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滋賀県甲賀市 新宮神社

Shingujinja, Koka city,Shiga

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甲賀市甲南町新治1172 新宮神社表門 重文 近世以前/神社 室町後期 文明17(1485) 三間一戸楼門(二階を欠く)、寄棟造、茅葺 19240415


March 22,2015 大野木康夫 source movie

早朝、晴天時の楼門


Sep.2014 中山辰夫

甲南町新治宗派:天台宗 近世氏子圏:池原杣庄九カ村 神宮寺:新宮寺(福寿院)甲南町新治集落の南側、丘陵上に所在し、中世は矢川神社(同町森尻)、日吉神社(水口町三大寺)と共に、「杣三社大明神」と称し、有力神社であった。

新宮(新宮郷)九カ村、新宮上野・龍法師・柑子・磯尾・野尻・倉治・市原・虫生野(現・水口町)の氏神で、明治以前は新宮大明神と呼ばれていた。

一宮は紀伊熊野大社、二宮は常陸鹿島大社、三宮は勝手大明神を祀る。

長い参道の奥に、表門、拝殿、本殿、神楽殿が立ち並ぶ。表門に至る道路は、見事な桜並木となる。表門

国重要文化財 建立:1485(文明17)年

境内から北に延びる馬場の途中に建つ。三間一戸八脚門の様式に優美な透彫りや優れた意匠の木組みが施されている。

平面は桁行三間、梁間二間で北面して建つ。屋根は入母屋造、茅葺である。「新治の楼門」の名で親しまれている。

各柱間は壁や建具が入らず、すべて吹き流しである。軒廻りの木組は三手先に仕上げられ、頭貫ノ四隅先端には繰形付きの木鼻とする。

中備の正背面中央間には透かし彫りのある蟇股を配す。各紅梁上には板蟇股を置く。

柱は全て円柱で礎盤上に建てるが、棟通り中央の日本の柱は礎石建ちとする。

拝殿

本殿

一之宮

伊弉冉命を主祭神とする。732(天平4)倉治村の字熊尾に勧請され、延暦年間(782〜806)神勅によって上野(新宮上野)に移り、新宮大明神と号した。

1571(元亀2)年兵火により焼失、1574(天正2)年再建 現在の建物は1777(安永6)年の建物

二之宮

速玉之男命を祀る。1013(長和2)年の勧請 1327(嘉暦2)修理

三之宮

天之忍穂耳命を祀る。1652(承応元)年まで森尻の矢川神社にあり、その後龍法師村に移され、いつの頃か当社に祀られた。

境内社


新宮神社表門 Mar.2011 撮影:大野木康夫

 

文明17(1485)年の建築

三間一戸楼門(二階を欠く)、寄棟造、茅葺 いまでもかなり大きく、存在感がある建物なので、二階が残っていたら、苗村神社楼門のように勇壮な姿だったと思います。

 


Aug.2010 撮影: 中山辰夫

甲賀市甲南町新治祭神:伊弉冉尊 〔配祀神〕速玉之男命 天之忍穂耳命 境内から北に延びる馬場の途中に表門が建つ。表門の手前に善願寺がある。

表門は、室町時代の建立で、国の指定重要文化財である楼門は、地元では「新治の楼門」の名で親しまれている。

本来は二重の「楼門」となるはずが、何らかの事情で上層の工事が中断されたものと考えられる。表門をくぐって参道を進むと石塔籠が両側に建ち社殿が見えてくる。

新宮神社は、甲南町新治(しんじ)集落の南側、丘陵上に所在し、中世は矢川神社(同町森尻)。日吉神社(水口町三大寺)とともに「杣三社大明神」と称し、杣庄の有力寺院の一つだった。

北に延びる小さな舌状台地の先端を東向きに二段造成し、上段に一之宮、二之宮、三之宮の三段を北から南に並列させ、一之宮と二之宮との中間に階壇を設けて下段に拝殿を配する。

拝殿前方の階壇から参道は北方に折れて、重要文化財の楼門に至る。

伊弉冉命を主祭神とする一の宮、速玉之男命を祀る二の宮、天之忍穂耳命を祀る三の宮をあわせて新宮神社と称している。

もと新宮郷九ヶ村の鎮守として崇敬された神社である。

一の宮は天平四年(732)に熊野より分霊を勧請、もと字熊尾にあったものを延暦年間(782〜806)に当地に移したと言う。

この時、新宮大明神と号した。二の宮は長和二年(1013)、伴光常が鹿島より分霊を勧請したと伝える。

三の宮はもと矢川神社の境内社として勝手大明神と号していたものを、承応年間(1652〜55)に現在地に移したと言う。

新宮神社は、矢川神社(森尻鎮座)、日吉神社(水口町三大寺鎮座)とともに、杣三社大明神称し杣荘二十二ヶ村の鎮守とされていた。

古くは三社合同の祭礼も行われていたと言う。

 

表門

国指定重要文化財

三間一戸楼門(上層を欠く)入母屋造 茅葺 

建立:室町時代 文明17年(1485)

境内から北に延びる馬場の途中に建つ。門の建立の経緯については、承安2年(1172)重複したことのみが伝えられるのみで不明である。

建立年代は、昭和30年(1955)の解体修理の際に発見された墨書から文明17年(1485)とされる。

柱は全て円柱で礎盤上に建てるが、棟通り中央の二本の柱は礎石建ちとする。

組物は和様三手先組で、柱通り上の通り肘木は、棟通りのみ三段とし、他は二段とする。

中備(なかぞなえ)は、正背面中央間には透彫りのある蟇股を配し、他は間斗束を二段に入れる。最下段の通り肘木のうち、中央間の梁間材および各脇間の隅行き材は柱通りより内部部分を紅梁型に造利出す。各紅梁上には板蟇股を置く。

拝殿

間口三間 奥行二間 入母屋造

本殿

一之宮本殿

市指定文化財

三間社流造 間口二間四尺 奥行二間三尺 千鳥唐破風

一之宮本殿は大型の三間社で、正面に千鳥破風・軒唐破風を付け、身舎組物も出組、妻飾を二重紅梁とするなどかなり賑々しく造られ絵様もかなり発達しており、19世紀的な要素が強い。

二之宮本殿

配置形式と規模・形式は一之宮本殿とほぼ同格であるが、一之宮は浜床にも擬宝珠高欄を設けて二之宮と差をつけている。

建設年代は擬宝珠銘により安永6年(1780)が明らかで、矢川神社文書によれば御本社(一之宮)安永6年、二之宮享保6年(1721)三之宮寛政4年(1792)の建替えとし、様式的にも一致する。

二之宮の屋根部分

精巧な彫刻が彫られている

参考資料《甲賀郡志、甲賀市史、滋賀県の地理、滋賀県の近代社寺建築、その他》

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