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滋賀県長浜市 木之本

Kinomoto ,Nagahama city,Shiga

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April 24 and May 1, 2021 野崎順次  source movie(Apr.24)  source movie(May 1)  

 

長浜市木之本町木之本
北国街道木之本宿


地蔵院の門前町として栄え、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わいました。木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残していましたが、今では埋め立てられ、商家の家並みに昔の情景を残しています。
(長浜・米原を楽しむ観光情報サイトより)

現地説明板と木ノ本駅
      


江北図書館(こほくとしょかん)
1907年(明治40年)1月8日開館であり、滋賀県では現存する最古の図書館である。2015年(平成27年)時点で日本図書館協会に登録している私立図書館は20館あるが、個人が設立して100年以上にわたって運営が続けられてきた私立図書館は他に類を見ない。木造2階建て(一部平屋建て)の建物の延床面積は455m2。竣工は戦前の1937年(昭和12年)。設計者は不詳、施工は伊藤光次郎。正面に4つ並んだ半円アーチが洋風の雰囲気を醸している。2階は畳敷きの大広間となっており、公会堂の面影を残している。
(ウィキペディア「江北図書館」より)
         


内部1階
             


内部2階
                

東に歩くと北国街道
      


少し北に戻ってから北国街道を南にたどる。
        


木之本牛馬市跡あたり
室町時代から昭和の初期まで毎年2回、街道の民家を宿として牛馬市が開かれました。江戸時代には藩の保護を受け、地元近江をはじめ、丹馬、丹波、伊勢、美濃、越前、若狭などから数百頭以上も牛馬が集まり盛況を極めたそうで、歴史に名を残す名馬を数多く輩出し、山内一豊が妻の備えていた金子で買い求めた名馬もそのひとつと伝えられています。
(木之本観光案内書サイトより)
                   


国登文 山路酒造主屋(旧木之本宿脇本陣 昭和3年(1928)建て替え
脇本陣は山路清平家(山路酒造:創業天文元年:1532年)にありました。江戸時代末期には脇本陣だけでなく伝馬所取締り役として柳ヶ瀬関所(北国街道沿いの越前国と近江国の国境に位置し彦根藩が管理運営しました。現在でも関守の長屋門が残っています。)の人物改めや荷改めを行っています。敷地間口は広く街道沿いには表門(切妻、桟瓦葺、一間一戸)が設けられ、門から直接敷地内に入る事が出来るなど格式が高く脇本陣の名残が見られます。当時の建物かは不詳ですが、所謂町屋形式の建物では無く、前面に庭を配した御屋敷型、街道沿いには門と土塀があり良好な町並みに大きく寄与しています。隣接する山路酒造の建物は大正(昭和?)時代に建てられたもので木造2階建、入母屋、桟瓦葺、平入、塗屋造、外壁は2階正面が黒漆喰仕上げ、側面、入母屋妻面軒下は白漆喰仕上げ、1階は板張り、正面には下屋庇と格子戸が設けられています。
(「滋賀県:歴史・観光・見所」サイトより)
         


木之本塾(古民家保存の手づくり工房)
     

さらに牛馬市跡が続く。
              


さらに
               


元庄屋 上阪五郎右衛門家
      


木之本地蔵院門前あたり
                     


国登文 旧木之本宿本陣(竹内家住宅)主屋 江戸中期 延享元年(1744)
北国街道・木之本宿のほぼ中心部にあり、街道に面して建っている。木造平屋建ての主屋は間口が6間半(約12メートル)の大規模な町家で、柱に取り付けられていた棟札で1744(延亨元)年の大火の直後に再建されたことが確認されており、木之本地区では最古級の町家建築という。(毎日新聞 2020/11/21地方版)

明治時代からは薬局を営んだ。
              


国登文 冨田酒造主屋 江戸(1744)
木造2階建、瓦葺、建築面積270㎡、1棟
旧木之本宿中心部の造り酒屋。街道に東面して建つ。切妻造、桟瓦葺、二階建、大屋根前面を二段に重ねて南を落棟とし、北側に平屋棟を付す。落棟を含む南の広い土間沿いに3室を並べ、平屋棟に座敷等4室を配する。輻輳する屋根が街道景観に威容を誇る大型町家。
(文化遺産オンライン)
             


敷地の奥行が深い。
              


美味しいお酒で客が絶えない。
         


かめや
   


国登文 白木屋醤油店主屋 江戸(1830-1868)
木造2階建、瓦葺、建築面積95㎡、1棟
旧北国街道木之本宿にあり、街道に西面して建つ。木造二階建平入で当地区では標準的な規模の町家である。一階平面は南側の通り土間に沿って三室を並べる一列三室型の構成で、二階は正面側に居室を設ける。木之本宿で旧街道沿いの歴史的景観を形成している。
(文化遺産オンライン)
             


国登文 岩根重内家住宅 江戸時代末期(十九世紀前半)
間口約十メートルの大型町家。市によると築造は十九世紀前期とみられる。最大の特徴は、正面から見ると屋根が三角形に見える妻入の形式。木之本宿内の町家では、同住宅など四軒しか残っていない。幕末の絵図などから、江戸期の木之本宿は妻入が多かったとみられている。しかし、次第に屋根が四角形に見える京風の平入が増えていったという。
同住宅では、大正後期の大規模改修でかやぶき屋根を瓦ぶきにしたが、形式は妻入を踏襲。今回、かつての景観の名残をとどめることが登録の理由になった。当主の岩根吉孝さん(85)によると、屋号の重内は祖父重内さんの名が由来。重内さんは明治末頃に造り酒屋を始め、戦時中にコメが統制を受けるまで続いた。大規模改修で増築された奥座敷に残る酒造りの様子を彫った欄間や、主屋の奥にある主屋二階と同程度の大型の土蔵が名残。銘柄「翠天(すいてん)」は市内蔵元が引き継いでいる。
(中日新聞2021年3月20日 05時00分)
             


国登文 木之本町きのもと交遊館 昭和前期(1935)2005改修
鉄筋コンクリート造2階建、建築面積83㎡、1棟
湖北銀行木之本支店として建設。北国街道に東面して建つRC造2階建である。旧客溜り部分を保存して背面側を改築した。正面はイオニア式円柱4本の大オーダーを付けた重厚なデザインである。外壁は人造石洗出し仕上げとする。町並みのランドマーク的存在。
(文化遺産オンライン)
               


よい街並みが続く。
                    


元庄屋竹本助六家と岩根醤油店
      

それから、半田屋呉服店も古そう、それから。
         

国登文 ダイコウ醤油主屋 江戸(1830-1868)
木造2階建、瓦葺、建築面積114㎡、1棟
旧木之本宿南端で醸造業を営む商家。街道に東面して建つ切妻造桟瓦葺の二階建で、正面は上下階に平格子を入れ、出桁造とし、二階両端に袖壁を付す。内部は南に土間、北に2列6室を配し、上手奥を座敷とする。醸造業でも栄えた宿場町の景観を形成している。
(文化遺産オンライン)
       


安達彌平商店、屋根大棟に黄金が光る。
         


角地で奥行きの深いのがよくわかる。
            


北国街道・北国脇往還の交差点、見えている道は脇往還。
     


北国街道を少し南へ行ってみる。奥行きの深い家があった。
          


駅の方へ戻る。
    


冨田酒造の向かいのお寺、明楽寺。鐘楼の周りに三尊石を含む石組がある。
                                 


サラダパンで有名なつるやパン屋
    


地蔵院前、札ノ辻跡から駅への道。
                          

JR木ノ本駅あたり
     


Nov.20,2016 瀧山幸伸 source movie

                               

旧本陣

            

冨田酒造

           

明楽寺

               


July 2012 中山辰夫

木之本宿〜町並・歴史探訪

長浜市木之本町木之本

アクセス

    

木之本は、大陸と都を結ぶ交通の要衝として古代より開けた場所で、木之本地蔵院の門前町を中心に宿駅が

形成された。

木之本を通る「北国脇往還」は関が原から春照・小谷を経由して木之本に至る街道で、参勤交代の道として

越前・加賀の大名たちの通行で賑わった。

「北国街道」は、鳥居本から米原・長浜を経て木之本に至る道で、幕末、長浜の繁栄に伴って発展し、多く

商人が行きかった。この街道は北近江から越前・加賀へ延びて行く。

 

木の本の宿は、本陣や問屋なども整備され、旅籠や酒屋が軒を並べ、元禄11年(1698)の文書によると

本陣・脇本陣や問屋・馬持・旅籠及び十数戸の商舗と人家が街道の東西両側に並び、街路の中央には水路を通し

柳が植えられた。

さらに、年に一回開かれた牛市場では、歴史に名を残す名馬が売買されことで大いに賑わった。

   

今残る古い街並みには当時の風情をそのままに残され、旧家の軒下の柱にはいまなお馬つなぎの金具が残り、

卯建のある家並みは紅殻格子がよく似合っている。また平入り瓦葺きの町家や妻入り町家の立ち並ぶ町並は

往時の賑わいを今にとどめている。

本陣を勤めていた竹内家(世襲)が今も残り、古い薬看板を見ることが出来る。

大音・西山地区での伝統的和楽器糸の生産や、賤ケ岳の南麓の伊香具神社、浄信寺、己高閣・世代閣など

観光資源に恵まれ、伝統の保存に注力する木之本である。

  

スタートのJR木之本駅前よりスタートする。

    

目だった訪問先

 

江北図書館

国登録文化財 明治39年(1906)設立。木造二階建 平成19年(2006)設立100周年を迎えた。

    

丸三ハシモト工場 

文化庁選定保存技術

三味線など邦楽弦楽器の原糸づくり。大音・西山地区の生糸を使用。

    

町中へもどる

駅前から木之本の中心街へ。ゆるやかな地蔵坂を300m登ると、正面が木之本地蔵として有名な浄信寺である。

両側には早くも古民家が現れる。

    

くつわの森

イヌザクラの古木がある。秀吉が木之本に駆けつけた時の馬が疲れて死に、ここに埋葬してむちをさして

おいた所に芽が出手、今日の大木に育ったと伝承される。

    

脇坂邸と菓匠緑兵衛

自家栽培のよもぎを使った手間閑かけた草餅

   

北国街道に当る。交差点の一角が「札の辻」跡である。

    

木之本地蔵院を挟んで、余呉方面(左)と高月方面(右)の町並。

   

木之本地蔵院 「詳細は木の本 木之本地蔵院」

駅からつま先あがりの緩やかな石畳を踏んで歩くこと数分である。

獣疫平癒に霊験があるとされ、牛馬を曳いてくる参詣者が増え、売買が行われるようになって、牛馬市につながった。

    

眼病に霊験あらたかで境内のカエルは今もすべて片目である。

 

町家めぐり

 

元庄屋上阪邸

   

道路の両側に古い民家が並ぶ。

        

付近の町並み

創業大正元年(1912)、元郡役所跡に開店した「すし慶」。蔵がギャラリーとなっている。

合戦図はギャラリーで見せてもらえます。

       

山路酒造

北国海道沿いで酒造480年余の老舗。清酒・桑酒・他 店のおかみさんも“街づくり”に大忙し。

創業天文元年(1532)山路家は伝馬所で脇本陣も兼ねていた。今の建物は大正時代に建てたもの。

    

木之本は養蚕の盛んな土地で蚕の餌になる桑の木を利用した桑酒作りが古い。糯米と?桑の葉を、独特の

方法で焼酎に漬け込んだ酒。古来、北陸から京に上る旅人 に、疲れが取れると好まれた。

牛馬市と馬宿平四郎

山内一豊が名馬山鳥栗毛を買ったゆかりの家

    

木之本及び余呉は昔から馬の産地で、先陣争いの際、梶原景季が乗った名馬「摺墨」は、余呉町摺墨(するみ)

の村年寄西山孫四郎が源頼朝に献上したという。戦国時代は馬の需要が増えた。

   

明治時代には、毎年8月と11月の2回馬市が開かれた。明治9年11月お牛馬市の記録では、宿数約20軒、

607頭で、内訳は牛宿15軒、牛477頭、馬宿5軒、馬130頭で、税金は1頭につき1銭だった。

一回の市は1〜2週間続き、その間、売り手と仲買人が馬宿に泊まるので町は大そう賑わい、潤った。

名残を留める町並み

        

山内一豊以前から昭和50年(1975)代まで続いてきた木之本牛馬市も町並の継続につながった。

目だった町家の意匠

    

一里塚跡

街道は木之本の集落からはずれ余呉の集落へと続く。

  

木之本地蔵院前に戻り街道を巡る。

これから先は田上山の良質な地下水で、酒・醤油づくりが盛んに行われ、今に続いている。

  

昔は道の中央に川が流れ、馬や牛をつなぐ街道並木があった。

つるやパン店 サラダパンがTVで紹介され一躍有名に・・・。

  

本陣薬局

木之本地蔵院から歩いて1分のところに、旧本陣跡が残されている。竹内五左衛門邸である。

江戸時代には、参勤交代のための、かなりの大名が利用したとされる。

   

記録によると、11代将軍・徳川家斉の息女・溶姫一行も滞在したらしく、その時は3千人分の寝具を

周辺の村から集めたといわれる。

竹内家は薬の商いで財を成し明治24年(1891)に全国初となる薬剤師第一号を取得している。

店先には古い薬看板が並んでいる。

    

富田酒造

清酒「7本槍」の蔵元。450余年の歴史を酒蔵が並ぶ。

三層屋根、土塀、門のある店構え。栄えていた時代があったことを表わしている。

    

酒屋を営む傍ら庄屋を勤めていた。明治天皇北陸ご巡幸の際、岩倉具視が宿泊した。

   

銘柄「七本槍」は勝利の酒、縁起のいい酒の思いを込める。ラベルは当家に逗留した北大路魯人の手による篆刻を使用している。

    

明楽寺 

真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来 

    

かめや

元旅籠 手作り品いろいろ

  

白木屋醤油店

江戸末期の参勤交代廃止に伴い醤油業を始める。それまでは足軽宿・商人宿。屋号は「白木苦労左衛門」

    

店は天保の時代(1830)に建てられた。宿として建てたため、二階に多くの人が泊まれるように狭い床

の間(1.5尺)になっている。

   

裏の土蔵まで、200m以上ある大屋敷。この付近の大店は同じ構成である。

  

きのもと交遊間

江戸時代は問屋場、明治以降は警察が置かれていた場。昭和10年(1935)湖北銀行木之本支店として

新築されたRC造の建造物

    

滋賀銀行木之本支店

昭和10年(1935)建造 鉄筋コンクリート二階建

    

周囲の町並み

      

岩根醤油店と元庄屋竹本亭

ダイコウ醤油店

嘉永5年(1852)創業。現在6代目

  

 

       

杉桶熟成すること約2年 四季二度越ゑ自然醸造

   

北国街道と北国脇往還の分岐点

    

町中散策はこれまでとする。

町中から少し離れ、賤ケ岳近くを散策する。

大音地区 詳細は「木之本 大音」

「余呉に大音、西山の二村あり。古くから繭をとり、糸をつむぎて、之を絃糸となす。国じゅうの琴糸

琵琶湖糸、三味線糸の大半を生産せり。大音糸、西山糸と名づくるは之なり。和楽絃糸として、琴22種

琵琶50種、三味線110種、そのたあわせて180種余に及ぶ」(湖の糸)

    

湖北の琴糸はその品質が日本一と呼ばれていた。

伊香具神社 詳細(木之本 伊香具神社)

大音集落の東、香具山の南麓に鎮座。祭神は、「帝王編年記」養老7年(723)条に記される余呉湖の羽衣

伝説に登場する伊香刀美で、伊香連の祖とされる。

「延喜式」神名帳にみえる名神大社「伊香具大社」に比定される。

賤ケ岳の戦火で社殿以下を焼失したが、正徳年間(1711〜16)に再建。

     

賤ケ岳 詳細「木之本 賤ケ岳」

木之本と余呉の境界に位置する標高421.9mの山。

南西は琵琶湖、北は余呉湖に臨み風光明媚な地として知られ、琵琶湖八景の一つ。

今回はリフトで登った。景色は上々である。

  

賤ケ岳合戦の主役である羽柴秀吉と柴田勝家の戦いがあった。

賤ケ岳の七本槍−この言葉は、戦国に生きた男たちの猛勇さや忠誠心を彷彿とさせ、時代を超えて人々の

心を躍らせる。

  

明楽寺

長浜市木之本町木之本

宗派:真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来

明徳2年(1391)真敬が創建 もとは真言宗に属していたが、蓮如の北国下向の時に帰衣し真宗に改宗。

山門

    

門戸には菊の御紋

   

石山合戦の時には顕如に勤仕したと伝承する。

太鼓楼

   

鐘撞堂

        

本堂

       

近世には長浜御坊大通寺(長浜市)の下寺。

参考資料≪パンフレット、伊香郡志、滋賀県の地名、みーな、北国街道と脇街道、近江城郭探訪、他≫


木ノ本駅

SL運行

Nov.2010 瀧山幸伸 source movie

     

             


May. 2006 瀧山幸伸 source movie

  

             

   

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