Japan Geographic

看板考 柚原君子


 「遺族の家」 
 
  

所在地:中山道 滋賀県彦根市 鳥居本宿内

中山道を歩いていたら、古い家の玄関に、菊の紋章を頂いた「遺族の家」のプレートが、これまた古いNHKのプレートの下に止められていました。

プレートは1939年から1945年までの6年間にあった第二次世界大戦において、戦死をされた兵士を出した家に掲げられたものです。当時の戦死者は「軍神」または「英雄の霊位」として称えられていましたので、英霊を出した誉れ高き家に哀悼の意も込めて国はこのように形を示しました。 地域によっては「誉れの家」というプレートも有ったそうで、日本のために戦うことになんの疑問もない時代だったのでしょうね。

私の父は17歳で志願兵として海軍に入り、通信部門を受け持ち、「戦艦○○」に乗っていましたが、終戦後に無事に外地より帰還しています。しかし、父の兄二人はガダルカナル諸島で戦死しているので「遺族の家」でした。 当時、私の祖母は農業と共に女工さんを抱える機織屋を経営していたのですが、どのような事情であったかは不明ですが倒産しています。税務署が来たときに、「税金を払って欲しければ戦争で死んだ息子二人を帰せ!」と祖母は塩壺ごと税務署員にぶん投げた、という逸話が残っています。

プレートを見て、このような話を語り継げる人も少なくなっているんだろうなぁ、とカメラに収めました。

 


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