滋賀県竜王町 雪野寺跡
Yukinodera ato,Ryuo town,Shiga
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June 13.2014 中山辰夫
蒲生郡竜王町川守 滋賀県指定史跡 蒲生郡竜王町にある塑像出土で著名な白鳳時代創建の寺院跡である。遺蹟の遺存状態が良く、優れた塑像の発見もあって県史跡に指定されている。 雪野寺跡は、川守集落の北東、雪野山西麓の標高110〜115mに位置する。
苗村神社の北東に見える雪野山は、南の甲賀から見るとゴツゴツした山だが、東の蒲生から見るとなだらかな稜線をもつ山である。
龍王寺山門前はかつて「奈良道」と呼ばれた農道が東西に走っている。この道の東は雪野山の鞍部を越え、西は日野川を渡り、川守・綾戸の集落を経て野洲川に至る。このような古代交通の要衝に位置していた。
その跡地とされる一帯には現在、龍王寺、天神社が祀られている。その寺域の南半分は龍王寺境内となっていて、その鐘楼には恐らく雪野寺に由来する奈良時代の梵鐘(国重要文化財)が吊り下げられている。
〜35(昭和9〜10)年に発掘調査が行われた。
乱石積で方形の塔基壇とその西北で平坦面をなすもう一つの堂跡の存在が確認された。塔基壇は一辺13.6m、建物一辺が遺存した礎石により6.6mであった。
塔心礎は基壇から移動し、龍王寺境内にある石塔の台に転用されている。
1986(昭和61)年の調査で講堂の発見があったが、他の建物遺構、全体の伽藍配置、寺域などの詳細は明らかでない。
雪野寺跡の伽藍
塔、講堂、北西建物が確認されている。北西の建物からは、土師器の灯明皿や須恵器の食器類が出土。僧侶の活動が伺える、 現況
塔跡及び西北堂跡からは、菩薩、神王、童子、女人形等の塑像が集中して出土した。等身大から20cm大の小像まで多種多様である。
他に風鐸6個と白鳳時代の瓦が出土した。
童子形の像で、顔の表情として、沈思瞑想のもの、号泣のものが認められる。
瓦には複弁8葉蓮華文で周縁に面違い鋸歯文を付けた軒丸瓦、重弧文で下端に指頭圧痕をつけたものなどもある。これら瓦から依知秦氏との関係も想定され、渡来人との係わりが存在している。
雪野寺の造営者は、現在の龍宇寺の山号が安吉山(あきさん)であること、また古代の蒲生郡安吉郷に所在することなどから、安吉勝(あきのすぐり)と称した氏族との関係が伺える。勝というのは渡来人に多い姓(かばね)で、この地域に勢力をもったとされる安吉氏が造営した古代寺院とみられる。
■雪野寺跡の意義
奈良道の存在は、東山道という官道以外にも地域を結ぶ交通路のネットがあったこと。
雪野寺跡から南北建物があった。これは僧侶がいたことを示し、本格的な機能を持った寺院であった。
奈良時代の都の瓦が補修用に使われていたことから京都との関係が持たれていた。
寺院存在の背景に渡来人の活躍があった。
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