滋賀県甲賀市 飯道山
Imichiyama,Koka city,Shiga
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Nov.2010 撮影: 中山辰夫
飯道山ハイキング
甲賀市信楽町宮町
飯道山
信楽町北方に位置し、山頂部は水口町にもわたる。飯道寺山とも通称され、古くは金寄山(きんき)・餉令山(かれい)などとも記された。
水口町域にある最高点の一ノ峰は標高664.2mである。
古来、山岳信仰の対象とされ、信楽町には飯道神社・飯道寺(現廃業)があり、修験道の霊山として信仰を集めた。
山名は石楠花の葉に飯を盛って神祭りを行なうことにちなむという「室町時代・飯道山古縁起」にある。
頂上部の一ノ峰(664m)、二ノ峰(598m)とも花崗岩が露出する。南山麓の宮町付近は紫香楽宮と推定されている。
登山
飯道山観光協会主催の第6回JRハイキング「山岳信仰の拠点飯道山と紫香楽宮天平ロマン展」に参加した。
JR貴生川駅が出発・解散地である。山伏姿の世話役に導かれての登山である。
今回の総距離は7km強、飯道山の頂上は標高664mである。所要時間はAm9:30〜Pm16:00が予定されている。
登り→貴生川駅→飯道寺→飯道山山頂→飯道山神社
下り→飯道山神社→宮町登山口→紫香楽宮跡発掘調査事務所→紫香楽宮天平ロマン展→ふれあい広場→紫香楽宮跡→紫香楽宮跡駅→貴生川駅「信楽高原鉄道を利用」
JR貴生川駅前が出発点。先達の案内を受ける。杣川(そま)の流れを見、道近くに咲く季節の花々を見ながら進む。まだ余裕である。
途中の飯道寺に立ち寄る。この寺院の説明を受け、重要文化財の仏像を拝観した。
いよいよ飯道山へと向かう。水口町の三大寺登山口からの登山道を登る。ここから山頂までは約3.5kmの道程である。
ほどよく手入れされているヒノキ林が続く。山道は道2m程の幅。平坦で歩きよい。丁石が出てきた。20丁辺りで頂上付近か?
ヒノキや杉の林の中を進むと石仏や寺院跡の標示が所どころ顔をだす。
さらに進む。少し疲れを感じたところが、岩室不動尊休憩所である。52段ほどの石段を登り、3体の石仏に参拝する。(10:40頃)
山道は急な坂となる。道一杯に鋸状の岩片とレキがゴロゴロしていて川底のようである。非常に歩きにくい難所である。
三途の川とも呼ばれ、垢離(こり)・左羅(ざら)・回向坂(えこう)と続く。1kmほど続いたであろうか。
山頂への道で一番きつい所である。「心の諸仏の加護を念じ、口に南無阿弥陀仏を唱えつつ登れ」と立札にある。
あえぎながら石の道を登りきると、「杖の権現」と呼ばれる休憩所がある。そこには小さな祠もある。
しばし、ここで休憩する。(11:20頃)
杖の権現から西へ、屋根伝いに急な熊笹の生えるヒノキ林を登ると約500mで頂上である。景色も上々だ。紫香楽の宮辺りまで見える。
山々が見渡せてなかなかの美景である。三上山も秀麗である。
頂上からの下り道を少し歩くと、道沿いに崩れた石垣が見られる。中世から近世にかけて隆盛を極めた飯道寺の坊跡である。
坊跡はこの一帯、さまざまな形をして残っている。盛時には58坊が建ち並んでいた名残である。
坊跡に生えた木々も大きくなっている。
飯道寺境内の石積が始まるところに、「木食上人入定窟」(もくじきしょうにんにゅうじょうくつ)と記された立札がある。
木食上人とは、穀物を絶ち、山野の木の実や草を食べて厳しい修行をした高僧を指すが、ここの木食は木食応其(おうご)のことで、安土桃山時代に活躍した人である。応其は興山上人とも呼ばれ、高野山中興の祖として知られる。
近江の佐々木氏出身で、38才で高野山に遁世して、十穀を絶つ木食の修行をして密教の奥義をきわめた。
慶長5年高野山を出て飯食山に隠棲し、同13年ここで生涯を閉じた。
昭和43年、入定窟の上に覆堂(おおいどう)が建てられた。大きな五輪塔がその隣に立っている。
道を下ると左手に飯道寺一山の山伏たちの供養塔の立つ墓地に出る。隆盛期の飯道寺を支えた山伏の墓石がひそむように並んでいる。
目の前が大きく開けた。散乱する強固な石垣がスケールの大きかった往古の姿を物語っている。参道から境内はすぐである。
二の鳥居をくぐり、石段を登ると、行者堂がある。堂内には、役行者(えんのぎょうじゃ)が二鬼を従え左右に不動明王と蔵王権現、その前に山伏姿の像が一体祀られているとのこと。恐らく飯道寺の修験者の像であろう。
境内はさほど広くない。拝殿の後ろに重要文化財の本殿が建つ。彩色華美である。
この山には花崗岩の大岩が沢山ある。本殿の周りを、大きな岩群が取り囲んでいる。そこに難行の行場がある。(12:00)
下山
飯道神社への石段が結構長く続いている。所々に石仏を見受ける。
段に従って降りてくると左側に屋根付の浅井戸と手押しポンプがある。呼び水をすると水が飛び出した。
ここには「石風呂」がある。江戸時代の「飯道山絵図」には、この場所を描き「浴室」と記されている。
花崗岩製、上面長さ190cm、横幅86.5cm、高さ57cm。正面に水抜き穴がある。
沸かした湯を石風呂に注ぎ、参詣者に振舞われたのであろう。室町中期当りの作とされる。
地獄宿跡
丁石が建つ近くの道端に石仏が祀られている。この近辺にも宿坊があったのであろうか。宮町の登り口から鳥居まで7丁だった。
道は九十九折になっている。登りのような胸に突く急場は無く楽である。
白鬚神社〜宮町登山口
木製の階段を下りると駐車場である。宮町登山口からはここまで車で来られる。下山路の右横はオレンジゴルフ場である。
巡礼で廻る神社・仏閣はゴルフ場の近くにあるケースが多い。ゴルフに来た頃は関心が無く神社等、気にも留めていなかった。
木々の合間から信楽の町が見え始め、気分的に楽になる。
鳥居があって、小さなお堂と東屋がある。飯道神社への案内もある。鳥居の傍には飯道神社や山上迄 7丁」と刻んであった。
ここは宮前登山口で、県道から車で登ってこれる。
道路はコンクリート舗装となり、飯道神社の鳥居が見えてきた。
第二名神高速道路開設により付近の様子が変わった。バイパスに沿って大鳥居が建っている。
ここからさらに歩く。これから先については省略する。
紫香楽宮関連遺跡群発掘調査事務所
天平の地ふれあい市場
紫香楽宮跡
などを経て、紫香楽宮跡駅から紫香楽高原鉄道に乗車して貴生川駅へ戻った。(16:00)
「木食慶其上人」について
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