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佐賀県基山町/福岡県筑紫野市 基肄城跡
Kiijo ato, Kiyama town,Saga/Chikushino city,Fukuoka


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March 19,2017  田中康平


福岡県筑紫野市、佐賀県三養基郡基山町

国指定特別史跡 指定  昭和29年(1954年)3月20日

文化庁文化遺産データベース説明文:天智天皇制四年、大野城ト共ニ太宰府防備ノ爲メ南北相對シテ築カレタルモノナリ。城阯ハ基山ヲ中心トシテ佐賀、福岡両縣下ニ跨リ、展望所、塹濠、土壘、水門、礎石、門阯等ヲ存シ山城トシテ規模頗ル雄大ナリ
天智天皇4年、大野城と共に太宰府防備のため南北相対して築かれたものである。城は基山を中心とした佐賀福岡両県下に跨り、土塁、城門、水門、建物の礎石等が遺存し、規模雄大、上代における山城として、城郭史上の価値が極めて高い。

日本書紀の記載によれば天智天皇4年(665年)天智天皇の命により百済からの亡命高官である憶礼福留(おくらいふくる)、 四比福夫(しひふくふ)の手で築城に着手された。
白村江の大敗で唐・新羅軍が攻め寄せることを恐れて急遽構築された防衛構造物の一つとされる。攻め込まれた時に土塁で囲まれた山城に籠りここから抗戦するという朝鮮式山城。
中世には筑紫氏の山城として一時利用された模様。

全体
   

山頂部草スキー場から山頂へ
       

基山山頂 天智天皇欽仰之碑(昭和7年建立)、荒穂神社ご神体の岩ほか
                 

いものがんぎ 中世に防御目的で人為的に作られた凹凸、もとは土塁
   

土塁跡 古代の土塁跡ほか
          

水門跡 古代の遺跡、一部修復。水を通す水門
           

          



Jan. 2013 末永邦夫

基肄(きい)城跡探訪(約18分)

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【撮影日】2012(H24)年11月07日
【撮影地】佐賀県基山町・福岡県筑紫野市
 Kiyama town,Saga and Chikushino city,Fukuoka
【説 明】 
 筑紫野市山口コミュニティセンター主催で基山の「基肄(きい)城跡」探訪が行われたので、参加しました。当動画はその時の記録です。
 660年に百済(くだら)が唐と新羅(しらぎ)の連合軍によって滅ぼされました。
 大和朝廷は百済再興のため、救援軍を送りましたが、663年の白村江(はくすくえ)の戦いに敗北し、朝鮮半島から退却しました。
 大和朝廷は、唐・新羅の連合軍が日本へ攻めてくるのではないかと考え、664年太宰府防衛のために水城を築き、さらに665年基肄城・大野城・長門城が太宰府を守る羅城形式の大防衛線整備の一環として築造されました。
(ちくしの散歩より)【写真】
P01 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット1
基肄城跡から博多湾方面を望む
 
P02 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット2
 基肄城跡徒歩コース
 
P03 基肄城跡徒歩コース全体図
 今回歩いたコースを緑線で示します。
 基山山頂の標高約400m、歩き始めた地点の標高は約160mなので
 約240mの高低差を約1時間20分で巡りました。
 
P04 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット3
 基肄城跡説明
 
P05 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット4
 基肄城跡説明
 
P06 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット5
 基肄城跡説明
 
P07 基肄(きい)城跡ガイド パンフレット6
 基肄城跡関連年表
 
P08 四王寺山から基山を望む
 四王寺山には大野城があり、麓には大宰府政庁跡があります。
 基山は大宰府政庁の南の方角にあります。
 四王寺山と基山の間には、太宰府市・筑紫野市・
 佐賀県)基山町があります。
 
P09 基山町から基山を望む
 
P10 基山町から四王寺山を望む
 



May.2012 瀧山幸伸


           


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