和歌山県御坊市 寺内町
(Jinaicho, Gobo city, Wakayama Pref.)
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Feb.18,2017 瀧山幸伸 source movie
寺内町とは: 寺内町とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集のことです。
御坊市の寺内町: 御坊市の寺内町は、西本願寺日高別院を中心に形成され、江戸時代に各地の特産物を扱う問屋などが軒を並べ、大変栄えました。今でもその面影を残した貴重な町屋と明治から大正・昭和と日本が近代化していく時代の特性が残り、散策には最適です。
アプローチ
JR阪和線で紀の川を越えて和歌山駅へ
紀勢本線で御坊駅へ
岩内1号古墳を見てから、御坊大橋で日高川を越えて寺内町に向かう。
御坊寺内町パンフレット
正宗屋酒店 昭和3年 鉄筋コンクリート造2階建て
何となく懐かしく、うらぶれた街並み
薗徹薬局
代々薬業を営む。庇下の欄間に『大学目薬』・『命の母』など珍しい木製の金看板がある。建物は江戸末期の平屋本瓦葺き。
旧中川家 昭和初期
代々材木商として栄えた中川家は北側の通りに面して主屋と蔵が並ぶ建物群で、主屋の大屋根の下に庇が廻り、玄関にはさらに一層庇が設けてあります。2階部分にも複雑に屋根が設けられています。これらの凝った意匠(デザイン)は外観からみても昭和初期の優れた邸宅であることを感じさせます。主屋と向かいあった戌亥(北西)の位置の蔵との間がアプローチになっています。
有田屋
和菓子を製造する昔ながらのお店で、ショーウインドウには季節を感じるディスプレイがいつもなされています。「うだつ」風に工夫されたサイン看板が建物と違和感がなく、庇下に「しぶき除け」と呼ばれる雨除けの板を残しています。
それから
小竹岩楠顕彰像
南紀白浜温泉といえば、東の熱海、西の別府と並ぶ古い歴史を持つ温泉郷で、湧き出る湯も多く、紀南の発展に大きな役割を果たしています。この由緒ある白浜温泉郷を近代的な温泉町として今日の繁栄の礎を築いたのが御坊出身の小竹岩楠です。
旧華岡医院
戦後、華岡青洲の子孫が医院をかまえた。木造本2階、大正〜昭和頃の建物。道沿い正面上部をガラス戸で仕上げ、特に玄関の引違い戸は菱形の文様がセンス良くデザインされている。
伊藤家住宅
志賀屋川瀬家
江戸時代に建てられたつし2階、平入の建物。左に玄関・土間があり座敷側の窓には格子が全面を覆い、軒下の塗り壁、正面左右に設けられた袖壁とともに落ち着いた町並みを見せてくれる。川瀬家は志賀屋という蠟燭問屋であった。
隣接する土蔵群
岸野酒造本家
木造本2階の店は大正8年に完成。敷地内には酒造に使われた江戸・大正時代の酒蔵や、酒米を蒸した竈にレンガの煙出、井戸が残る。
それから
日高別院
現在の日高別院は、文禄4年(1595年)和歌山鷺森の有力者佐竹伊賀守の尽力によって新しく堂宇を建立したのをはじまりとする。日高御坊・御坊所・御坊様と尊称され、御坊市の市名の起源となった由緒深い寺院である。現存している建物は江戸時代中・後期に建てられたものである。文政8年(1825年)に落成した本堂は、真宗寺院として県内随一の規模を有している。
市文 表門
市文・天然記念物 公孫樹
市文 鼓楼
市文 本堂
市文 鐘楼
その他幼稚園と一体化した境内
市文 裏門
旧町内で最古の民家
旧山本好一郎の洋館
昭和初期野口雨情らと親交のあった山本好一氏が建築した木造2階建の洋館。ここを洋画家 原勝四郎が一時アトリエとした。南に大きな庭園を配し、『となりのトトロ』でサツ
キとメイが住んでいた家の雰囲気が漂う。
小竹八幡神社
江戸時代に、元宮の地から徳川頼宣の別であった薗御殿跡に遷宮した。当社の祭神は誉田別命(応神天皇)・小竹大神等で、旧社地は、『日本書記』所載の小竹祝にゆかりのある小竹宮跡といわれている。境内には薗浦廻船衆の寄進した石灯籠や、明治時代の石づくりの時計台が残る。
堀河屋野村
江戸時代の木造平屋造りの建物。本瓦の大屋根が覆い座敷窓を囲うベンガラの格子が良い伝統を伝えている。元禄年間より造られている徑山寺味噌や昔ながらの醤油は有名である。
紀州鉄道西御坊駅に向かう。
JR御坊から紀勢本線で帰る。
参考資料
各項目の説明は御坊市役所商工振興課・御坊市観光協会「紀州・ごぼう 寺内町散策マップ」より引用させていただきました。
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