大阪府堺市堺区 大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)
Daisenryo old burial mound,Sakai city , Osaka pref.
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世界三大墳墓の一つ |
Nature
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動植物の宝庫 |
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巨大石棺、竪穴式石室など貴重な埋葬施設 |
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May 17,2022 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
November 3 and 5, 2017 野崎順次
大阪府堺市堺区大仙町
仁徳天皇陵古墳
(Nintoku-Tenno-Ryo Tumulus, Sakai-ku, Sakai City, Osaka Pref.)
別名: 大仙陵古墳、大山古墳、大仙古墳
陵墓 墳丘長486m 前方後円墳
エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。
日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっています。
(堺市ウェブサイトより)
百舌鳥古市古墳群世界遺産パンフレット
堺市役所21階展望ロビー説明パネル
南海電車内の吊り広告
JR百舌鳥駅近くの説明板
仁徳天皇陵前方部二重濠の外を東から西へ
正面拝所あたり
さらに西へ
二重濠の西側を北へ
後円部の北側
三国ヶ丘駅ビルの屋上から
堺市役所21階展望ロビーから
大阪府堺市堺区大仙町
全長約486m/後円部径約249m/高さ約35m/前方部幅約305m/高さ約33mの日本最大規模の前方後円墳。
『延喜式』は、この古墳を「百舌鳥耳原中陵」(もずのみみはらのなかのみささぎ)と命名し、現在は宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓に治定・管理している。
墳丘は3段に築成され、左右のくびれ部に造出し(つくりだし)があり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。
明治5年(1872)、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿などが出土した。
また、アメリカのボストン美術館には、本古墳出土と伝えられる細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されているほか、円墳周囲には、「陪塚」(ばいちょう)と呼ばれる、小型古墳10基以上も確認されている。
本古墳は、日本最大の前方後円墳であることが間違いないそうだが、一方では、最近の発掘調査で、造出してから須恵器の甕(かめ)の破片が出土したりしていることから、考古学的には、本古墳が5世紀半ば〜後半につくられた可能性が高く、仁徳天皇の陵であるとすることに否定的な見解が唱えられているようだ。
約2.8kmの周遊路が整備されており、一周するには1時間かかる。
(公財)大阪観光コンベンション協会の説明文による
全体を見渡すことが難しく展望が利くといわれるJR百舌鳥駅南側の陸橋の上からの遠望では十分な姿は得られない。堺市役所高層館21階展望ロビーからの遠望が良いと思われる。
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