滋賀県長浜市 余呉
Yogo,Nagahama city,Shiga
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March 18, 2023 野崎順次
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琵琶湖の北側に位置し、琵琶湖とは賤ヶ岳(標高422m)で隔てられている。東西1.2キロメートル (0.9km)、南北2.3キロメートル
(1.8km)、周囲6.4キロメートル(6.2km)、面積1.97平方キロメートル、最大水深13.5メートル(14.5m、13.0m)、平均水深7.4メートル。総貯水量1470万立方メートル。水面の標高は133メートル
(132.8m)
で、琵琶湖よりおよそ50メートル(約47.0m)高い位置にある。琵琶湖と同じ断層湖で、形成は約100-200万年前と見られ、古い琵琶湖の一部であったものが約3万年前に分かれたとされる。
(ウィキペディア「余呉湖」)
若い頃から「神秘の湖」として強い憧れがあったが、駅から降りて、湖畔をたどるのはこれが初めてである。湖畔を一周する遊歩道があり、また、サイクリングロードもあるようだ。余呉駅で電動アシスト自転車をレンタルしていってみたが、遊歩道は湖岸沿いの未舗装の狭い路(1~2m幅)で自転車では不安がある。といって、サイクリングロードがよく分からない。近くに人もいない。というわけで3分の1周くらいでやめた。静かな寂しい湖だった。後で余呉湖線(532号線)という1周舗装道路があることが分かったが、もう少し積極的に道案内があってもよいと思う。
パンフレット、湖を1周する道があるが、遊歩道かサイクリング用かよく分からない。
余呉駅からもよく見える。
余呉導水路から江土閘門ゲート、菜の花が咲いていたが、桜は未だ。
北東から西に湖を回る。北西のビジターセンターと村落の間は高台になっている。
西岸から見た余呉湖
余呉湖の西、川並の集落
June.26.2017 中山辰夫
余呉湖アジサイ園
訪れた日は梅雨の合間の曇天日、湖は静寂そのものでした。別名「鏡湖—きょうこ」と呼ばれる美しい姿である。
アジサイ園は余呉湖入口から約2㎞離れた畔沿いに植えられている
アジサイ園−開花までにはもう少し日数が必要。 アジサイは約600mにわたって湖辺をかざる。
琵琶湖の北側に位置する余呉湖で、湖畔に群生する約1万本のアジサイが例年6月下旬から7月上旬にかけて見頃を迎えます。余呉湖は、別名「鏡湖(きょうこ)」と呼ばれる美しい湖で、約600mに渡って咲き誇るアジサイの風景を堪能できます。天女の羽衣や龍神・菊石姫の伝説が残る神秘の湖としても知られます。
菅並集落
Suganami
六所神社と東林寺
Rokushojinja and Torinji
摺墨集落
Surusumi
菅並集落
滋賀県長浜市余呉
撮影:2015年7月
Jan.24.2015中山辰夫
平成27年1月の余呉湖の景色です。
1月の余呉では珍しい晴れ間の見える朝でした。
JR余呉駅から見た周辺の景色
鴨の乱舞 その他野鳥が多く訪れている。
冬の風物詩・・・『わかさぎ釣り』 早朝から釣人が押し寄せる。釣りは2か所の桟橋で行う。余呉湖では稚魚を放流して養殖しています。
今年のわかさぎは小型で漁がすくなかったと聞く。寒さに震えながらの釣り、好きでないととてもできない。
余呉湖周辺で、一際目立つ山は横山岳(1132m)。横山岳は木之元地区と余呉地区の境にある北近江の最奥に位置する山の一つ。
尾根からの眺望は素晴らしく、北近江の山々に囲まれた余呉湖や、その奥に広がる琵琶湖が望め、さらに天気のよい日には琵琶湖大橋も望むことができる。
素晴らしい眺望 (長浜市HP)
積雪の少ない冬の余呉湖昨年・一昨年は雪が多かったが、今年は少ない年に当たるとされる。余呉=豪雪地帯のイメージがかわりつつあるようだ。
訪れた1月21日は数日前に降った雪がわずか残っているだけであった。
余呉湖周囲、約7㎞を、2時間ほどで散策した。
JR余呉湖付近から見た全景
賤ケ岳(標高:約422m)にも雪は少ない
川並地区付近
横山岳
標高1132m 美しい「経の滝」「五銚子の滝」などの渓流やブナの自然林、山頂からの琵琶湖の眺望など多彩である。
余呉湖の冬の風物詩「ワカサギ釣り」
屈指のワカサギ釣りノポイント。毎年12月〜3月末頃まで多くの太公望が釣糸を垂らして賑わう。
鏡湖と称される余呉湖の水面
賤ヶ岳を一つ隔てた琵琶湖の北にある。面積約1.8Km2,周囲約6.4km、水深13m、琵琶湖との水面落差が49m近くある。
古くは、琵琶湖を大江(おえ)、余呉湖を伊香(いか)の小江と称し、天女の羽衣や龍神・菊石姫の伝説が残る神秘の湖。別名「鏡湖」とも呼ばれる。
白鳥に姿を変えて水浴びを楽しんでいた8人の天女の姉妹のうち、伊香刀美(いかとみ)に羽衣を取られた末妹だけが天に帰れなくなり、夫婦となって
2男2女をもうけたという物語。また羽衣を取ったのは桐畑太夫で、菅原道真がその子であると伝える話もある。
風紋
水鳥の造形
その他
桜並木が続き、4月は美観である。
余呉湖
長浜市余呉町名実ともに余呉町のシンボルである。
町の南端に位置し、東、南、西の三方を山が取囲む。南方に聳える賎ケ岳により、琵琶湖とは隔てられている。もともとは、柳瀬断層の働きによって出来た陥没湖で、周囲の山々の渓流や伏流水が流れ込むだけの閉鎖湖である。東西1.2km、南北2.3km、周囲約6.4km、面積1.97平方km、平均水深7.4m。海抜132.8mで、琵琶湖より約50m高い。
湖面がおだやかで鏡のようであるため、鏡湖(きょうこ)とも呼ばれてきた。また、羽衣伝説や菊石姫伝説を生んだ神秘の湖でもある。 JR余呉駅からスタート。 はごろも市は余呉近隣の農産物の販売所
湖辺の道路を進む。湖はおだやかで動きが感じられない。
釣り人の姿がチラホラ。わかさぎ釣り場。釣り人の今の狙いは鯉
尾の呂が浜と山口誓子の碑
≪秋晴に湖の自噴を想ひみる≫ 現代俳句の巨匠、山口西誓子が余呉湖を訪れた際に詠んだ句で、自筆の碑である。余呉湖には以前から
俳諧を楽しむ人々が多く訪れたことから、平成2年(1990)余呉町が建てた。除幕式には誓子も訪れた。
湖面の穏やかさは続く。“鯉”釣りは待つに始まり、待つに終わる。
国民宿舎余呉湖荘と周辺 アジサイ園も現れる。
斎部路通(いんべろつう)の句碑
湖畔を大菅地先に歩を進めると、句碑に当る。≪鳥共も寝入りてゐるか余呉の海≫ 路通は松尾芭蕉の門下生で、この句は芭蕉も絶賛した。
オオサギの競演
菊石姫と目玉石の碑・他 余呉には伝説が多く伝わる。
川並集落に入る。宿泊施設「余呉ふじとぴあ」
稲刈りが始まった。やはり早めである。
川並集落と余呉型民家 切妻の屋根が兜に似ていることから「カブト造り」とも言われる。
冬場のワカサギ用の釣り場である。ここは広場になっている。
ワカサギ釣りは、11月下旬から3月中旬まで、釣り人で賑わう。トップシーズンはよく冷えこむ1月から2月中旬にかけて、寒ければ
寒いほど釣果があるといわれる。雪の中糸を垂らす釣り人の姿は余呉湖の風物詩である、
JR線も傍を走っているが、余呉駅までには、いま少し歩く。
天女のモニュメント
衣掛柳
天女が舞い降りて水浴をし、その衣を掛けておいたという柳である。その柳に掛けてあった羽衣を桐畑太夫がとったことから、二人は結婚することになり、その子に菅原道真が生まれたという伝説がある。
菅原道真誕生伝説や「桐畑太夫縁起」に、天女が羽衣を掛けた柳として登場するのは、この木と伝えられる。しだれ柳とは別品種の揚柳科のマルバヤナギ(アカメヤナギ)という植物で、中国系の柳ともいう。葉も丸葉である。柳が登場するのは余呉だけで、他は松である。
この衣掛柳のそばに、かつては北野神社があった。明治初年の台風で倒壊、川並集落の山側に移された。
夜泣き石
衣掛柳からJR余呉駅は約700mの距離である。
≪参考≫
日本三大羽衣伝説は美保(静岡県清水市)、丹後(京都府峰山町)、余呉である。
六所神社と東林寺
Rokushojinja and Torinji,Nagahama city,Shiga
長浜市菅並458祭神:伊弉諾尊 大己漬命 大山祇命 菊理姫命 金峰大神 菅原道真公 洞寿院へ行くすぐ手前にある。東光寺とは隣り合わせである。
妙理川に掛かる妙理橋をわたると直ぐに鳥居がある。
創建時代は不明であるが、「延喜式神名帳」の波弥(はみの)神社に比定する説もある。
平安時代、神仏習合の風が盛んだった頃、六つの神宮寺を持ったが、のちに本社に統合したところから、六所大権現の名が起こったという。現在も隣接して東光寺がある。昔丹生川に大蛇が住んで害をなしたが、七ケ郷(菅並・針川・尾羽梨・鷲見・奥川並・田戸・小原9の里人が六所神社に祈りを捧げると、熊野山の山伏と名乗る6人がやって来て大蛇を退治し、ただちに姿を消したという伝説が残る。
本殿・境内建物拝殿
入母屋造 間口二間 奥行二間
拝殿と本殿
中門
本殿
一間社流造 間口一間 奥行一間 覇屋あり
東林寺(とうりんじ)
Torinji
長浜市余呉菅並重要文化財:観世音菩薩像縁起によると、建保4年(1216)に比叡山の僧、泰恒法師が布教のためにこの地を訪れ、「5弁の花の中にある如く
中国の五台山の霊場にも似た清浄の地である」と讃えられた。
そして、村人等と寺院を建立、大悲の観音像も安置して、千花山東林寺と名づけられた。以来、東林寺は六所神社
とともに地域の氏寺、氏仏として崇敬されてきた。
境内
本堂
観世音菩薩像 秘仏 非公開
泰恒法師が自ら刻まれた像とされ、像高172cmのヒノキの一木造り。素地のまま仕上げられた。
像背面に墨書があり、建保4年(1216)に制作されたことがわかる。
滋賀県長浜市 洞寿院
Tojuin ,Nagahama city,Shiga
長浜市余呉町菅並492宗派:曹洞宗
本尊:釈迦三尊国指定文化財:木造観音立像訪れる洞寿院は滋賀の最北端にある。
高時川(丹生川)沿いに遡った菅並集落から、さらに、その支流・妙理川に沿って少し上がったところ。まさに湖北のドンつきである。
その奥にひっそりと佇む曹洞宗の寺院 湖北の寺では最北端に位置する。この地域は厳寒・豪雪の地域として有名
建ち並ぶ屋根の形が冬場の豪雪を思わせ、他にもそれらしい佇まいが随所に見られる。
平成23年1月の降雪 (洞寿院および付近)
高時川(丹生川)の支流・妙理川の橋を渡り、山裾の道を少し辿るとお寺にいたる。
応永10年(1403)信濃上田城(現長野上田市)城主海野氏次男の如仲天闇禅師(にょちゅうてんぎんぜんし)が開山となり祝山(ほりやま 現西浅井町)の洞春庵(とうしゅんあん)を創建。応永13年(1406)に当地が中国の五台山に似た勝地として移建。
白山妙理権現より塩泉を施され塩谷山洞寿院と号したと、洞寿という名の由来は、遷洞長寿「幽仙に移って長生きする」からと伝える。
安土桃山時代には朱印寺となるなど格式の高い禅寺で、慶長10年(1605)、徳川秀忠からご朱印地として30石の領地と葵の紋章を寺紋とすることが許された。また、天明8年(1788)、住職が京都霊鑑寺の戒師を勤めて以来、宮家の尊崇を受け、菊のご紋賞を本堂につけることが許された。
其の後、寛永・寛文と火災を被りその都度再建を重ねてきた。さらに嘉永3年(1850)にも、山門・鐘楼・鎮座堂を除くすべてを焼失し、現在の伽藍はほとんどそれ以降に建てられたもの。
早創以来の近江における曹洞宗の中心としての位置はゆるぎなく、今に続いている。樹齢数百年の杉の巨木の間に建つ山門が神秘的であり、また紅葉で彩られた境内や、雪で覆われた境内も見事な情景といわれる。
今は、信仰の場としては勿論、子どもたちの研修の場として地域住民に親しまれ、大切にされている。
延喜式神名帳「波弥神社」に比定される六所神社本殿及び東林寺に隣接している。
山門
境内の入口に建ち、桁裄4m近くあって、四脚門としてやや大型に属す。
四脚門 切妻造 銅板葺 左右袖塀(潜戸付) 18世紀中期
親柱は円、控柱を角として冠木・桁裄大梁・棟木と重ねる棟通の処理も規格通りで、すべて正統的に造られている。
本堂
文久3年(1863)の再建
大屋根の本堂でずっしりと構えている。実に均整の取れた大きく優美な造りはまさに禅宗にふさわしく、「湖北の大屋根」とも言われる。
右側に一列通りを加えて八室構成し、桁裄寸法23mにも及ぶ。
本堂内は撮影禁止。大型の彫刻が縦横に掘り込まれている。
本堂内部
本尊の釈迦三尊をはじめ、大日如来、開山の如仲天闇禅師などが祀られている。
内部は撮影禁止。建具には大型の彫刻が縦横に掘り込まれている。
研修道場 座禅道場
本堂と渡廊でつなぐ衆寮は、軒を出梁・出桁で指し出す特異な構造を持ち嘉永6年(1853)の建造になる。
但し現在は立て直されている。
庫裏
鐘楼
大木
洞寿院図
年代不明 山深い仙境の地、昔からの禅寺の香りが、今も清らかに漂っている。
木造観音菩薩立像
国重要文化財
建保4年(12169銘がある。開山如仲天闇禅師が持ってこられたと伝わる。穏やかな表情ながらも凛と立つ観音さま
徳川家との関わり
今からさかのぼること約400年。慶長10年(1605年)、洞寿院13世松巌梵梁禅師に、徳川二代将軍秀忠より、御朱印地として三十石の領地と徳川家の葵の紋章を寺紋とすることを許された。
その経緯は、洞寿院を開山した如仲天誾禅師(にょちゅうてんぎんぜんし)が静岡県袋井市久能に東陽庵を開いた。
東陽庵十一世のとき、徳川家康が敵に追われてこの寺に逃げ込んだ。
かくまわれるうちに、敵が在ることも忘れてぐっすり睡ってしまったが、それにより難を逃れることができた。
家康が、その後岡崎城主になると、この寺を命の恩人寺とし、寺名を可睡寺と改め、十万石の扶助を与え、三・遠・駿・東海三地方曹洞宗三千余箇寺の元締めとした。
またこの寺の開山が近江洞寿院の出であることを知ると、洞寿院にも三十石の寺領と葵の紋章をゆるされたのである。
以来洞寿院は徳川家代々の尊牌を奉拝している。(余呉町教育委員会発行の「余呉三山」より抜粋(※一部表現を変えています)
余呉町にあるお寺洞寿院、菅山寺、全長寺を総称して「余呉三山」と呼ばれ、どのお寺も余呉の歩みとともに欠かせなかったお寺。豪雪地帯ではあるが、北国街道ができるまでは、古い道(県道285線)は越前(現、福井県中・北部)・近江・美濃を繋ぐ重要ルートであったとされ、物流の要地であった。そのため早くから北陸や畿内の文化が流入していた。
洞寿院などの曹洞宗の名刹や、華麗な茶わん祭りで知られる丹生(にう)神社などの存在や茶碗祭の曳山の高価な水引幕や見送り幕、舞楽の衣装などは、当地域の往古の繁栄を物語っている。
茶わん祭
余呉町上丹生 丹生神社の大祭 「上丹生の曳山茶碗祭」として滋賀県無形民俗文化財に指定
丹生神社近くで陶土が採れ、その地の末遠氏(すえとお)が陶器を焼いて神社に奉納したのが始まりとされる。
陶磁器などの飾りをつけた3基の山車を丹生神社まで曳行する。曳山は山にある藤蔓でつくった縄を使った組立て式で、上部後部には神の依代(よりしろ)であるマツの木を立て、その前に人形や陶器を用いて、高さ5〜6mの飾りつけを行い、山車を入れると10mのも及ぶ。
3基それぞれの工匠が工夫を凝らし、支えを外した瞬間に、曳山の上で微妙のバランスで山飾りが揺れる様が最高の見せ場とされる。
中世の様式をそのまま残した貴重な形態の祭礼とされ、県内最古の奇祭といわれる。
祭りの様子は「茶わん祭館」で常時展示されており、「茶わん館」は洞寿院へ行く途中にある。
Yogoko
Nov. 2006 瀧山幸伸 source movie
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