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滋賀県彦根市 北野寺
Kitanoji,Hikone city,Shiga
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Dec.2011 中山辰夫

彦根市番場1−3−7 宗派:真言宗豊山派
本尊:聖観世音菩薩 金亀山と号した。
歴史は古く、養老4年(720)に元正天皇の勅願により建立された。開基は護命上人と伝える。
彦根藩が築かれる前に彦根山にあった寺で、その前身は観音信仰で平安時代から都人にも知られていた彦根寺である。
井伊家移封の頃はかなり衰退していたとされる。慶長8年(1603)彦根城築城に伴い現在地に移された。
彦根藩2代藩主井伊直孝が上州(群馬県)の北野寺に学んだことから、築城時に北野寺と改称され、井伊家の祈祷所とした。
西には北野神社が隣接し、互いに密接な関係を持っていた。
井伊家の祈願寺として同家より絶大な保護を受けていた。嘉永2年(1849)・同6年の異国船来航の際、当寺で祈祷が行われる
など、その役割を果たした。 北野神社(左)・北野寺(右)配置図
神社と境内を接している。
仁王門
道路に面して建つ。 全体が極彩色であったが、かなり褪色している。

仁王像
境内へ進む。真正面に本堂が建つ。
その手前左側に鐘楼と手水舎がある。
境内全景
本堂
桁裄三間 梁間三間 入母屋造 向拝一間 桟瓦葺 寛政12年(1800棟札)
円柱 出組蛇腹支輪 中備蟇股 二軒繁垂木 妻飾紅梁大瓶束 向拝几帳面取角柱 連三斗 手狭 中備蟇股 四方切目縁

本堂はやや大規模な方三間堂である。向拝・側柱上木鼻・組物・蟇股などが建築年代をよくしめしているものの、外観には特徴がない。

内部に見るべきところの多い建物である。
地蔵堂
一願不動明王
木造役行者倚像
彦根市指定文化財 室町時代(1411) 像高:94.7cm ヒノキ一木造
勅額
現在の山号『金亀山』の文字は白川法皇の勅額と伝えられる。
彦根寺詣
盲目の沙門徳満が京都の鞍馬寺で祈ったが治らず、奈良の長谷寺でも祈ったが、彦根寺に行くよう夢のお告げがあり
彦根寺で祈ると目が見えるようになった、という霊験譚が承暦3年(1079)のこととして「扶桑略記」に載せている。
その霊験は都にも知られ、寛治3年(1089)には、白河上皇をはじめ摂政藤原師実、右大臣藤原師通など多くの貴族
が訪れた。
『梁塵秘抄』にも「観音験を見する寺 清水石山は背の御山 粉河近江なる彦根山 間近く見ゆるは六角堂」と、高名な
観音霊場と並び称されている。 北野寺観音縁起
桓武天皇延礫2年(783)南都護命僧正に御夢想あり、江州湖辺の景勝の地に一寺建つべしとて、一人の童子が来り
一つの俵を与えて立ち去った。
そこで僧正は南都を出て江州へきて、彦根山に堂塔三院百坊を建立し、百人の名僧を招いて彦根寺と号した。
かの夢中の童子は、竹生島十五童子の一人で、その俵を埋めたところが彦根山であった。という。
其の後貞観10年(868)湖中より怪光を放つので大網をひいて、光るものを拾い上げてみると、これが金色の亀の背に
乗られた観音像であったので、彦根寺の本尊にしたという。
一説には彦根寺の金亀観音は藤原房前が亡母の追善のために奉納したものともいう。金亀観音は其の後行方不明となった。 北野寺の開山秀弄法印は、二代目藩主直孝と同年で、上州後閑村の萩原図書の邸にいた頃の学友であった。
直孝は、他日もし大名になったら、秀弄を必ず祈願所に迎うべしと約束していた。
元和元年(1615)北野寺を建立し、秀弄を迎えようとしたが、秀弄は豊山僧正に出世し、和州長谷寺池坊の住職になって
いたので、豊山僧正の命により長谷寺の老僧実光法印が来彦して開山となった。以後、これが先例となり北野寺の住職は
長谷寺から迎えるようになった。





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