滋賀県愛荘町 宇曾川水路工
Usogawa,Aisho town,Shiga
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Aug. 2013 中山辰夫
滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺国登録文化財
明治の終わりに造られた砂防施設である。 再現することが容易でないとして国登録文化財に指定されている。
宇曾川の上流に設置してあり、現在はダムの調整で安定した宇曾川の自然豊かな渓谷の一地区にある。
先ずは宇曾川渓谷の散策から始める。
■■■宇曾川
愛荘町松尾寺と湖東町平柳の境界山中付近に発し、押立山と秦川山の間を抜け、岩倉川などを合わせ、豊郷町と愛荘町の境界を流れ、彦根市内を北流して琵琶湖に注ぐ。江戸時代には舟運が利用され、彦根藩の年貢米が回送されていた。
集水域が狭いため、平常時は流水量が少なく安定であるが、豪雨時にはしばしば下流域で洪水を繰り返した。そのため上流松尾寺に宇曾川ダムが建設され、下流域では砂防堰堤護岸工事が行われた。
彦根〜八日市間の国道307号線を右折して、宇曽川の上流へと向かう。宇曾川に沿って走る林道を進む。暫くすると岩石を積んだダムが現れる。
■■宇曾川ダム
■自然との共生を目指してつくられたロックフィルダムである。ダムサイトは滋賀県県立自然公園に指定され、ダムの上流は岩と清流が素晴らしい。
天端にポツンと立つ展望台は、湖東三山の古刹をイメージして造られたともいわれる。
緩やかな傾斜が安定感を呼ぶ。使われた石材は湖東流紋岩である。湖東三山を始め、観音寺城の石垣にも用いられているご当地産出の石材である。
■ダムを過ぎてさらに上流に向かって進む。川の周辺は木々に囲まれ、遠望が利かない。秋の紅葉が楽しみな所である。
■暫く行くと人の話し声が耳に届く。道は突き当りになっている。正面に大きな堰堤が現れる。その周辺が宇曾川渓谷の入口ある。そこには水がわき出るポイントがある。地元の山比古地蔵尊にあやかって名づけられた名水である。
■その手前の森にはヒノキが林立しているが、檜皮葺(ひわだぶき)用に表皮が剥がされていた。
桧皮用には直径60cm以上、樹齢70年以上のヒノキがよいとされる。最初に剥がされた皮は赤皮とよばれ、品質が悪いとされ、次に7〜8年後にできた皮は黒皮と呼ばれ、品質・収量に於いて優れるとされる。表皮を剥がすことによるヒノキの材質への影響は調査中とされるが影響がないともいわれる。
約40年毎に葺き替える屋根材の需要に追い付かないとされる現在、入手難の状態が続いているようだ。また、葺き替え作業に使う重要な『竹釘』の加工者にも後継者問題が起こっている。ヒノキの育成から、葺き替え作業までの総合的な対策が必要となっている。
■■■宇曾川渓谷
■■砂防堰堤
下流側は親水公園になっている。水は清らかで冷たく、子どもの天国である。子どもの歓声がこだまする。
■■山比古湧水
鈴鹿山系の山裾、宇曽川の源流に近いところで、湖東流紋岩を通って地表に吹き出ている。古くはお伊勢参りの旅人が利用し、山仕事に携わる地元の人々に 飲用されてきた。巨大な岩の間からほとばしり湧水が噴き出す
■現在では1年を通じて湧き出る湧水は、誰でも気軽に水辺に来て汲むことができ、湧水ポイント周辺は山の空気を味わいながら一息つける場所となっている。
昼食時に戴いた、この湧水を使った新茶と屋久島産焼酎のお湯割りの味は納得であった。
■■山比古地蔵尊
湧水の出る場所から少し登った所にある。この地と水を守ってきたとされる。
≪参考≫
■今では宇曽川ダムが完成し、治水工事なども進んだ宇曽川流域と、地元の人々に大切にされている山比古湧水だが、江戸時代末には山がひどく荒廃したという。山比古湧水の源流である秦川山一帯は「細民の米びつ」と呼ばれ、地元の人々の中にはここで薪などを採り、一家の生計を支える人が多かった。その結果山は痩せ、水は枯れ、山が著しく荒れたそうだ。2〜3日の雨でも水害がでて、豪雨時の堤防決壊などの被害も多かったという。
■明治時代を迎えようとしていた慶応年間(1865〜1867)のこと、西川作平という人物がヒメヤシャブシの植栽を行いこれらの被害を減少させたと伝わっている。
ヒメヤシャブシは空中窒素を固定する能力があり、治山植栽や肥料木などに使われるるもので、西川氏はこの木の植栽を30年以上続け、総本数72万本、総面積60町歩におよぶ一大事業を成し遂げた。それにより豪雨時の災害も少なくなったという。
■明治27年には県営の砂防工事が、明治44年から大正元年にかけては水路工の施工が行われ、自然環境を守る活動も取り組まれていく中で、緑豊かな渓谷の姿が形成されていった。(水路工である)
■■遊歩道
ヒノキ林近辺の一角にある。この遊歩道には伝説に登場する山姥の足跡と言われる岩がある。
『昔、大変信心深い老夫婦がこの湧水を山比古地蔵にお供えしたところ息子にとても気立てのよいお嫁さんを迎えることができた。また、その息子もこの湧水をお地蔵さんにお供えしたところ喜んだお地蔵様が「願いごとを1つかなえてやろう」といわれ、「この付近に住み着いて、村に下りてきては子供をさらい村人を苦しめている山姥を退治してほしい」とお願いし、その山姥をお地蔵様が退治し村に平和が訪れる。その若者はかわいい赤ちゃんを授かり幸せに暮らした』というお話である。(湧水所設置の看板より)
山姥の足跡があるという岩場。大きな岩がいくつもあり、その中に足跡が残る岩があるとされる。
■林道を通り上流をめざす。
途中には堰堤があり、その周辺は涼気の世界。大きな岩とそれにぶつかる水、森林浴を楽しみながらの散策が続く。
ところどころで出合う川面や滝は新鮮で、気持ち良い涼感を味わせてくれる。
さらに進む
■■■宇曾川水路工
愛知郡愛荘町松尾寺国登録文化財 再現することが容易でないもの
■■構造
石張り水路工 張石の欠円断面排水路
施工:1911(明治44)年〜1912(大正元)年町東部,宇曽川上流域の山腹緑化工事の一環として築造された流路工。
勾配約39%,135m長の本線部と61m長の支線部からなり,上幅4〜5mの弓形断面に張石工を施す。
監督工手和田市助と伝わり,当地にいくつか建設された流路工の中でも最大級のもの。
秦川山を中心とする宇曽川上流の荒廃は、江戸末期頃における周辺住民の薪材濫伐によるものと言われている。
水路は石張工となっており、雨水や湧水を流下させ山腹斜面の浸食を防ぐものである。
本川の全長135m、支川延長61mで延べ延長196mあり、保存状態がよく当初の姿をとどめている。
現地の自然石を丁寧に敷き並べてあり、本川は上幅4ー5m、断面は弓形で拱矢比(最大径と拱矢との比)は2.7ー3.3,下端から40m、上流の支川は、上幅1.6m拱矢比1.5ー3.0である。
■現地資料参考資料≪泰荘町史、滋賀県の地名、滋賀県文化のススメ、他≫
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