法名釈専称)が1536(天文5)年に建立したと伝える。現在の本堂は江戸初期の建物 表門・鐘楼・太鼓楼・経蔵・宝蔵など江戸時代の建築が固まって残る寺観の整った寺院

こなから坂−市役所別館附近

     

岸城神社に宮入するだんじりがこのこなから坂を一気に駆け上がり城に向かって豪快なやりまわしを行う見せ場である

「こなから」とは半分の半分、即ち、4分の1を意味し、この坂が4分の1勾配に見えたことから、この名前が付けられたと伝えられる

紀州街道を少しそれる

自泉会館 (岸和田市HPより引用)

  

関西建築界の草分けとされる渡辺節設計によるスパニッシュスタイルのモダンな建築物 

元岸和田紡績の社交場として1932(昭和7)年に建てられた 現在は、地域の文化振興を図る施設として利用されている

紀州街道に戻る

きしわだ自然資料館

      

北極クマやペンガルトラなど300点の剥製の収集展示が珍しい

城下町特有のマス形

    

旧四十三銀行

    

1920(大正9)年築 赤いレンガ調タイルトベージュの花崗岩 ツートンカラーの建物で、内部に柱が一本もないつり天井になっている 

欄干橋

     

古城川の紀州街道筋に架けられた橋 1739(元文4)年 欄干付きの石橋になり、明治にはガス灯が付けられ夜の岸和田の名所になった。

当時、「石の欄干橋ドンドと踏めば、惜しや雪駄の緒が切れる」と歌われたといわれる

岸和田中央会館−レトロな商店街入口のレトロな建物 近づくだんじり祭の集会場に使われていた

    

旧和泉銀行 国有形登録文化財に指定 一部「だんじり劇場」や催し場に使われている「

         

寺町筋

お寺が集まっている

西方寺 宗派:浄土宗 開宗:1175( 承安5)年 開基:法然上人

      

本昌寺 宗派:日蓮宗

        

円教寺 宗派:日蓮宗

      

本徳寺 宗派:臨済宗

   

今回は紀州街道に沿った散策で終わりました 見落としも多くあります 岸和田市全体は他に見どころも多くあります


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