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滋賀県長浜市 長浜八幡宮

Nagahama Hachimangu,Nagahama City,Shiga

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Septemer 29, 2018 野崎順次 source movie

滋賀県長浜市宮前町13-55

長浜八幡宮

(Nagahama-Hachimangu Shrine, Nagahama City, Shiga Pref.)

祭神

東御前 - 足仲彦尊(仲哀天皇)

中御前 - 誉田別尊(応神天皇)

西御前 - 息長足姫尊(神功皇后)

平安時代後期(1069年)に源義家からの発願をうけた後三条天皇の勅により、石清水八幡宮を勧請して創建したと伝わる。戦国時代には兵火を受けて衰退したが、長浜城城主となった羽柴秀吉により復興された。平安時代より境内には別当寺である新放生寺が存在していたが、明治時代初期の神仏分離令により廃され、唯一残された子院の舎那院に仏像や資料等が全て移された。

(ウィキペディア「長浜八幡宮」より)

パンフレットと現地説明板

       

参道を歩く。直ぐに方丈池と庭園が見えた。

     

長浜八幡宮庭園 桃山時代 池泉鑑賞式

本庭は都久夫須摩神社の小社(六角形向拝付檜皮葺)の社殿の四周に池庭を設けたもので、これを竹生島弁天に見立て、作意したものであることが解り、面積は約百五十坪ほどのものである。したがって、本庭は、この小社を巡る池庭であり、やや円形に近い様式とされ、各局部に石組が用いられ、東部と南部とに自然石と切石とを混じた石橋をかけ、西北部にも途中まで石橋をかけている。

そして本庭には小社の南部に枯滝式の巨石を立てた石組があり、池畔の護岸石組を兼ねて、その下部に蓬莱石を用い、はなはだ剛健な手法を見せていて、さすがに天正期を思わせるものである。

そしてさらに西部にも豪華な石組が続き、池中にも巨石を立てて中島とし、社殿の西北部には亀頭石と思われる剛健な石組があり、さらにまた、本殿東南部にも蓬莱式の巨石の石組が見られ、石橋と共に傑出している。おそらく秀吉が当社を再建した当時、竹生島明神を祀るための作庭であろう。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」昭和49年「長浜八幡宮庭園」より)

方丈池の周囲を東から南、西、北と回る。中島の神社は南面しており、石橋が架かる。

                                               

南から中島に渡る。摂社 都久夫須麻神社がある。

                 

池の北東のご神水

       

拝殿、幣殿、本殿

           

能舞台

   

ぼけ封じの宮、高良神社とぼけ封じ石

     

その他境内、商家、山車蔵

                  


Apr.2010 撮影/文:中山辰夫

長浜市宮前町13−55

祭神:誉田別尊(応神天皇) 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神宮皇后)

長浜駅より徒歩20分

長浜八幡宮は大通寺とならんで長浜地区を代表する大規模な地域文化財である。

その歴史は中世以前までさかのぼり、社伝に寄れば、源義家が後三条天皇に願って延久元年(1069)に京都の石清水八幡宮の神霊を当地に勧請したのが始まりとされる。

現在の長浜地区のほぼ全域は、中世の石清水八幡宮神領(八幡荘)内に入り、長浜八幡宮はその荘園の鎮守社であったとされる。

戦国時代は兵火により衰微したが、羽柴秀吉が長浜城主のときに、社地を現在地に移し、社殿の整備・復興を行ったとされる。

さらに社殿は江戸中期に改築され、八幡宮は神仏習合して新放生寺と一体化していた。

また境内の西側や南側には多くの社坊があったことが八幡宮絵図からわかっている。

現在の社殿は明治22年(1889)に再建されたものである。

明治初年の神仏分離令により、八幡宮の神宮寺でもあった新放生寺は廃され、境内の仏堂は名称・用途を変更し、仏像・仏画・仏具などは新放生寺の学頭であった舎那院に移された。

現在でも長浜八幡宮は広大な境内空間を維持しており、その例大祭である長浜曳山祭では主要な行事がこの境内で、または発着地として行なわれる。

平成4年(1992)から紫陽花園が造られた。

周辺の自治会や、商店街、八幡宮、舎那院、各種街づくり団体らで組織した「紅の会」が募金活動、植栽を行なった。

隣接する舎那院の芙蓉と合わせて、長浜の花の名所として定着しつつある。

                   

「近江名所図会」「文政11年(1828)の長浜八幡宮

社殿、池、舎那院などの配置が、現在の八幡宮境内の構成に受け継がれている。

 

参道

境内西側の一の鳥居から入る石畳の参道は二の鳥居前で直角に折れて拝殿に向かっている。

この参道および水路を挟んだ通りも曳山祭の諸行事である曳山の巡行をはじめ、裸参り、夕渡り、朝渡り、太刀渡りなどの舞台空間となる。

 

拝殿

間口三間四尺、奥行三間、入母屋造

       

幣殿

       

本殿(幣殿の後方)

間口三間 奥行二間 神明造

本殿は拝観できなかった。側面より写した。

    

放生池

神社創建時からの浄水で放生池の水源。近隣の人が早朝から汲みにくる。

    

都久夫須麻神社

       

高良神社

5代の天皇に仕えたという武内宿禰(たけのうちのすくね)を祀り、長寿の神様、ぼけ封じの宮として篤く信仰されている。

        

長浜曳山まつり開催時の八幡宮

      

参考資料《長浜市史、近江の曳山、滋賀県の歴史散歩、他》

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