滋賀県大津市 生源寺 (含む 市殿神社・百枝社)
Shogenji,Otsu city,Shiga
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June 2011 中山辰夫
大津市坂本町6-1871
天台宗
本尊:十一面観世音菩薩(慈覚大師作の観音菩薩)
京阪坂本駅のすぐ北側、延暦寺の総鎮守日吉大社の大鳥居前にある。
延暦寺の末寺で、延暦年間(782〜806)の開基とされる。
生源寺は西塔の総里坊格の寺で、近世には一山の寺務を総括した重要な里坊であった。叡山文庫に多くの記録が残る。
寺の境内は、天台宗の開祖最澄の父、三津首百枝(みつのおびとももえ)の居館跡といわれる。
山門は日吉大社に通じる参道に面して建ち、その傍らに「開山伝教大師御誕生地」の碑がある。
最澄が神護景雲元年(767〜822)にこの地に生まれ、後に一宇を建立し、生源寺と号したと伝える。
寺では最澄の誕生した日を8月18日とし、盛大な誕生会を行っている。
本堂は、文禄4年(1595)に詮舜(せんしゅん)によって再建され、さらに宝永7年(1710)に改築されたもの。
境内には、本堂・庫裏・観音堂などがあり静かな佇まいをみせる。
鐘楼
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、直前にこの鐘がゆかれ急を知らせたといわれる。
右手の大きな古木の下の一隅に"最澄産湯の井“といわれる旧跡がある。
誕生地や誕生年には異説があるが、父は百枝(ももえ)、母は藤子で、近くに祀られている。
毎年8月18日には盛大な誕生会が行われる。
供養石仏
鐘堂とイチョウの大木
イチョウの原産地は中国とされる。古くからわが国に渡来し植えられてきた。
古木には乳といわれる大きな気根が垂れるのも特徴ある姿である。
栄養の高そうな種子であるギンナンの色とつやは、生けるものの誕生を祝福するイメージに繋がるように感じられ。
最澄誕生伝説に彩られた“生源寺”にふさわしい樹といえる。
寺宝
絹本著色山王本地仏像が所蔵されている。
十一面観音立像(参考) 本尊である。(引用) 木造一木造 像高:122cm 平安時代
頭上の菩薩面は正面、左右、後頭部にそれぞれ菩薩相、憤怒相、牙上出相、暴悪大笑相を3、3、3、1面ずつ間に空間を取ってわけるようにしてあらわされている。
阿弥陀如来坐像 (引用) 木造一木割矧造 像高:73.7cm 平安時代後期
頬にはやわらかな肉付きを表し、目鼻立ちはやや顔の中央に寄り気味で、堂顔の丸顔に表されている。
生源寺の隣が大将軍社で、その横の道沿いに市殿神社があり、その先に百枝社がある。西教寺に続く道である。
少し歩くと進行方向右側に道路に面して建つ。
市殿神社
伝教大師の母君を祀る。
日本の人物神社として、最古の平安初期に比叡山に建てられたが、後に当社に祀られるようになった。
この道は、坂本らしい景観(住居・里坊・石垣)に恵まれており、ただ歩くだけでも思い出が残る所といえる。
百枝社
伝教大師の父君、三津首百枝(みつのおびとももえ)公を祀る
日吉茶園
大津市坂本三丁目
京阪電車石坂線坂本駅下車、すぐ横にある。参道をはさんで生源寺がある。
延暦寺を開いた最澄が、唐から持ち帰った茶種を植えたのに始まる日本最古の茶園と伝えられ、園内には由来碑がある。撰文は滋賀県知事堀田義次郎で、大正10年(1921)に建立された。
日本での喫茶の記録として、「日本後記」に、弘仁6年(815)嵯峨天皇が滋賀韓崎(からさき 唐崎)に行幸した際、梵釈寺で大僧都永忠が茶を煎じて天皇に献じたことが記されている。
永忠は35年に及ぶ在唐の経験があり、当時の唐におけるお茶の風習を身に付けていたと思われる。
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