大阪府大阪市都島区 藤田美術館
(Fujita Museum, Miyakojima-ku, Osaka City, Osaka)
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October 10 and 15, 2022 野崎順次 source movie
大阪府大阪市都島区網島町10-32
藤田美術館
藤田美術館が2022年4月1日にリニューアルオープンした。
同館は、明治時代の実業家・藤田傳三郎と、息子の平太郎、徳次郎によって築かれたコレクションを軸にした1954年開館の私設美術館。《曜変天目茶碗》をはじめとする国宝9件をはじめ、重要文化財53件を含む約2000件のコレクションを有する美術館として知られている。
開館から17年までは、明治〜大正時代に建造された藤田家邸宅の蔵を改装し、展示室として再利用していたが、展示棟や事務所棟などの老朽化対策が課題となっていた。
そこで同館は、コレクションの一部である中国美術の作品をクリスティーズにて譲渡。その資金によって美術館の建替えを実施した。新たな美術館は、開放的なガラスのファサードが印象的なデザインだ。
茶店が隣接する特徴的な広い土間には蔵の扉が設置され、その奥には雰囲気の異なる展示空間が広がっている。旧館の部材を多数使用するなど、藤田美術館の半世紀以上の歴史を感じさせつつ、現代建築として生まれ変わった。
(美術手帖 2020.10.22.より)
新施設は大成建設の設計・施工による。
受賞歴
2022年度グッドデザイン賞
日本空間デザイン賞2022 博物館・文化空間部門 金賞
令和4年度 日事連建築賞 奨励賞
第56回 日本サインデザイン賞 入選
第10回みどりのまちづくり賞(大阪ランドスケープ賞)花博記念協会会長賞
令和3年度おおさか環境にやさしい建築賞大阪市長賞
第20回照明デザイン賞最優秀賞
(本館ウェブサイトより)
美術館外部
エントランス
展示作品
茶室、枯山水流れ、多宝塔
May 2012 野崎順次 source movie
大阪府大阪市都島区網島町
撮影日: 2012年5月3日
実業家で男爵であった藤田傳三郎(1841−1912)、その長男の藤田平太郎(1869−1940)、伝三郎の二男の藤田徳次郎(1880−1935)のコレクションを展示している。
藤田傳三郎は、西南戦争で巨利を得、「藤田組」を設立した、明治時代の関西財界の重鎮であった。骨董収集の面でも関西第一と言われ、その豪快な買いっぷりは伝説化している。
傳三郎の没後、昭和初期に藤田家蔵品の売り立てが3回行われ、この時売却された蔵品には、現在各地の美術館に納まっている名品が非常に多くみられる。
それでもなお、現在の藤田美術館には国宝9件、国の重要文化財50件を含む名品が5000点所蔵されており、藤田家コレクション全体の規模の大きさが想像される。
藤田美術館蔵国宝9件
紙本著色紫式部日記絵詞
絹本著色両部大経感得図 −二幅、絹本著色、
紙本著色玄奘三蔵絵(法相宗秘事絵詞)12巻
紙本墨画柴門新月図
曜変天目茶碗
仏功徳蒔絵経箱
花蝶蒔絵挟軾
大般若経(薬師寺経)387巻
深窓秘抄(百一首) 1巻
藤田美術館の所在地は、多くの蔵が並んでいた藤田家本邸の跡地である。明治半ばの建設時、関西で最大級の和風邸宅であった。敷地内には、本邸、西邸、東邸とあったが、東邸(現在の太閤園・淀川邸)と本邸の表門と蔵を除き、空襲で焼失。現在は、日本最初期の鉄筋コンクリート蔵を改装した建物が展示館として使用されている。藤田邸跡の庭園は、現在は大阪市立藤田邸跡公園となっている。園内に滝を配置するなど特徴のある庭園である。この庭園は戦後放置され鬱蒼とした森となっていたのを、JR東西線建設工事時に建設基地として使うために木が伐採され、東西線開業後は大阪市によって公園として整備されたものである。
美術館外観(藤田邸跡公園から見る)
美術館庭園
多宝塔(指定なし、桃山時代、銅板葺、一辺2.48m)は高野山の光台院にあったものを大正五年(1916)に藤田伝三郎が移築した。移築時に桧皮葺の屋根を銅板葺に変えた。
美術館内部の一部と「藤田傳三郎の軌跡」パンフレット
参考資料
現地説明板
ウィキペディア「藤田美術館」
日本の塔HP
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