東京都文京区 旧磯野家住宅
Kyu Isonoke,Bunkyo,Tokyo
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文京区小石川5-19-4 旧磯野家住宅 主屋 重文 近代/住居 大正 大正元(1912) 木造、建築面積547.08平方メートル、一部3階建、銅板葺 20051227
文京区小石川5-19-4 旧磯野家住宅 表門 重文 近代/住居 大正 大正2(1913) 四脚門、切妻造、南北屋根塀及び脇門附属、銅板葺 20051227
Feb.6,2026 瀧山幸伸 source movie
東京都文京区小石川五丁目19番4号
旧磯野家住宅 二棟
主屋、表門、土地
旧磯野家住宅
1912
木造、建築面積547.08平方メートル、一部3階建、銅板葺
表門
1913
四脚門、切妻造、南北屋根塀及び脇門附属、銅板葺
旧磯野家住宅は,実業家の磯野敬が建設した住宅である。主屋は明治42年着工,大正元年竣工で,車寄を備えた平屋建の書院棟,3階建の応接棟,平屋建の旧台所棟などからなる。屋根は銅板葺で,外壁にも銅板を張る。
材料は,国産の吟味された良材をふんだんに使用している。棚,天井,建具,欄間などの造作や意匠,狂いのない塗壁に熟達した木造建築技術の一端が窺われる。
表門は大正2年に竣工で,尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門である。
磯野家住宅は,東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築のひとつであり、材料・意匠・技法・構成において伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築の作品として高い価値がある。
旧磯野家住宅は、東京の山の手の台地に入り込む谷戸の縁の上に建つ。実業家磯野敬(一八六八~一九二六)が建設した住宅で、磯野は建築趣味を有していたようで、晩年の大正一一年には、東京帝国大学建築学科の聴講生となり、野田俊彦の紹介により、建築学会准員にもなっている。
磯野敬自身が『建築工藝叢誌』(第一期第二四冊 大正三年一月)に寄せた「私の新宅」によれば、主屋は明治四二年着工、大正元年竣工で、表門は大正二年に竣工している。関東大震災後、新潟の石油王中野家が譲り受け、昭和二一年には大谷哲平が入手し、現在は財団法人大谷美術館の所有となっている。
主屋は、北と東に庭園を臨む東西棟、入母屋造銅板葺、木造平屋建の書院棟を東西に延ばし、西面にエンタシス状の脹らみを付けた角柱に支持された入母屋造銅板葺の車寄を突出する。書院棟の西寄り北側には南北棟、入母屋造銅板葺、木造三階建の応接棟を立ち上げ、その北方に南北棟、切妻造銅板葺、木造平屋建の旧台所棟を続け、外壁には銅板を張る。更にその北方には東西棟、切妻造鉄板葺、木造平屋建の北棟を北側石積擁壁上に建てる。
主屋の平面は、車寄玄関を入った右手に床付きの八畳と八畳の仏間二室を東西に並べ、一間幅の畳廊下と一間幅の押入列を挟んだ東方に十二畳、押入列、十二畳、床・棚・付書院を備えた十二畳半の座敷を並べる。この書院棟座敷部の北面及び東面には一間幅の畳廊下と濡縁、南面には板廊下を廻し、座敷部南面両端に便所を突き出す。車寄玄関の左手には内玄関を配し、上がり口突き当たりに階段を設ける。階段の北側は八畳で、西面と北面に板廊下を廻し、東面には座敷部北面の畳廊下と濡縁を矩折れにつなげる。応接棟二階は三畳大の畳床を備えた十二畳半の座敷、三階は二畳大の上段床を備えた十畳の座敷で、西に富士山を望む。
使用木材は国産材とされ、書院棟十二畳半座敷の桑材など、吟味された良材がふんだんに使用されている。棚、天井、建具、欄間などの造作や意匠、狂いのない塗壁の仕上がりに熟達した木造建築技術の一端が窺われ貴重である。また、二重天井や鉄金具を多用した独創的な構法技術も注目される。天井を例にみると、玄関車寄は折上鏡天井、書院棟座敷部西方の一二畳は棹縁天井、東方の十二畳と十二畳半は格天井、畳廊下は棹縁天井、八畳仏間は棹縁・格・鏡で構成された斬新で独特の天井になる。応接棟内玄関も独特の割付になる格天井、階段前の三畳間は吹寄せの棹縁天井、八畳間は棹縁天井で、旧台所棟の応接間は格天井、浴室は折上格天井とし、北棟の六畳二室は折上格天井とする。応接棟二階の十二畳半は格天井、三階の十二畳は鏡天井で、上段床は折上鏡天井である。
表門は、屋敷地の北西隅に位置し、南北棟で建つ。尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門で、両側に脇門風の屋根塀を従え、北方に離れて塀重門形式の脇門を開く。屋根は棟両端に鴟尾を上げた切妻造銅板葺で、前後両面に唐破風風の緩やかなカーブを付け、化粧屋根裏は桁を設けず、杉丸太を密に並べる特異な構法をとる。
旧磯野家住宅は、東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築のひとつであり、材料・意匠・技法・構成において伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築の作品として価値が高い。屋敷地は一部が失われているが、表門から主屋に至るアプローチや庭園の主要部は良好に残されており、宅地もあわせて保存を図る。
【参考文献】
『銅御殿』(大谷利勝編 一九八八年)
(文化財データベース)
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