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東京都文京区 六義園

Rikugien, Bunkyo,Tokyo

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桜ほか
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Dec.2,2023  瀧山幸伸  紅葉

May 4,2023 瀧山幸伸 無料開放日

Mar.19,2023 瀧山幸伸  桜

Dec.16,2020  瀧山幸伸 紅葉

Apr.1 2019  松田浩志 桜 昼夜

Nov.27,2018  瀧山幸伸 紅葉 夜

May 1,2018  瀧山幸伸  ツツジ 昼

Mar.27,2018  柚原君子 桜 夜 Night

Mar.14,2018  瀧山幸伸 桜 昼 Day 望遠での撮影

Jan.10,2018  瀧山幸伸 昼 Day

Dec.19,2017  瀧山幸伸 紅葉 六義園八十八境を知る 昼 Day

Dec.12,2017   柚原君子 紅葉 夕方 Late afternoon 

Nov.28,2017  瀧山幸伸 紅葉 昼夜 Day/Night 

Mar.30,2017  瀧山幸伸 桜 夜 Night 

Dec.2016  瀧山幸伸 紅葉 昼 Day 

Dec.2015  松田浩志 紅葉 昼 Day 

Nov.2015  瀧山幸伸 紅葉 夜 Night 

Mar.2015  瀧山幸伸 桜 夜 Cherry blossoms Night

Feb.2014  瀧山幸伸 雪 昼 Snow Day

Dec.2012  瀧山幸伸 紅葉 昼/夜 Autumn leaves Day/Night

Jan.2012  瀧山幸伸 雪 昼 Snow Day

Nov.2011  瀧山幸伸 紅葉 夜 Autumn leaves Night

Apr.2011  瀧山幸伸 桜 昼 Cherry blossoms Day

Nov.2010  瀧山幸伸 紅葉 昼 Autumn leaves Day

Apr.2010  瀧山幸伸 桜 夜 Cherry blossoms Night

Nov.2008  瀧山幸伸 紅葉 昼/夜 Autumn leaves Day/Night

Dec.2007  瀧山幸伸 紅葉 昼 Autumn leaves Day

Dec.2006  瀧山幸伸 紅葉 昼/夜 Autumn leaves Day/Night

Apr.2006  瀧山幸伸 桜 昼 Cherry blossoms Day


六義園は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園。

六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。

「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立った。その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。

1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える。

甲斐国・甲府藩主であった柳沢家は、吉保子息の吉里期の享保9年(1724年)に大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。

明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されている。


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