静岡県浜松市北区 龍潭寺
Ryotanji,Kitaku,Hamamatsu city,Shizuoka
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Jan.30,2022 瀧山幸伸
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
臨済宗妙心寺派
萬松山 龍潭寺
共保公とは、平安時代から戦国時代までの六百年にわたり当地方を治めた名門井伊氏の元祖。井伊氏は保元の乱で源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では後醍醐天皇皇子、宗良親王を迎え北朝と戦い武勲をなしている。
室町時代、今川氏に仕え「桶狭間の戦い」で戦死をした井伊家22代直盛の戒名をとり龍潭寺と寺号を変えた。戦国時代、24代直政が浜松城主徳川家康に仕え、"井伊の赤鬼"と呼ばれ大活躍、やがて徳川四天王の筆頭となり彦根に出世する。そして、幕末に36代井伊大老直弼が開国の偉業をなしとげるのである。こうした元祖共保公より40代に到る祖霊を祀る菩提寺として歴代当主に深く帰依されて来たのが龍潭寺である。
当寺の歴史は古く、天平5年(733)に行基菩薩によって開創されたと伝わる。禅宗となったのは室町時代末期、20代直平が帰依された黙宗瑞淵和尚を開山として迎えてからである。後の遠州地方の臨済宗妙心寺派の法源となった。一万余坪の境内には江戸時代に建立された県指定文化財の本堂、開山堂、総門、庫裏、霊屋などの貴重な建物が立ち並び、国指定名勝、小堀遠州作「龍潭寺庭園」が四季折々の風光と調和しながら、悠久たる「井の国」の歴史と文化と信仰を今日に伝えている。
(本寺ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
東門
県文 庫裏 玄関
県文 本堂外部
県文 本堂内部、丈六釈迦牟尼仏
うぐいす張りの廊下、須弥壇
井伊家歴代御位牌
井伊直虎像、懸魚など
国名勝 龍潭寺庭園 江戸時代初期 池泉鑑賞式
今本庭を一覧すると、本庭の全面積は約四百十坪ほどあって、本堂書院の後ろ庭に当たり、背後に築山を設け、下部に細長い池庭を作り、池泉鑑賞式の庭となっていて、築山は五つの築山を設け、池泉東部に板橋を架け、築山と築山の間に三つの渓谷を作り、これに枯滝三ヶ所を設けてあって、その作庭が京都の妙法院御座ノ間庭園や、智積院庭園、または近江の志賀院庭園や豊川稲荷妙厳寺庭園などと類型であり、これらの諸庭園が明暦から寛文、延宝期の池庭であって、本庭が延宝四年本寺諸堂の落慶と共に作庭されたであろうことをよく語っている。
本庭は前述のように、東西に細長い池庭を設け、築山には三ヶ所に枯滝を組み、護岸の石組と共になかなか豪華であり、石組の技術もこの時代の典型手法となり、まことに立派な庭園である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」龍潭寺庭園より)
本堂裏から見る。
書院から見る。
県文 開山堂
県文 稲荷堂
本堂正面の補陀落の庭
境内を奥へ
六地蔵
井伊家家臣と歴代住職の墓所
井伊家の墓所
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
宗派:臨済宗妙心寺派
本尊:虚空蔵大菩薩
宗貞新王・井伊家菩提寺
国指定名勝:龍潭寺
風光明媚な奥浜名湖その北に位置し、豊かな自然、緑と花に抱かれた町、浜松市井伊谷、そこに龍潭寺がある。
一万余坪の境内には江戸時代に建立された県指定文化財の本堂、開山堂、総門、庫裏、霊屋などの貴重な建物が立ち並び
国指定名勝、小堀遠州作「龍潭寺庭園」が四季折々の風光と調和しながら、悠久たる「井の国」の歴史と文化と信仰を伝える。
当寺の歴史は古く、奈良時代の733年行基の開祖と寺伝にある。
当寺のある井伊谷地域は、古くは「井の国の大王」が聖水祭祀をつとめた「井の国」の中心で、縄文・弥生の遺跡や古墳も多く、水にまつわる伝説も多い。
井伊家の元祖は井伊共保。奈良時代に生まれ、平安時代から戦国時代までの六百年に亘り当地を治めた。
井伊氏は保元の乱で源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では後醍醐天皇皇子、宗良親王を迎え北朝と戦い武勲をなしている。
井伊家二十四代 井伊直政公像「引用 パンフレット」
15歳の時浜松城で徳川家康に仕える。関ヶ原合戦で武勲をたて彦根に移る。家康の信任厚く彦根藩江戸時代産百年の基礎を築いた。
こうした元祖共保公より千年余り、四十代に到る祖霊を祀る菩提寺として歴代当主に深く帰依されて来たのが龍潭寺である。
龍潭寺は千年余り、元祖共保公より四十代に至る祖霊を祀る井伊氏の菩提寺として、彦根の龍潭寺と共にその歴史を今日に伝えている。
禅宗となったのは室町時代末期、二十代井伊直平が帰依された黙宗瑞淵和尚を開山として迎えてから。後の遠州地方の臨済宗妙心寺派の法源となった。
山門
参道に蘆を踏み入れると白土塀の奥に四脚門の総門が見える。七世喝厳和尚が1656(明暦2)年の建立されたもの。巴瓦は室町期の古瓦である
仁王門
本堂の真南、御寺全体の正面の位置に建つ。1987(昭和62)年、清山和尚代に建立される。
「なぎのき」
鐘楼と東門
東門は元鐘付堂で、古くなったものを改修してこの場に置かれ、「東門」と称されている。
庫裏
静岡県指定文化財
城郭造りを偲ばせる石垣、階段を上り詰めると正面に禅寺特有の美しい大唐破風の庫裏が建つ。
十四世仲山和尚代の1815(文化12)年建立で、間口9間、奥行14間の堂々たる近世の代表的建物である。
城六の釈迦牟尼仏
恙(つつが)なしの彫刻 伝左甚五郎作品
本堂
1676(延宝4)年再建。本堂内の廊下は左甚五郎作の鴬張りとして有名。庭園を見る。
萬松稲荷
祖山和尚代の1742(享保1)年に稲荷大明神が建立され、1796(寛政8)年には十四世仲山和尚代が稲荷堂を建立した。
開山堂
1702(元禄15)年八世徹叟和尚が建立。本堂西に朱塗利の楼閣造りの開山堂を望む。開山黙宗瑞淵和尚を祀る。
塔上に井伊氏の家紋橘、彦根井筒「井桁」を見る。
井伊家霊屋
庭園
国指定名勝
滋賀県彦根市
井伊家発祥の地遠州井伊谷の菩提寺を移し、1617(元和3)年に諸堂が完成した。方丈・庫裏等の主な材木は遠州からはこび、山門は佐和山の城門を当てた。
A camera
東門
庫裏
本堂
庭園
開山堂
井伊家霊屋
稲荷堂
B camera
遠江国守井伊氏が戦国時代中期まで当地方を治めた時の菩提寺。二十四代井伊直政の時、井伊谷より彦根に移るまで続いた。室町時代末期臨済宗に改宗した。
一万坪の境内に、県指定文化財の本堂を始め、開山堂、山門、庫裡など江戸時代の建物があり、小堀遠州作の庭園は国の名勝に指定されている。
京都でせわしく禅宗寺院と庭園を鑑賞するよりも、当地で静かに禅の悟りをひらくほうが効果的ではなかろうか。
引佐町井伊谷1989
仁王門
本堂
左甚五郎の龍
庭園
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