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滋賀県竜王町 龍王寺

Ryuoji,Ryuo town,Shiga

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Mar.2012 中山辰夫

竜王町川守国重要文化財:梵鐘・十二神将立像宗派:天台宗

本尊:薬師如来龍王寺は竜王町川守にある。

バス停川守の東には雪野山が正面に見える。

苗村神社からも北東に見える雪野山(標高309m)はさして高い山ではないが、松林に覆われて南北にのびるなだらかな稜線の美しい山容を見ながら田畑の道を進み、日野川にかかる橋を渡ると、苔むす石垣と寺の屋根が見えてくる。

龍王寺はその山裾にある。

龍王寺は、奈良時代に創建された雪野寺の跡に建つ。古くは「野寺」と称した。

境内に遺構がのこる雪野寺を継承する寺院とされ、寺伝では、平安時代の中頃、一条天皇から竜寿鐘殿の勅額を賜って以来現寺名に改称されたとされる。

文安3年(1446)佐々木六角氏内紛の兵火によりで炎上。承応4年(1655)行海のときに本堂などを建立。文化8年(1811)

文政3年(1820)に改修された鐘楼の梵鐘は重要文化財で、雪野寺から伝わものとされ、説話が残る。

毎年中秋の名月に、喘息病をへちまに封じこめる「へちま加持祈祷」が行われることでも有名である。(今年は9月21日)質素な門をくぐると境内となる。

本堂

本堂内部

本堂の本尊薬師如来は秘仏である。

鐘楼

一条天皇から賜った「龍寿鐘殿」の勅額が掲げられ、鐘を本尊として祀っている。

鐘楼内の四周に歌が掲げられている。藤原定家が「昨日みし花のあたりに夜はふけて、野寺の鐘の声ぞ聞ゆる」と詠んだ歌が印象深い。

梵鐘

国重要文化財

地元の人達から「野寺の鐘」として親しまれている。

高さ1.19m、やや背が高く、すらりとした形で、撞座は竜頭と直角の方向に、しかも高い位置につく。その古風掬すべき名鐘で四段五列の乳はいたって簡素であり、撞座も円圏の中に十五個の粒子を無造作に配して古調を強める。

奈良時代末期の製作とされる。

龍頭は布で覆われている。この布をはずすと大雨が降るから、雨乞い以外は決して龍頭をあらわにしない。

事実、この鐘の重要文化財指定時(昭和50年6月12日指定)、写真撮影のため龍頭の布を解いたところ確かに雨が降ったという。この鐘に残る美女と大蛇の説話に思い合わせると神秘感がただよう。(説話は後述)

元三大師堂

書院・庫裏と宝殿

庫裏面前には美しい老松がしげり、思いのほか美しい境内である。

 

秘仏である。木造観音菩薩立像、木造地蔵菩薩立像とともに平安後期の作

旧暦の8月15日に喘息の「へちま封じ」が執行され、その日に開扉される。

十二神将立像

国重要文化財

左右の脇壇に安置される。鎌倉時代末期の佳作である。

寄木造、玉眼入り、極彩色像 像高:約77cm、十二体それぞれに変化のある姿態が面白く、頭上に十二支獣をあらわす。

竜神伝説

宝亀8年(777)頃、川守村に小野時兼という大和国吉野郡出身の美男がいた。ある日、村にやって来た美女と夫婦になって3年が過ぎた頃、妻は「私はまことは人間ではありません。前世の宿因により妹背(いもせ)の語らいをなしましたが、実は平木沢の主です。これを形見としてください」といって、玉の箱を残して去っていった。時兼は恋慕の情に堪えず、平木沢に行って嘆くと妻は長十丈(約30m)ばかりの大蛇になって現れた。

時兼は驚き帰って、もらった箱を開けてみると、なかから鐘が出てきたので、雪野寺に寄進した。

そして旱魃の年に、この鐘に雨乞いを祈願すると、必ず慈雨の恵みを受けた。

一条天皇(在位986〜1011)はこの事を聞き及び、勅額「龍寿鐘殿」を下賜されたので、雪野寺は寺号を龍王寺に改めた。へちま封じ僧侶が喘息や子どもの咳きとめに効果があるとされる加持祈祷を行い、病をへちまに封じこめる。

信者はこのへちまと光明真言のお札を持ち帰り庭に埋め、四十九日毎朝水を注いで、光明真言を唱えると病気が治るといいこの行事は「へちま封じ」と呼ばれる。

雪野寺跡

滋賀県指定史跡

雪野山南麓に位置する白鳳期創建寺院跡である。龍王寺境内にある。

雪野寺が山の南麓で発掘されたのは昭和10年(1935)で、出土品の中でも有名なものは塑造の童子像首部で、その他にも多くの塑像片が見出された。童子形塑像はあどけない、よい顔をしている。

その時の発掘調査によって、石積基壇等が検出され、礎石建ち瓦葺きの塔跡や講堂跡などの存在が明らかになった。

雪野山古墳

龍王町川守、他(東近江市)雪野山には龍王寺の右隣に鎮座する天神社脇より登る。

ほどなく古墳の案内にであう。龍王寺北古墳群である。

 

雪山古墳へはさらに登って行く。展望台から湖東平野の広がりがみえる。

雪野山古墳は、蒲生野にそびえる独立丘陵の雪野山の頂上(標高約309m)に造られた前方後円墳である。

山の麓には古墳が多く築造されており、白鳳寺院の雪野寺もある。

古墳は、山頂の岩盤部分に造られており、整形が困難だったのか、形の不明瞭な部分もあるが、全長は約70m

後円部径約40m、高さ約4.5mの規模である。

雪野山古墳の主体部は、未盗掘のまま見つかった。埋葬時の全容が分かる事例として大変貴重とされる。

埋葬主体部は、竪穴式石室の中に粘土を敷き(粘土床)、この上に長さが5m程度の高野槙(こうやまき)

の巨木を半裁(はんさい)した木棺を置き、中に遺体と共に多量の副葬品が納められていた。

副葬品には銅鏡の他多数の武器、武具類が含まれています。

  

この古墳の被葬者(ひそうしゃ)は古墳の立地、規模や、副葬品の内容から、大和との密接な繋がりを持った人物と考えられる。

また、刀剣類と銅鏃(どうぞく)の量が著しく多く、被葬者の軍事的な性格も窺うことができる。雪野山古墳の出土資料は、安土町の「安土城考古博物館」の常設コーナーに展示してある。

参考資料≪滋賀県教育委員会発行資料、その他≫

 


Jan.2011中山辰夫

蒲生郡竜王町川守41

天台宗

本尊:薬師如来「秘仏」

苗村神社(既報)の北東に見える雪野山(標高309m)は、南の甲賀市からみるとゴツゴツした山だが、東の蒲生町から見るとなだらかな

稜線をもつ山である。

バス停川守から東へ、田畑の道を進み、日野川にかかる橋を渡ると、苔むす石垣と寺の屋根が見える。

奈良時代に創建された雪野寺の後身である。

梵鐘が国重要文化財で地元の人は「野寺の鐘」として親しまれ、鐘楼内の四周に歌が掲げられている。

藤原定家が「昨日みし花のあたりに夜はあけて野寺の鐘の声そ聞ゆる」と詠んだ歌がある。本尊薬師如来は例年旧暦の8月15日に行われる「へちまのお加持」のときに開扉される。

左右脇段の十二将立像も国重要文化財で、鎌倉時代の作、寄木造、玉眼入り、極彩色、頭上に十二支獣をのせている。

滋賀県教育委員会資料

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