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富山県高岡市 勝興寺

Shoukouji,Takaoka city,Toyama

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高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 本堂 重文 近世以前/寺院 江戸後期 寛政5(1793) 桁行39.4m、梁間37.5m、一重、入母屋造、向拝三間、金属板葺 19880113

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 唐門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 明和6(1769) 四脚門、切妻造、前後唐破風造、銅板葺 棟札1枚、旧獅子口1個 19880113

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 経堂 重文 近世以前/寺院 江戸後期 文化2(1805) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、桟瓦葺、八角輪蔵付銘札1枚 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 御霊屋 重文 近世以前/寺院 江戸後期 文化7(1810) 桁行6.7m、梁間6.5m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、唐破風造向拝一間、背面庇付、桟瓦葺 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 鼓堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 享保18(1733) 桁行7.6m、梁間7.5m、二重二階、入母屋造、桟瓦及び本瓦葺 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 宝蔵 重文 近世以前/寺院 江戸末期 江戸末期 土蔵造、桁行8.4m、梁間6.3m、二階建、入母屋造、妻入、桟瓦葺 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 総門 重文 近世以前/寺院 江戸末期 天保11(1840) 一間高麗門、切妻造、本瓦葺、両脇築地塀附属 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 式台門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 安永4(1775) 三間一戸薬医門、切妻造、本瓦葺、北側面番所・南側面屋根塀附属 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 大広間及び式台 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "17世紀中期(大広間) 17世紀末期(式台)" "大広間 桁行18.5m、梁間19.7m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、北面庇付、正面唐破風造玄関・背面寺務所及び小書院附属 式台 桁行16.1m、梁間13.9m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、正面玄関・北面庇附属、背面台所に接続大広間・式台間を切妻造屋根で繋ぐ、総桟瓦葺" 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 台所 重文 近世以前/寺院 江戸末期 文久3(1863) 桁行16.7m、梁間31.2m、一重、切妻造、妻入、背面庇付、正面玄関庇附属、桟瓦葺 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 書院及び奥書院 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文11(1671) "書院 桁行23.7m、梁間11.0m、一重、東面切妻造、西面寄棟造、北面東方近侍溜附属、東面大広間に接続奥書院 桁行17.3m、梁間12.9m、一重、北面寄棟造、南面切妻造、北面・西面庇附属 書院西南と奥書院北東を曲折に繋ぐ、総桟瓦葺" 19951226

高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 御内仏 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄元(1688) 桁行9.7m、梁間8.2m、二重、寄棟造、北面西方茶室附属、北面奥書院に接続、桟瓦葺 19951226


July 2022  酒井英樹


 


<本堂>
  

 《妻飾彫刻》
  

 《蟇股彫刻》
                       
 =内部=
      

 《手挟彫刻》
              

 《木鼻彫刻》
   

 《垂木彫刻》
 

 《彫刻(その他)》
  

<唐門>
  

 《蟇股彫刻》
    

 《彫刻(龍)》
  


<経堂>
      


<御霊屋>
     

<鼓堂>
                      

<宝蔵>
              

<総門>
           

<式台門>
        ~


 《彫刻》
 


<大広間及び式台>
          


 =内部=
   


<台所>
     

 =内部=
   


<書院及び奥書院>
         


<御内仏>
   


Nov.2010/July 2019 酒井英樹

 勝興寺は文明3年(1471)、本願寺蓮如が北陸布教の途中、越中国土山に営んだ土山坊を前身とし、永正14年(1517)佐渡にあった廃寺勝興寺の寺号を相続した真宗寺院である。 

 永正16年(1519)の火災を機に移転したが、天正9年(1581)に再度堂舎が焼失したことから現在地に再度再建された。

 境内は、旧越中国府跡を含む台地上に立地し、四周に土居、堀を巡らし東側に惣門があり、出入門とする。門内南寄りに唐門、北寄りに式台門を置き、唐門の奥に本堂、式台門の奥に書院などの殿舎群が複雑な配置で構成されている。東西棟の大広間及び式台が南北に並び、式台の後方には台所が雁行に連なり、大広間の後方に書院が、書院の後方に奥書院、奥書院の南に御内仏が連なる。

 本堂と唐門は昭和63年(1988)に、経堂、御霊屋、鼓堂、宝蔵、総門、式台門、大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、御内仏は平成7年(1995)に重要文化財に指定されている。

 平成10年(1988)から20年以上擁して、本堂や惣門などを除く屋根をこけら葺(一部、耐風雪対策として亜鉛板葺)とするなど各建造物の屋根葺替や解体修理が行われ、令和3年(2020)3月に完成する予定。

 訪れた7月は修復工事の最終段階で各所にて工事が実施されており、重要文化財12棟の内、修理中の鼓堂と工事用車両の通路確保のため解体されている惣門は姿を現していないが、その他の建造物について工事中のため立入りが制限されている中撮影を試みた。

≪本堂≫

 寛永年間建立の前身の本堂が大破したため、明和6年(1769)、再建にあたり勝興寺住持から還俗襲封した前田家11代藩主前田治脩の援助を受け、寛政5年(1793)に柱建てが行われている。

 主要部は桁行9間、梁間9間、向拝3間、入母屋造、桟瓦葺の大規模な建造物である。

 真宗寺院本堂は江戸時代中期以降の建替に伴い規模を拡張し堂内外を荘厳化する傾向が見られるが、その傾向を顕著に示す遺構とされる。

 平成22年撮影

  

 令和元年撮影

    

 <蟇股彫刻(外部)>

                      

 <手挟彫刻>

                

 <木鼻彫刻>

  

 <尾垂木彫刻>

  

 <内部>

 

 側面蟇股彫刻

                          

≪唐門≫

 明治26年(1893)に京都興正寺から移築された大規模な四脚門。明和6年(1769)上棟の棟札を持ち、別途資料から京都の伏見で作られたことが判明している。切妻屋根の前後に唐破風を付けている。今回の修理でこけら葺に改められている。

 平成22年撮影(修理前)

 銅板葺のままの姿

    

 <扉彫刻>

 

 令和元年撮影(修理後)

 こけら葺に葺き替え済み

   

<彫刻(龍)>

  

 <蟇股彫刻>

       

 <木鼻彫刻>

    

≪経堂≫

 方3間裳階付、宝形造で桟瓦葺であったが今回修理でこけら葺に改められている。

 内部は堂中央に八角仏壇を設け極彩色を施した大型輪蔵を建てるなど、禅宗様を基調としている。史料より文化2年(1805)建立と判明している。

 平成22年撮影(修理前)

 桟瓦葺のままの姿

   

 令和元年撮影(修理後)

 こけら葺に葺き替え済み

       

≪御霊屋≫

加賀藩11代藩主前田治脩の霊を祀った堂。桁行6.7m、梁間6.6mの小規模で、正面入母屋造、背面切妻造で住宅風の祀堂。文化7年(1810)建立。

 

≪鼓堂≫

 太鼓堂ともいわれ、方4間、入母屋造、檜皮葺(今回修理で桟瓦葺から本来のこけら葺に改修予定、令和元年現在修理中)。本願寺(西本願寺)鼓楼と同様に城郭の二重櫓に類似した外観を持つ。享保18年(1733)建立。

 平成22年撮影(修理前)

 桟瓦葺のままの姿

    

≪宝蔵≫

 桁行4間、梁間3間、入母屋造、妻入、こけら葺の置屋根形式の屋根の二階土蔵。壁面は下部を海鼠壁とし、西面入り口に袖柱・虹梁に唐破風形を浮き出させるなど華やかな意匠を持つ。建立年代は不明だが、様式手法などから江戸時代末期の建立と推定されている。

  

≪大広間及び式台≫

 大広間は「対面所」とも呼ばれる。正面入母屋造、背面切妻造で正面に玄関が取り付く。平面は桁行8間半、梁間8間半の主体部の四方に縁を廻す。南に幅1間、北に1間半の畳廊下状にして、2列3室の部屋を持つ。内部は対面所としては比較的装飾が少なく簡素になっている。

 式台は「鉄砲の間」とも呼ばれ、大広間同様に正面入母屋造、背面切妻造で正面に玄関が取り付く。平面は桁行7間半、梁間6間半の主体部の東・北面に縁を廻し、南面正面寄りに板敷の大広間との接合部を突出する。南北2室と後方2列に3室室を配している。

 大広間は17世紀中期、式台は17世紀末期の建造と推定されている。

 

 <内部>

          

≪台所≫

 桁行16.7m、梁間31.2m、切妻造、妻入の建物で正面に玄関が取り付く。寺所蔵の史料によって文久3年(1863)建造と判明している。

 

 <内部>

 

≪書院及び奥書院≫

 書院は寺の接客と応接の場で、東面切妻造、西面寄棟造。桁行9間、梁間3間の主体部の南に幅1間の畳廊下と縁が付く。主体部は東西に3室が並び、西端の部屋には床・棚・付け書院を備える。奥書院は住持専用の書院で、北面寄棟造、南面切妻造である。桁行6間、梁間3間の主体部の東に幅1間の畳廊下と縁が付く。

 寺所蔵の史料によって寛文11年(1671)建造と判明している。

     

 <内部>

     

≪御内仏≫

 御内仏は方3間の内陣四周に入側を廻した二重屋根の持仏堂で後方の入側を内陣仏壇として厨子を安置している。外周りは住宅風だが、一方で内部は黒漆喰で、極彩色の彫刻欄間や格天井格間の彩色画を用いた華やかな意匠を持つ。

 寺所蔵の史料によって元禄元年(1688)建造と判明している。

  

≪式台門≫

 切妻造、こけら葺(今回の修理前は桟瓦葺)の3間1戸薬医門で、北側に番所と南側に1間の屋根塀が附属している。寺所蔵の資料で安永4年(1775)建立と判明している。

  


August 20,2015 大野木康夫 source movie

所在地 富山県高岡市伏木古国府17-1

大規模な真宗寺院で、本堂は加賀藩前田家の援助のもとに建立された。

広大な外陣は大梁を用いて柱を少なくし、また、内陣廻りには極彩色を施すなど近世後期の特徴をよくあらわしている。

本堂の前方に建つ唐門は京都興正寺から明治時代に移築したもので、洗練された建築である。

(国指定文化財等データベースより)

勝興寺は高岡市北部の伏木地区に位置しています。

平成10(1998)年度から20年計画による保存修理事業を進めており、現在は本坊部分を中心として8棟が修理中です。

    

総門(重要文化財)は工事車両の通行のため曳家で移転し、覆い屋の中にあります。

 

唐門(重要文化財)

明和6(1769)年の建築

四脚門、切妻造、前後唐破風造、銅板葺

銅板葺であったのを修理により檜皮葺に復原されました。

    

鼓堂(重要文化財)

享保18(1733)年の建築

桁行7.6m、梁間7.5m、二重二階、入母屋造、桟瓦及び本瓦葺

           

本堂(重要文化財)

寛政5(1793)年の建築

桁行39.4m、梁間37.5m、一重、入母屋造、向拝三間、金属板葺

                      

蟇股彫刻

正面

         

南側

      

北側

      

内部

                      

経堂(重要文化財)

文化2(1805)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、桟瓦葺、八角輪蔵付

                 

境内

 

修理中の本坊部分

重要文化財建造物

総門(移築中)、式台門、大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、宝蔵、御霊屋、御内仏

  

あと数年で修理が終わる予定なのでまた再訪しようと思います。


July 2011瀧山幸伸 source movie

  

A camera

                                        

B camera

                                                              


Nov.2006 瀧山幸伸 source movie

  

鼓堂

   

唐門

          

本堂

                   

御霊屋

 

経堂

    

宝蔵

 

総門

 

万葉寺井の跡

  

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