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滋賀県長浜市 西野薬師堂

(Nishino Yakushido,Nagahama, Shiga)

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Sep.15.2018 中山辰夫

湖北三十三観音札所 観音霊場めぐり

番外 西野薬師観音堂 木造薬師如来立像(国重要文化財) 木造十一面観音立像(国重要文化財) 十二神将(2体)

長浜市高槻市西野

西野薬師観音堂はJR高月駅から西へ約4km西野集落の中にあって、充満寺の境内から約100m離れた飛地に建つ。

 

西野地区

柳野中の西、余呉川左岸平地に立地。現在は集落の北に余呉川があるが、かっては集落の南を流れていたという。

余呉川の氾濫が多かったことから、「川原」「浦」「深田」「流レ」などがつく地名が多く残る。

当地の守護氏神「八幡神社」、真宗大谷派円行寺、地蔵堂、などがある。

西野水道、古保利古墳群があり、周辺の地域の歴史背景は奥が深い。

西野薬師観音堂

充満寺の飛地境内に建つ観音堂は寛弘年中(1004〜12)阿曾津秀道内室の守護仏を納めて建立。建保年中(1213〜19)泉明寺境内に移されたが、天正年中西野秀方により現在地に移された。延暦年中(782〜806)最澄が薬師如来・十一面観音・十二神像を刻み,安置したと伝える。

1518(永世15)年浅井氏の兵火で焼失、のちに再興された。

外観周辺

   

観音堂外観

      

堂内—仏像は撮影禁止である

    

木造十一面観世音立像

木造伝薬師如来立像 国重要文化財 像高:159.4cm 平安時代の作 ケヤキの一本造 漆箔 古色を呈す 充満寺蔵

阿弥陀の来迎印を結び、薬師如来独特の薬瓶も持たないので、薬師さまでないという人もあり、伝教師如来となっている。両腿をわずかに腕曲させる。

木造十一面観音立像 国重要文化財 像高:166.7cm 平安時代の作 頭部幹部はヒノキ一材からの彫出し 漆箔古色

十二神将

  

参考資料≪仏像:高月町史、日本の仏像、他より引用≫

充満寺

宗派:真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来 開基:大友皇子の子孫宗信法師 もと天台宗 寺山(泉明寺 せんみょうじ)と称した。

1573(天正元)年当地の豪族西野秀方が真宗道場と泉明寺を合して現在地に移建、1677(延宝5)年寺号を改めた。直接の開基とされる由縁である。

 


June 8,2016 瀧山幸伸

西野水道

かつて余呉川は大雨の度に氾濫を起こし、流域の集落に大きな被害をもたらし続けていた。特に、現在の長浜市高月町西野周辺はその集落の高低差ゆえ、氾濫の度に集落は浸水・飢饉に悩まされた。その集落で育った僧の西野恵荘が、これを打開するには琵琶湖に放水路を作らなければならないと考え、1840年(天保11年)7月29日に掘削しはじめた。工事は岩盤の固さ、資金、落石事故などが原因で難工事であったが、1845年(弘化2年)9月1日に完成した。

1950年(昭和25年)に新たな水路が掘られ、1980年(昭和60年)にはその南側に大規模な放水路が完成した。初代の水路は、1984年(昭和59年)に滋賀県指定史跡に指定されている。

   

琵琶湖と竹生島

 


Apr.2010 撮影/文:野崎順次

滋賀県長浜市高月町西野

撮影日: 2010年4月10日

JR高月駅から西に約4キロの水田地帯、西野の集落に向かう。

充満寺の本堂と庫裡が立つ。

開基の年代や沿革は不詳。

本堂と離れて「西野薬師堂」と呼ばれる小さなお堂がある。

十一面観音立像と伝薬師如来立像(ともに重文)が安置され、古くからこの土地の人々の厚い帰依を受け、大切に守られてきた。

当番制で務める世話役に厨子を開けてもらうと威風堂々たる二尊が現われる。

寺伝では、最澄が木之本町の石道寺に滞在の折り、西野の地に足を運ばれて二尊を造り、安置したという。

重文 伝薬師如来像は、薬壺をもたず、両手(後補)は阿弥陀如来の来迎印を結んだ珍しいもの。

重文 十一面観音は、形式化された衣の襞が平安仏の特徴を表わしている。

穏やかな表情、上体は肩幅が広く、胸は隆起し、腹部の肉づきも豊かで重量感に富む。

参考資料

JTBキャンブックス「近江・若狭の古寺と仏像」1994

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