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滋賀県東近江市 木村古墳

Kimurakofun,Higashiomi city,Shiga

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July 6,2014 中山辰夫

東近江市蒲生町木村「あかね古墳公園」として復元整備されている。

木村古墳群は、蒲生町の北端に位置し、日野川とその支流である佐久良川との合流点から1kmほど北の平野部に立地している。名神高速道路がすぐそばを走る水田中にある。

蒲生のこの一帯は総数300基を越す古墳が全山にわたり密集し、往時の周辺地域の人々の奥津城として崇められてきた。さらに隣接する平地にも古墳・他の遺跡が群集している。

特に、西にある雪野山山頂に築かれた雪野山古墳「前期古墳・前方後円墳)とは1.5㎞の距離に位置している。

木村古墳群は雪野山丘陵南端の東約1kmの平地に営まれた古墳時代中期の5世紀代の古墳群である。古くは7基以上存在したが、県下最大の円墳であったケンサイ塚古墳や石塚古墳などは名神高速道路っ建設に関連してや土地改良工事で姿をけし、現在は天乞山古墳(方墳65m)と、久保田山古墳が存在する。

これらの古墳群の造営時期は、天乞山古墳→久保田山→ケンサイ塚→石塚とされる。

分布と全景(1960・昭和35年)

残った天乞山古墳と久保田山古墳は、昭和50年代に始まった圃場整備事業で破壊の危機に直面したが、将来史跡整備を公園として活用することを条件に保存することに決まった。

■久保田山古墳

天乞山古墳とケンサイ古墳の間に位置する円墳で、平面形が提灯のような形をしている。構築は5世紀前半で、天乞山古墳よりやや後出するとみられる。南側と北側に大小の造出しの二段築成からなる特異な形の円墳である。

直径57mの二段築成で、現存高2.5mを測るが、元は6m前後あったとみられる。上段部の直径は約43mと推定され、下段テラスには円筒形埴輪列が巡らされている。斜面には、上段、下段ともに噴石が貼られている。周濠は、幅約14mで、最大径は東西約86m、南北88.5mを測る。

整備された古墳

四方の遠景

整備前の情報・他

造出し

造出しは南側で幅19.5m、長さ約12.5m。北側で、幅13.4m、長さ約8m、を測り、南側が北側の約1.5倍の規模を持つ。祭場であったとされる。

円筒埴輪

下段のテラスに円筒埴輪が約60cm間隔で立てられており、墳丘を一周するように立てられていたとされる。

噴石

墳丘裾部及び上段部斜面に貼られており湖東流紋岩を経が人頭大〜50cmぐらいに割って使われていた。

■天乞山古墳

滋賀県最大の方墳である。

帆立貝式古墳で5世紀中葉の築造。南北二方向に造出しのつく二段築成の方墳。

一辺約65m、高さ11m前後、周濠幅22m、外郭規模一辺110m前後である。

整備された天乞山古墳

四方の遠景

■整備前の情報・他

造り出し

造出しは大きく削出されているが、北側は幅15.4m、長さ11m。南側は幅8.6m、長さ6.6mを測る。竪穴式石室と思われる。

二つの造り出しを持つ方墳の類例は少なく5例を数えるのみである。

噴石

墳丘の裾まわりに噴石と呼ばれる石を貼り付けている。噴石は、土砂の流出を防止すら役目と、古墳自体を美しく見せるために貼り付ける。近くの雪野山か布施山産の湖東流紋岩という凝結凝灰岩の一種で、人頭大に割ったものを丁寧に貼り付けてある。

■埋設施設

竪穴式石室

■ケンサイ古墳

5世紀中ごろ築城の周濠をもつ円墳、又は帆立貝形のお古墳とされる。直径70〜80m、高さ約10mの二段式築盛の古墳である。

墳長から2m下位で剣・小刀・太刀・鉄鏃・刀子・手斧・鎌・鍬・木製櫛等が直葬の状態で出土。多数の円筒埴輪・家形埴輪が出土している。

この古墳の墳形が「富士山に似た形」をして、この時期の一般の形と異なっている点や埋葬主体のある位置に埋葬施設がない点などから「儀制的な祭祀に関係した特別な事情」により築造された古墳とみなし、これを市辺押磐皇子の墳墓ではないかとの見解もある。

■石塚古墳

未調査のまま消失か。円噴か帆立貝形古墳とされる。これらの他に蝙蝠塚(盛塚)、藪戸塚、御輿塚(杉ノ森塚)等の地名のつくわずかな高まりを持つところがあるが、古墳かどうかの確証はない。

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