JAPAN GEOGRAPHIC

東京都文京区 六義園

Rikugien, Bunkyo,Tokyo

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しだれ桜
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Dec.19,2017 瀧山幸伸 source movie

           

六義園八十八境を巡る

Rikugien 88 landscapes

出展 『六義園記』

1.遊藝門 (ゆきのもん)

 現存せず。現在の本郷通りに面していた門。論語と朱子の言葉から。

    

2.見山石 (やまみるいし)

 現存せず。妹背の山を見るために座る石。

3.詞源石 (しげんせき)

 現存せず。杜甫の『酔歌行』の詞源倒流三峽水から。

4.心泉 (こころのいづみ)

 現存せず。 『千載和歌集』『古今集』序文から。「心の泉、いにしえよりもふかく、詞の林、昔よりもしげし」と、『千載集』の序に見えたり。此泉は、庭の心より、池の心に流れぬれば、「詞の源の石」というに対して。

5.心橋 (こゝろのはし)

 現存せず。『千載和歌集』『古今集』序文から。「心の泉」の橋なれば、名づけぬ。又、「こゝろの泉」を汲、「言葉の林」にあそび、和哥の浦の「しらぬ汐路」にあこがれ、六義園の草々に心をよせて、大和言の葉の水上にさかのぼるも、皆、心をはしにかくるより、あゆみを始るならし。

          

6.玉藻磯 (たまものいそ)

現存せず。『玉葉和歌集』一○九三 俊成 和哥の浦に千々の玉藻をかきつめて万代までも君が見んため 是は、「心の泉」の流のすゑなり。「小石多ければ、石の中に玉を求る」事もあれば。又、「見山石」に、人丸の哥をとりたるより、うけ継て、爰(ここ)俊成の哥をとれり。

        

7.風雅松 (かせたゞしきまつ)

 現存せず。『新千載』 玉よする浪ものどけき御代(みよ)なれや風もたゞしき和哥のうら松 正面の松なり。松のかたちも、正し。「玉藻の磯」のつゞきなり。和哥の浦の松の哥には、ことに目出度哥なるゆえ、是をとれり。風・雅といふは、六義の内の二つなり。『詩経』にても風・雅の「正」を太平の音に用るゆへ、歌書にても、「風たゞしき」とよみて、『風雅集』の序にも見ゆ。「正風体」の事をいへり。

8.心種松 (しんしゆのまつ)

 現存せず。『新続古今』皆人の心の種もかはらねば今もむかしの和哥のうら松 『古今』の序に、「人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」といへるに本づきて、よめる哥と見えたり。「心の泉」の本なれば、「詞林松」にも対しぬ。殊に、心を種といへるは、哥の本源なれば、「見山石」に人丸を寄せたるにも、かなふやうにて。

9.古風松 (こふうせう)

 現存せず。年経ぬる松はしるらんむかしより吹つたへたる和哥のうら風 「和哥の松原」の方より、浦風を、此松に吹つたふるやうにおもはれてなん。殊に、「こゝろを古風に染、詞を先達に習ば、誰人か詠ぜざらん」と、『詠歌大概』にも侍るをや。

10.詞林松 (しりんせう)

 現存せず。あつめ置詞のはやし散もせで千年かはらじ和歌のうら松 『古今』真名序に、「夫和歌者、託其根於心地、発其花於詞林」共いへり。彼『千載集』の序に、「心の泉」に対せし詞なれば、その余情もあればなるべし。

11.掛名松 (なかくるまつ)

  現存せず。をよぶべき便もあらば松枝に名をだにかけよ和哥の浦浪 此松は、磯辺より少はなれたれば、「をよぶべき便もあらば」といふ言葉に、叶べきや。  

12.夕日岡 (ゆふひのをか)

 現存せず。左に、「朝陽岩」あるに対して、右には、此岡なり。「遊芸門」よりのさし入なれば、此岡に入る人は、さし入より、はや風景の面白さに、日をくらすべきこゝちす。又、向の方には、「詠哥石」「片男波」「仙禽橋」「芦辺の亭」、皆、赤人にこゝろよせて、はたばりひろく侍れば、人丸の伝授をふくみて、見山石のつなぎにもと。

        

13.出汐湊 (でしほのみなと)

 仙洞(後鳥羽院)の和歌所で開催された『卿相侍臣歌合』で、「海辺月という事を」詠んだ慈円の歌 和哥の浦に月の出汐のさすまゝによるなくたづのこゑぞさびしき

    

14.15.妹山・背山 (いものやま・せのやま) 

 和歌浦の妹背山から。他に万葉集(人麻呂)はかつらぎ町の「背ノ山二峰」、古今伝授秘伝歌は吉野の「妹背の山」。『古今和歌集』の仮名序に言う「男女(おとこおんな)の仲」、陰陽和合・子孫繁栄のシンボル。六義園の陰陽思想を代表するもの。

16.玉笹 (たまざゝ) 

 『新撰和歌六帖』一四一九、左京権大夫信実(藤原信実)一夜へだてたる いもせ山なかにおひたるたまざさの一よのへだてさもぞ露けき

17.18.常磐・堅磐(ときは・かきは)

 「常のいはほ」「かたきいはほ」とよむ。何も岩の名として、妹背のみち、長久ならん事を祈る。「常磐」「堅磐」といふ詞、神書におほし。『中臣祓』にも、ありと覚ゆ。

19.鶺鴒石 (せきれいせき)

 妹背山の入口の石なれば、名付ぬ。伊弉諾(いざなき)・伊弉冊(いざなみ)尊、鶺鴒に夫婦の道を習ひ給へる事、『日本ふみ』に有。『賀茂保が女の集』にも、「世の中はじまりけるとき、むかしは『にはたゝき』といふ鳥のまねをしてなむ、男女は定けるに」とあれば、「妹背山の道を教る」といふこゝろにて。

20.詞花石 (ことばのはないし)  

 花のやうなる紋あり。詞のはなといふは、和哥の事なれば、和哥の浦の石なるゆへに、縁をとるなり。

21.浮宝石 (ふはうせき) 

 素盞嗚命(すさのをのみこと)、眉の御毛をぬきて、浮宝となし給う事、『やまとふみ』に見えたり。舟の形に似たれば、石にてもうかぶにや、とおもはれて。

25.詠和哥石 (えいかせき) 

26.片男波 (かたをなみ)

                           

22.臥龍石 (ぐわれうせき) 

23.裾野梅 (すそのゝむめ)

 『清輔集』二十、梅、藤原清輔 春くればすそ野のむめのうつりがにいもせの山やなきなたつらん

          

24.紀川 (きのかわ)

 万葉集 人丸 人ならば親の思ひぞ朝もよひ 紀の川づらの妹と背の山 妹背山の北を流るよしなり

 

27.仙禽橋 (たづのはし)

         

28.蘆辺 (あしべ) 

29.名古山 (なもふるやま)  

 『玉葉』の賀哥 後嵯峨院 三代までに古今の名もふりぬ ひかりをみがけ玉津嶋姫

30.新玉松 (にいたままつ)

 玉津嶋うつすも清き池波や和歌に寄せける心見すらん 言の葉も家をも守れあとたれて万代照らす玉津嶋姫

31.兼言道 (かねことのみち)

 『続古今』 祈り置きし我兼言のいやましにさかゆく御代は神ぞしるらん 玉津嶋へまいる道なれば、人々のかくぞ祈るべき。

32.藐姑射山 (はこやのやま)

 曇りなきはこやの山の月影にひかりをそへよ玉津嶋姫 藐姑射の山は、『荘子』に、『藐姑射の山に神人有り』という事あり。仙人のすむ山なり。仙洞(せんとう)の事をも、藐姑射山といへり。

33.言問松 (こととふまつ)

 玉津嶋入江の小松老にけりふるき御幸のことやとはまし 入江に有松なり。道のかたはらなれば、玉津嶋の古事をも、とはまくおぼえて。

                         

34.過勝峯 (すぎがてのみね)

 すぎがてに見れどもあかぬ玉津嶋むべこそ神の心とめけれ 道のほとりの峯なれば、過がてに、こころもとまりぬれば。

35.藤浪橋 (ふぢなみのはし)

 『古今和歌集』の「我宿の池の藤波」より

    

36.宿月湾 (つきやどるわだ)

 玉津島やどれる月の影ながらよせくる波の秋の汐かぜ 湾は、水のまがりたるよど也。

37.渡月橋 (とげつけう)

 和哥の浦蘆辺の田靏の鳴くこゑに夜わたる月の影ぞさびしき 「わたる」といふ詞にて、橋を用ふ。

              

38.和歌松原 (わかのまつばら)

 雪つもる和哥の松原ふりにけりいく代へぬらん玉つしま守 松原にすべき境地ならば、爰(ここ)を。

       

39.老峯 (おいがみね) 

40.千年坂 (ちとせのさか)

      

41.朧岡 (おほろのをか)

 玉津島磯辺の松の木の間よりおほろに霞)む春の夜の月 「和哥の松原」の松、成長せば、此岡にて春の月を見んに、此哥にかなふべくや。

      

42.紀川上 (きのかわかみ)

 きの川づらより見わたして、水出る源なれば。「朝もよひきの川上を詠ればかねのみたけに雪ふりにけり」とよめるたよりも、あらん。

43.朝陽岩 (あさひのいはほ)

44.水分石 (みづわけいし)

45.枕流洞 (まくらのほら)

46.拾玉渚 (たまひろふなぎさ)

 和歌の浦にみがける玉を拾い置ていにしへ今のかずを見るかな 「紀の川上」の方にちかき渚なり。「なぎさ」とは、小き洲の事なり。貫之の歌にてはなけれ共、「いにしへ今」といへる詞を、「こきん」にあてゝ、貫之にこゝろを寄せ侍る。六義の園にて、和哥のうらなれば、哥のみちの先達にこゝろをよする名所を、まうけたく侍て。

47.紀路遠山 (きぢのとをやま)

 「紀の川上」のかたに、遠く続たる山なれば。 春寒み猶ふき上の浜風にかすみもはてぬ紀路の遠山

48.白鳥関 (しらとりのせき)

 「紀の川上」の名所なり。『鴨長明哥集』 おもふにはちぎりもなにか朝もよひ紀の川上の白鳥の関

61.亀浮橋 (きふけう)

                                                                                                             

49.下折峯 (しをりのみね)  

 吟花亭へ行く道のかたはらにあれば。『新古今和歌集』西行 吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねん 「妹背山」に「吉野」を結びたる哥ども、多きによりて、「吟花亭」を「吉野の里」とも名付たく侍れ共、あまりにとりあつめたるように侍り。また、御諱(いみな)の字にも、はゞかる所あれば、なんとなく下ごゝろにこめて。

50.尋芳径 (はなとふこみち)

 「尋芳」の二字、朱文公の詩「勝日尋芳泗水濱」といふ事あり。「はなとふ」といふこころなり。「芳」の字、よし野ゝ「吉」の字に用ひ侍れば、吉野の哥に「尋入る」といふ事おほきに、おもひよりて。

51.吟華亭 (ぎんくわてい)

 楽天が詩に、花開催鳥吟花多き亭なれば、此詩の心をおもひやりて。

              

52.峯花園 (みねのはなぞの)

 常盤井入道前太政大臣 三吉野ゝ峯の花ぞの風吹ばふもとに曇る春の夜の月 吟花亭のむかひの、ちいさき岡多きところを。

53.衣手岡 (ころもでのをか)

 夕されば衣手さむしみよし野ゝよし野ゝ山にみゆきふるらし 袖のような岡なれば。

54.掛雲峯 (くもかゝるみね)

 「吉野のエリア」として桜が多数植えられ、咲いた花で雲のような峯になっていた。

 おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲  (西行法師)

 桜花咲きにし日より吉野山そらもひとつにかをる白雲       (藤原定家)

 雪のうちに春はきにけりよしの山雲とやいはむ霞とやいはん  (慈円)

                 

 

55.指南岡 (しるべのをか)

 『新千載』に 尋行和哥の浦ぢの浜千鳥あとあるかたに道しるべせよ 「千鳥のはし」のこなたなれば、哥の心もかなふやうにて。

           

       

56.千鳥橋 (ちどりのはし)

                

57.時雨岡 (しくれのをか)

 ならの木のわきなる岡なれば、「時雨ふりをけるならの葉」といふ事もあれば。

58.覧古石 (らんこせき)

 和哥のうらやしほ干の方にすむ千鳥むかしの跡を見るもかしこし という哥もあれば、「千鳥の橋」のわきなる石を名付侍る。ちかきわたりのならの木も、むかしのあとなれば、また、『万葉』の事まで、おもひ合ぬ。古を見るといふに、「覧古」といふ文字は、熟字なり。

59.妹松 (いものまつ)

60.背松 (せのまつ)

62.霞入江 (かすむいりえ)

 人とはゞみずとやいはん玉津嶋かすむ入江の春の明ぼの 正面よりも、玉津嶋の方よりも、霞見ゆる入江なり。

 

63.吹上浜 (ふきあげのはま)

 和哥の浦にある名所なり。

                                    

64.吹上松 (ふきあげのまつ)

 造園当時の松が唯一生存している。

                        

65.吹上小野 (ふきあげのをの) 

69.雲香梅 (うんかうばい)

 定家 谷風のふき上にたてる梅の花天津そらなる雲や匂はん

              

66.吹上峯 (ふきあげのみね)

    

67.木枯峯 (こがらしのみね)

 家隆 秋の夜を吹上の峯の木枯によこ雲しらぬ山の端の月 「時雨の岡」の対なり。

68.霞渟坂 (かすまぬさか)

 藤代の三坂をこえて見わたせばかすみもやらぬ吹上のはま 「渟」の字、「ぬ」のかなに多く用ゆ。「木枯の峯」の哥の、「よこ雲しらぬ」こゝろもあり。藤代にも、ちかし。「霞入江」に対して。

    

70.桜波石 (わうはせき)

 家隆 時しあれば桜とぞおもふ春風の吹上の浜に立てるしら波 浪のやうなる石なり。哥のこころをおもひ合するに、桜には似ずともありなん。

71.浪華石 (らうくわせき) 

 菅家御哥 秋風の吹上にたてる白菊は花かあらぬか浪のよするか 『新千載』にも 立浪の花かあらぬか浦風の吹上にすめる秋の夜の月 浪にされて、花の紋有石也。紀国の和哥の浦に、天神の社あるゆへに、天神の御哥をこゝにとり侍る。

72.白鴎橋 (かもめのはし)

 『千五百番』資成 鴎ゐる吹上のはまの塩風にうらさびわたる冬の夜の月 「浦さびわたる」ともいふべきわたりなれば。

                

73.藻塩木道 (もしほぎのみち) 

 ちぎり置し契りの上に添をかん和哥の浦路のあまのもしほぎ 和哥の浦、吹上の浜のあまの風景なり。

      

74.藤代峠 (ふぢしろたうげ) 75.擲筆松 (ふですてまつ) 

76.能見石 (のうけんせき)

 藤代峠に、金岡が硯石有とかや。又、能見石と名付る事は、『万葉』に 玉津嶋よく見ていませ青丹よし奈良なる人の待とはゞいかに 「能見」は、よく見るなり。「見石」の二字は、「硯」の分字なり。また、鎌倉の「筆すて松」に、能見堂あり。かたがた、おもひ合て。

77.布引松 (ぬのびきのまつ)

                            

78.不知汐路 (しらぬしほぢ) 

 和哥の浦知らぬ汐路にこぎ出てみにあまる迄月を見るかな 船の行方のしれぬやうに覚ゆれば。

   

79.座禅石 (ざぜんせき) 

80.万世岡 (よろずよのをか)

                              

81.水香江 (すいかうのえ) 

82.花垣山 (はなかきやま)

 権中納言公雄、『続後拾遺』 神垣は花の白ゆふかほるらし吉野ゝ宮の春の手向に 此園のかこひの山なれば。

                   

83.篠下道 (すゝのしたみち)

 『風雅』覚誉法親王 吉野山花のためにも尋ねばやまだ分初ぬすゞの下みち ちぎりあらばまたや尋ん吉野山露わけわぶるすゞの下道 此外、吉野山におほき言葉なり。

       

84.芙蓉橋 (ふようのはし)

    

85.山陰橋 (やまかげのはし)

86.ぜん渓流(ぜんけいのながれ)

87.蛛道 (さゝがにのみち)

 「我せこ」の御哥に、もとづく。蛛の糸など、ほそき事に用ふれば、みちの名とせり。又、哥のみちの、たえせぬ事に寄せて、読たる哥もあれば。

88.藤里 (ふぢのさと)

 藤のたなの近きわたりなれば、名付く。衣通姫は、藤原の里におはせしよし、『日本紀』に見ゆ。哥にも、 頼かな我が藤はらの都より跡たれ初る玉津嶋姫

                     

番外

蓬莱島

                     

久護山・毘沙門堂・千里場

      

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