鳥取県若桜町 不動院岩屋堂
Fudoin Iwayado, Wakasa town, Tottori
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八頭郡若桜町岩屋堂214-1 不動院岩屋堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 懸造、桁行三間、梁間三間、一重、前面入母屋造、背面切妻造、妻入、とち葺 19531114
Nov.22,2024 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
落折集落
平家落人の集落伝説で、平家の苗字の家が残る
不動院岩屋堂
位置と案内
国道29号線、岩屋堂バス停で降り、国道29号線から右に、八東川の支流となる吉川川沿いを100mほど歩くと右手に壮大な岩窟が迫り、スギの老木のかなたに暗い巌洞が大きく口を開け、その中に嵌め込まれたような入母屋造の建物が、不動院岩屋堂である。
山中の岩屋に造られた、現存する因幡唯一の密教系中世建築。鳥取県三徳山三仏寺の投入堂および大分県宇佐市の龍岩寺奥院礼堂とともに、「日本三大投入堂」の一つとされる。
国重要文化財 1953(昭和28)年指定
建立:室町前期(1333〜92)
構造:懸造、桁行三間、梁間三間、一重、前面 入母屋造、背面 切妻造、妻入、とち葺、(柱、舟肘木、正面の花頭窓、須弥壇周りなどで建立時を推定)
寺伝によると819(弘仁10)年、真言宗の修験者神光(しんこう)がこの付近一帯を境域として妙見山神光寺を創建した。
岩屋堂はそれよりも早く、806(大同元)年の草創と伝える。神光寺は因幡の平安時代初期の山地寺院、その後1581(天正9)年羽柴秀吉の鳥取城攻略の際に兵火をうけ、岩屋堂だけが残ったと伝えられる。
1858(安政5)年の書物に" 窟堂 神光寺"の名で紹介。岩屋堂を中心に岩屋神社・敦盛社・平家一族の墓の位置などが克明に描かれている。
全景
吉川川を渡るとそこは境内である。地元民から氏神として見守られてきた様子が分かる。
岩屋神社
橋の右側に鎮座 岩窟の中にある
いよいよ不動院岩屋堂である。
参拝口まで
正面と細部
床下を長い柱で支える懸造(かけづくり、舞台造〈ぶたいづくり〉)で、花燈窓があり、正面および東側の廻縁に擬宝珠高欄(欄干)を備える。
本尊は、空海33歳の作との伝承をもつ黒皮不動明王で、目黒不動(東京都目黒区・瀧泉寺)と目赤不動(東京都文京区・南谷寺)とともに「日本三大不動明王」の一つともいわれる。
現在の岩屋堂は1955〜57(昭和30〜32)年にかけて解体修理され、柱の面取などの様式から鎌倉時代の特長を持つとされ、堂内の須弥壇にある格挟間の様式は、鎌倉時代から南北朝初期の建築とされ、因幡唯一の中世建築物とされる。
岩窟
岩屋堂から川に沿って100m程上手に行くと数基の五輪塔がある。四面に梵字を刻んだ90cmほどの五輪塔は、鎌倉時代の様式を持った完形である。
参考資料≪鳥取県の歴史散歩、配付パンフレット、他≫
参考
日本三大投入堂
三徳山 鳥取県東伯郡 国宝 2002〜06(平成14〜16)年に屋根の葺替、などが行われた。
龍岩寺 大分県宇佐郡 国重要文化財
撮影:2011年5月
<岩屋堂>
懸造、桁行3間、梁間3間、一重、前面入母屋造、背面切妻造、妻入、とち葺
室町時代前期
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