大阪府堺市堺区 南宗寺
Nanshuji Temple,Sakaiku,Sakai city, Osaka
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堺市堺区南旅篭町東3-1-2 南宗寺 仏殿 重文 近世以前/寺院 江戸前期 承応2(1653) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、背面張出附属、入母屋造、本瓦葺 棟札2枚 19931209
堺市堺区南旅篭町東3-1-2 南宗寺 山門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 正保4(1647) 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺 棟札1枚 19931209
堺市堺区南旅篭町東3-1-2 南宗寺 唐門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸前期 桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺 19931209
January 14, 2019 野崎順次
弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山とした臨済宗大徳寺派の寺院です。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭(たくあんそうほう)らにより再建が行われました。境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休ごのみの茶室実相庵(じっそうあん)などがあります。
方丈前の枯山水庭園は、仏殿等が建築された江戸時代初期と考えられ、前面に広く白砂を敷き小高くなっている地形を利用して枯滝を組み、そこから小石により表現された枯流れを右手の方向に流しています。上流部に架けた石橋と枯滝とがよく調和し、中央部にある横石の石組も素晴らしく、平庭枯山水形式の庭と石組造形を組み合わせて構成された美しい庭園です。
(堺観光ガイドウェブサイトより)
主要部の境内全域が写真撮影禁止である。
パンフレット
境内その他
大阪府堺市堺区南旅籠町3−1−1
臨済宗大徳寺派
南宗寺(なんしゅうじ)
撮影日: 2009年10月18日
千利休が修行し、沢庵和尚が住職をつとめた禅寺、家康の死にまつわる伝承も残る名刹。
戦国武将の三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した南宗寺。
臨済宗大徳寺派の寺院で、創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。
中でも、千利休の師である武野紹鴎は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」の言葉をもらいわび茶を深め、千利休も第二世笑嶺和尚に参禅して禅に開眼。
日常の俗世を離れて禅の修行に入ったような茶の湯の生活や、知識ではなく体で会得していく茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。
南宗寺は大阪夏の陣でことごとく焼失しましたが、その再興に尽力したのが、当時の沢庵和尚。
俗論に沢庵漬けの考案者と言われる和尚です。
沢庵和尚が現在地に再建を果たした後、17世紀中頃には国の重要文化財に指定されている仏殿、甘露門(山門)、唐門が整備されました。
その南宗寺は、今も昔ながらの禅宗寺院の面影が色濃く残り、周囲を土塀で囲まれた静かな境内に佇めば、結界を超え仏の世界へ踏み入ったような感覚に。境内には千利休ごのみの茶室・実相庵が復元されており、利休忌にちなんだ茶会も催されます。
ちょうど、南宗寺や塔頭でもお茶の会が開かれていた。
境内に静かに佇む国指定の重要文化財、甘露門(山門)。
1647年に第十三世住職により造営された、禅宗様式と和様式が折衷した建物。
境内をたどり、海会寺(塔頭ではない)、本源院(塔頭)、天慶院(塔頭)をのぞいてみた。
重要文化財 唐門
「大阪夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。
しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。
家康はそのまま南宗寺で絶命。
しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。
二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。
それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。
歴史の意外なミステリーに興味をそそられます。
南宗寺の名物は、国の名勝庭園に指定されている枯山水庭園。
方丈の縁側に座し、古田織部ごのみの前庭を眺めれば、シンプルながら奥深いわびさびの世界がやさしく語りかけてきます。
その方丈庭横には地中に設置した水禽窟の音を竹筒で聞けるコーナーもあり、日本人の繊細な感性に響きかけるしつらえが。
時の移り変わりによって変化する寺の風情に心癒されます。
利休ゆかりの茶室、実相庵など
このほか境内には、三好家一門の墓、千家一門の碑、武野紹鴎の碑など著名人の墓が多くあり、堺の豪商や文化人、武将に愛された寺の風格を感じます。
1652年建立の仏殿。国指定の重要文化財。
その仏殿の天井一面には、どこから見ても睨んでいるように見えることからその名の付いた「八方睨みの龍」が描かれ、迫力たっぷり。
権力者や寺院の御用絵師として隆盛を誇った狩野信政筆で、昼なお薄暗い仏殿の中にはまさに龍が棲んでいるかのような錯覚に陥ります。
仏殿の天井に描かれた迫力ある八方睨みの龍の絵。どこから見ても睨まれる。
(説明主文は、社団法人堺観光コンベンション協会HP 堺観光ガイドより引用)
山門
Sanmon
唐門
Karamon
仏殿
Butsuden
禅堂
Zebdou
庭園
書院
千家一門の墓
堺の周囲濠
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