島根県出雲市 出雲大社
Izumotaisha,Izumo city, Shimane
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出雲市大社町北荒木441-3 旧大社駅本屋 重文 近代/産業・交通・土木 大正 大正13(1924) 木造、建築面積441.23㎡、1階建、桟瓦葺、正面車寄及び背面見張所付、背面改札柵附属 棟札(大正12年12月8日)1枚 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 楼門 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 神饌所(西) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 神饌所(東) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 玉垣 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 1周延長八三間、檜皮葺、北面中央門を含む 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社大神大后神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社神魂御子神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行き一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社神魂伊能知比売神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社門神社本殿(東) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社門神社本殿(西) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 八足門 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 三間一戸八脚門、切妻造、檜皮葺、両側両脇塀附属 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 観祭楼及び廻廊 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) "観祭楼 桁行六間、梁間三間、楼造、入母屋造左右廻廊 各桁行五間、梁間二間、一重、切妻造総檜皮葺" 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 西廻廊 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行十四間、梁間二間、切妻造、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 瑞垣 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 1周延長百十五間、檜皮葺、北面中央門を含む 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社素鵞社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) "桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺" 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社氏神社本殿(北) 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社氏神社本殿(南) 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社釜神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社十九社本殿(東) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 十九間社流造、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 摂社十九社本殿(西) 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 十九間社流造、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 宝庫 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行正面一間、背面二間、切妻造、向拝一間、檜皮葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 会所 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行16.9m、梁間10.2m、一重、入母屋造、正面階隠一間、銅板葺 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社 銅鳥居 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文6(1666) 銅製明神鳥居 20040706
出雲市大社町杵築東195 出雲大社本殿 国宝 近世以前/神社 江戸中期 延享元(1744) 大社造、檜皮葺 内殿1基、棟札1枚 19000407 19520329
所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
指定文化財建造物中心の撮影
出雲大社は,島根県北東部に鎮座する古社である。境内は,国宝本殿を中心として三重に囲繞する垣によって区画され,本殿周囲には摂末社や宝庫が並び,南面中央東寄りに銅鳥居を配し,その南東には会所がある。
これらのうち,銅鳥居は寛文度造営,楼門,八足門,廻廊,観祭楼などは寛文度の建物を延享度造営に際し解体移築したもので,他は延享度の新築とみられる。
出雲大社の社殿は,国宝本殿と同時期に造営された質の高い建築群がほぼ完存し,わが国を代表する神社の一つである出雲大社の建築様式,及びその社頭構成を知る上で欠くことのできない貴重な遺構である。
また,江戸時代中期における大規模な神社造営,整備の歴史について資料を提供するものとしても価値が高い。
(国指定文化財等データベースより)
大鳥居
旧大社町人孔鉄蓋のデザインは日御碕
境内入口の勢溜
下り参道
松の参道付近
会所(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行16.9m、梁間10.2m、一重、入母屋造、正面階隠一間、銅板葺
(国指定文化財等データベースより)
会所は荒垣の外側、参道の東側にある。寛文造営時に今の神コ殿(コは「しめすへん」に「古」)の位置に建てられていましたが、昭和18年(1943)に現在地に移築されたものです。会所は、神職が神事の前に身を清めたり、大名など格別の参詣者への接待や連歌の催しを行ったり、様々な用途に使われていました。
(出雲市ホームページより)
松の参道の奥、銅鳥居の手前から右手(東)に行けば見えてきます。
訪れる人はほとんどいません。
銅鳥居(重要文化財)
寛文6(1666)年の建築
銅製明神鳥居
(国指定文化財等データベースより)
出雲大社の荒垣内、拝殿前の神域を示す銅の鳥居は、毛利輝元の孫の毛利綱広によって寛文6年(1666)に寄進されたもので、毛利藩の鋳物師(いもじ)により長州阿武郡(あぶぐん)(現在の山口県萩市)で鋳造されたものと伝えられています。銅製の鳥居としては、我が国では最も古いものといわれています。
修理に伴って行われた足元の基礎調査により、地表に見える大きな石以外に大小たくさんの石で固められていることが明らかになりました。
(出雲市ホームページより)
八雲山の南に広がる瑞垣内の聖域はおにわと呼ばれています。
八足門(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
三間一戸八脚門、切妻造、檜皮葺、両側両脇塀附属
(国指定文化財等データベースより)
拝殿の北側、本殿の正面の石段を上がると八足門があります。一般の参拝は、正月三が日と特別なことがない限りこの先は行くことができません。
この門は寛文7年(1667)の造営の際に建立され、門内部の鴨居部分上部の蟇股(かえるまた)や欄間(らんま)などには、流水を基調とした中に紅葉や桜、鳥など花鳥風月が散りばめられています。柱には木目の美しいケヤキ材を用いるなど、境内の中でも豊かな装飾を持つ門です。
(出雲市ホームページより)
観祭楼及び廻廊(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
観察楼 桁行六間、梁間三間、楼造、入母屋造
左右廻廊 各桁行五間、梁間二間、一重、切妻造
総檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
八足門の両側に廻廊があり、東側には途中二階建てとなる観祭楼が付きます。観祭楼二階は、畳敷きの部屋が二室あり、朝廷や幕府、藩の要人が南側境内(拝殿西側)にあった舞台を望めるようになっています。そのこともあって、使われている材料は非常に良質です。屋根は入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺で、廻廊も檜皮葺です。
(出雲市ホームページより)
西廻廊(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行十四間、梁間二間、切妻造、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
八足門の左側(西側)に続いていますが、管理用の建物で一部が見えません。
ここから反時計回りに参拝
末社十九社本殿(東、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
十九間社流造、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
瑞垣の外の本殿の左右に相対してこの社があり、それぞれ十九の部屋が連なっています。
旧暦の10月、出雲大社の神在祭の期間に全国の神が宿泊される、出雲大社ならではの珍しいお社である。この期間のみ、全ての扉が開かれています。
修理中に見つかった棟札から文化6年(1809)に建てられたものであることが判明しました。また、多くの部材にモミの木が使われていますが、建材にモミの木が使用されることは珍しく、出雲大社境内でもこの十九社2棟しか見られません。
(出雲市ホームページより)
末社釜社本殿(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
この社には、食物を守る神の宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。
このあたりの北山山地を宇迦山と呼びますが「宇迦」とは穀物を意味する古語といわれており、古代人にとって食物を神聖化する意味も含まれているかもしれません。
釜社も修理中に瑞垣内の建物にしかない材料がたくさん見つかり、延享の修理の際に再利用していることが分かりました。
(出雲市ホームページより)
ここからは瑞垣内(おにわ)の社殿を外から撮影しました。
瑞垣(重要文化財)
延享元(1744)年の建築
1周延長百十五間、檜皮葺、北面中央門を含む
(国指定文化財等データベースより)
瑞垣は一周延長229mあり、「文化五年(1808)」の墨書が発見され、主にスギ材で作られ、風化の見える廻廊の柱に風化の少ない瑞垣の柱が添われています。このことから、瑞垣は文化の造営で建てられたものであることが分りました。
(出雲市ホームページより)
摂社門神社本殿(東、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺
本殿の前に東西に相対して二社あります。これは本殿の門番の役として中に災禍(さいか)・穢(けがれ)が入らないように守る神であり、東には宇治神、西には久多美神が祀られています。
この社殿は、本殿等と異なり縁が廻っておらず、社殿から続く屋根が木階も覆っています。
(出雲市ホームページより)
本殿(国宝)
延享元(1744)年の建築
大社造、檜皮葺
伊勢神宮とともに『日本書紀』や『古事記』に起源説話をもつ古社であって、古来、社殿の高大さをもって名高かった。その高さが異常に高かったことを伝える史料や伝承が少なくなく、特に平安時代中期から鎌倉時代初期に至る二百年間に、七度も倒壊したことが記録によって確かめられるので、不安定な倒れやすい構造であったことは事実のようである。
社殿によると、宝治二年(一二四八)の造営から慶長十四年(一六〇九)の造営までは規模が縮小されたが、つぎの寛文七年(一六六七)の造営のとき面目を一新して、社地を拡張し本殿の位置を少し変えるとともに、本殿の大きさも再び大きくなった。現存する延享元年(一七四四)造営の本殿は、寛文度の規模と形式を踏襲している。
本殿は一辺三丈六尺(約一〇・九メートル)の正方形で床が高く、四周に縁をめぐらす。正面の向かって右の間に板扉を開き、左の間に蔀戸を吊るほかは三方とも板壁であって、扉の前には階段がある。屋根は切妻造、檜皮葺で、破風にゆるい反りがあり、大棟の上に千木と堅魚木をおく。礎石上端から千木の先まで八丈(約二四・二メートル)の高さがあるが、古くはさらに高かった可能性が強い。
殿内中央には特別に太い柱があって、古来この柱は神聖視されてきた。内部はこの柱を通る左右の線で前後に分かれ、内殿が右奥に左を向いて安置されている。
(国指定文化財等データベースより)
玉垣(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
1周延長八三間、檜皮葺、北面中央門を含む
(国指定文化財等データベースより)
本殿を囲む第一の垣根が玉垣です。寛文の造営で建てられたもので、一周延長160mあります。ヒノキ材が使われており、構造等も複雑で丁寧な作り方がなされています。
(出雲市ホームページより)
国宝本殿は非常に大規模な建物なので、瑞垣越しでも十分にその姿を見ることができます。
往年のものよりも規模が小さくなったとはいえ、「おおやしろ」にふさわしい威容です。
今回、瑞垣から相当程度離れた位置から差し上げ撮影を行いました。
東側から
北側から
西側から
神饌所(東、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
楼門をくぐった玉垣内の両脇にある、神様へのお供え物(神饌)を準備するための建物です。そのため、出入口が本殿側(北側)に付いています。寛文の造営で建てられたが、延享の造営時に柱の外側表面を薄く削り、移築されました。境内には、このような建物が会所などいくつか残っています。
東の神饌所の屋根は、檜皮葺の下に割板による下地屋根(土居葺(どいぶき))が施してあり、二重屋根の構造になっています。
(出雲市ホームページより)
楼門(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
本殿の前、八足門との間にあるこの門は、組物を多用し、八足門とともに境内では特徴的な装飾性豊かな建物です。高さ約7.3m。
楼門とは下の部分に屋根のない二階造りの門ですが、寛文7年(1667)の造営遷宮で建てられたものを延享の造営(1744)の際に移築したものと考えられます。
(出雲市ホームページより)
神饌所(西、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
摂社大神大后神社本殿(重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
本殿の東側にある社で、大国主大神のお后である須勢理比売命(すせりひめのみこと)が祀られています。大国主大神の国づくりを助けられた女神です。
(出雲市ホームページより)
摂社神魂伊能知比売神社本殿(重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
御向社の東側に並んでおり、蚶貝比売命(きさがひひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがひひめのみこと)の二柱の神が祀られています。
この二柱の神は大国主大神が兄神たちからひどい扱いを受け、大火傷をされたときに治療をして助けた女神です。
(出雲市ホームページより)
この2社に西側にある摂社神魂御子神社本殿を合わせた3社は、脇宮三社と呼ばれ、すべて形と大きさが同じです。社殿の形式は本殿に似ているが、正面の宇豆柱がなく、御扉、木階、階隠が社殿の中央にあるのが特徴です。いずれも延享元年(1744)の造営で建てられたものです。
(出雲市ホームページより)
摂社素鵞社本殿(重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
地元の多くは「素鵞さん」と親しみを込めて呼んでおり、素盞嗚命が祀られています。天照大御神の弟神で、神話「八岐大蛇退治」で有名な神であります。地元の人によると拝礼後、後ろに回り、社に肩をあてると肩こりが治るといわれています。
延享の造営で建てられた際に、この時に建て替えられた御本殿や御向社、門神社などの寛文造営時に使われていた部材を一部用いています。修理中に、「延享二年(1745)六月」などの造営年月や神門郡の大工が携わっていたことが分かる墨書が見つかっています。
(出雲市ホームページより)
摂社神魂御子神社本殿(重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、階隠 桁行き一間、梁間一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
本殿西側にあり、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)が祀られています。この神は神話伝承では、天照大御神と素盞嗚命(すさのおのみこと)が誓いを立てたときに生まれた神といわれています。福岡県の宗像大社に祀られている神であることから筑紫社といわれています。
(出雲市ホームページより)
摂社門神社本殿(西、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
桁行二間、梁間正面一間、背面二間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
以下は「おにわ」の西側の社殿です。
宝庫(重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行正面一間、背面二間、切妻造、向拝一間、檜皮葺
摂社氏社本殿(北、重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
本殿の西にあり、東面して南北に並ぶ二つの社で、北側には天穂日命(あまのほひのみこと)、南側には国造出雲臣宮向(いずもおみみやむき)を祀る社です。天穂日命は国造家の祖、宮向は天穂日命17世の孫といわれ、初めての出雲姓を賜ったと伝えられています。
修理中、この氏社の屋根から「東側御向」「東門神」と墨書された材料が見つかり、延享造営時に瑞垣内のお社の材料を再利用していることが判明しました。
(出雲市ホームページより)
摂社氏社本殿(南、重要文化財)
寛文7(1667)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重、向拝一間、切妻造、妻入、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
末社十九社本殿(西、重要文化財)
延享元(1744)年の建築
十九間社流造、檜皮葺
(国指定文化財等データベースより)
稲佐の浜
撮影 Oct.16,2011
出雲大社は平成の大遷宮で工事中、本殿も工事用の建屋に覆われていました。
平成25年には本殿の工事は完了しますが、その後も工事は続き、平成28年で完了するようです。
工事中の出雲大社を記録に残すことも意味があるでしょう。
一畑電鉄大社駅
出雲大社
May. 2006 撮影:瀧山幸伸 source movie
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