滋賀県米原市 北畠具行墓
Kitahatake Tomoyuki Graveyard,Maibara city,Shiga
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March 29, 2021 野崎順次 source movie
滋賀県米原市柏原
北畠具行卿の墓
(Tomb of Lord Kitabatake Tomoyuki, Maibara City, Shiga
Pref.)
国史跡
元弘の変(1331)で失脚した北畠具行の墓。清瀧寺徳源院の南700m、丸山(285m)の山頂にあります。後醍醐天皇に仕えた具行は、鎌倉幕府打倒の謀議に度々加わり、その中心的存在でしたが笠置落城の後に幕府方に捕らえられ、鎌倉に護送される身となりました。護送の途中、その人となりを惜しんだ京極道誉(佐々木高氏)は、清滝寺に彼を留め、1ヶ月余りにわたって幕府に具行の命乞いを続けました。しかし、その願いも空しく、元弘2年(1332)6月19日にこの地で斬首され、その生涯を閉じました。墓は高さ204cmの宝篋印塔で、死後16年を経て建立されました。今もなお、6月19日の命日には、地元の人々によって手厚く供養されています。
(長浜・米原・奥びわ湖観光情報サイトより)
現地説明板
清滝側からのアプローチ
北畠具行墓
近くの地蔵石仏、石室に安置されている。
Apr.2012 中山辰夫
米原市山東柏原国指定史跡柏原の街中を過ぎて山手にある。
途中までは徳源院へ向かう道をたどる。墓は清滝の南方、丸山の山林中にある。
北畠具行と佐々木導誉
南朝の忠臣・中納言具行は、北条氏討伐を計って笠置山に拠られた後醍醐天皇に従ったが、笠置が陥って北条軍にとらわれ
当時北条方であった佐々木導誉が鎌倉へ護送する途中、柏原の徳源院に一カ月留めおかれた。
この時、ばさら大名として名高い京極導誉が、具行の人柄に打たれ幕府に助命嘆願した話は有名である。幕府に助命を乞うた
が入れられず、柏原で殺せとの使いが来たので、導誉は泣く泣く家臣をして斬首せしめた。
元弘2年(1332)6月19日のことであった。具行卿の墓・宝篋印塔は、清滝寺のから約700mの丸山の猫居坂にあって、斬首の地に静に佇み、時の移ろいを伝える。
宝篋印塔
具行の墓とされる。
砂岩製で、総高約204cm。貞和3年(1347)の銘があり、斬首の年から16年後に建立された。
この塔の建立者は、具行諸兄の際に介錯をつとめた田児六郎左右衛門尉とされているが定かでない。
具行の辞世の和歌(大津にさしかかった所で詠む):導誉に命乞いをしてやろうと思わせた和歌とされる。
≪帰るべき時しなければ、これやこの、行くをかぎりの逢坂の関≫
参考資料≪京極氏の足跡を尋ねて、他≫
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