滋賀県大津市 建部大社
Tatebetaisha,Otsu city,Shiga
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Aug.2016 酒井英樹
建部大社は社伝によると景行天皇46年(316)に日本武尊を祀ったのが始まりとされる。
白鳳4年に近江国瀬田の地に遷し祀られた。古来より「瀬田の唐橋」は交通の要所とされ
数多くの戦火に見舞われて、現在の社殿は(1816)に造営された。
<本殿>
<権殿>
<石灯籠>
鎌倉時代[文永7年(1270)]
船幸祭
<船渡御>
<花火>
Aug.2011 中山辰夫
「船幸祭」
大津三大祭の一つ、建部大社の「船幸祭」が8月17日に行われ、御輿を乗せた御座船が瀬田川の川面をゆっくりと往復しました。
午後4時からの神事に続き、氏子の男たち、女性、子どもが担ぐ御輿4基が建部大社から瀬田の唐橋まで担ぎ運ばれ、2隻の御座船に乗せられ、唐橋をくぐって川を下り、4km下流の瀬田川洗堰手前の御旅所で神事が行われました。
船が唐橋まで戻ってきた8時頃には花火が次々と打上げられ、その中、御輿は陸に揚げられ、唐橋一帯を往来して大社に戻りました。
船幸祭は、建部大社の祭神である日本武尊が船団を率いて東征したといういわれにちなんで行われています。大正4年(1915)に大正天皇の即位を祝う御大典の記念行事として再興された由。唐橋を真っ赤に染める夏の風物詩、規模は縮小気味だが続けて欲しい。
夏の暑さに負けて夏の祭典参加はすべて来年へ持ち越しました。でも来年行ける保証は何もない・・。やはり“今”しかない?!
大津市神領町1丁目16−1
祭神:日本武尊
祭礼:4月15日
解説「滋賀県教育委員会発行資料」
アプローチ
建部大社のある一帯の地「神領」は橋本の東にあって、北に東海道が通る。大社の神料田であったことから地名が起こったとされる。近江国府に含まれていたと推定され、その関連遺跡が多い。
瀬田の唐橋から東へ500mほど行くと第一の鳥居がある。周囲は住宅に囲まれているが、昔から近江一の宮として知られ長い歴史と由緒ある大社である。参道の両側に並ぶ灯籠の列は見事である。
松の木の多い境内地は一万坪、境外地は二万坪と広域で、一の鳥居、二の鳥居をくぐって境内にいたる。
神門
明治2年(1869)膳所城城門の一つを移して神門とするが、昭和9年(1934)の台風で倒壊。その後再建された。
手水舎
拝殿と廻廊
間口三間ニ尺 奥行三間ニ尺 入母屋造
享保9年(1724)に本殿と共に再建された。廻廊は最近になって加えられた。
中門(透かし門)
本殿「日本武尊(やまとたけるのみこと・おおなむちのみこと)」
本殿
一間社流造 間口一間一尺 奥行一間
本殿の彫刻による装飾
宝物殿
境内舎
女神像
国重要文化財
瀬田唐橋に近いため度々の戦乱で焼けた。従い古神宝は残っていない。平安時代の女神像のみ残った。
女神:約31cm1体と少女:約20cmと13.5cmの2体、小さいゆえに難をまぬがれたか。
素朴でおおらかな像である。
神像:「湖都大津社寺の名宝よr引用」
石塔籠
国重要文化財
総高:2.18m 宝珠から基礎に至るまで造立当初の姿がほほ完全に残る。文永7年(1270)の銘がある。
日本銀行兌換券 甲千円券に採用される。
通称:日本武尊千円
発行日:昭和20年(1945)8月17日 サイズ:縦100m×横172mm
太平洋戦争の始まる直前、非常時に備えて高額券を準備しておくこととし、この千円券が製造された。
表面の人物肖像は明治20年7月の閣議決定で選ばれた7人の歴史上の人物(日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・菅原道真・坂上田村麻呂)の中から日本武尊が初めて採用され、武尊を祭神とする建部神社が選ばれた。すかしは鳳凰模様と瑞雲、それに「1000」の数字が凹凸すきで入っている。
20年8月に市中に登場し、年末には日銀発行高の6%を占めるにいたった。
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